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第75話
披露宴の会場から隣の控室に逃げ込ん来て、どれくらいの時間が経ったか。部屋の空気はますます重く、俺は息苦しさを覚えていた。
勝野さん達の様子を見れば、この人達は落ち着いて何かを待っている感じだ。
そんな時、ブブブと振動音を感じた。
勝野さんのスマホが震えたのだのだった。
勝野さんは画面を見るなり部屋の隅に行き、俺に背中を向けて通話を始めた。相手は張さんか、それともキムさんか。
暫くして通話を終えた勝野さんが近づいてきた。
「砺波さん、隣はだいぶ落ち着いたみたいですよ」
勝野さんの言葉に「お客様達?」隣で百合子さんが反応した。
「ああ、中国の人は直ぐに頭に血が登るからね。でも落ち着いたらしいから」云って勝野さんが俺をリラックスさせるかのように、ニコっと笑って見せた。
「それでね、張さんが宴会場の方に戻って来てくれって」
「そうですか…それで沙紀は今どこに…」
「うん、沙紀ちゃんも隣に居るらしいよ」
俺は頷き、ふうっと息を吐き出した。沙紀にはとにかく謝らなければいけない。出来れば人のいない所で懺悔したいところだが、隣の宴会場に居るならそこでしなければ。
勝野さんに付き添われるようにして、俺は部屋を出た。
一旦廊下に出て宴会場の扉の前に立った時は、さっきとは違う緊張を覚えた。先ほどは、この扉が開くと歓迎の花道が出来ていたのに。
勝野さん夫婦に続いて中に入った俺は、直ぐに中国人達の視線を浴びる事になった。しかし彼等は、こちらには大して興味を示すでもなく、各自が席に付いて料理を口に運んでいた。
意外な気がしたが、それはそれで有り難い事だ。
壇上の高砂席に向かうと、そこには張さんと周さん、双子のような二人が待っていた。
彼らの前まで来て、俺は何方にともなく頭を下げた。
張さんの表情を窺えば、愛人の冬子を抱いた事に対して怒っている様子はない。それでも俺は身を硬くしている。
「○○○○~」張さんが周さんと何か言葉を交わした。
短い会話の中に『冬子』の響きがあった気がして、俺は本人の姿があるのかと首を振った。しかし、冬子の姿は俺の視界の中には入って来なかった。
「○○○○~」
又も張さんの中国語が耳に付いた。
何と云ったのだ。キムさんを探すが、姿が見当たらない。
「○○○○~」
今度は周さんの声だ。座れとジェスチャーしている。
俺は軽く頷いてから腰を降ろした。隣は新婦の席だが、そこには誰もいない。勝野さんはここに沙紀が居ると言った筈なのに。
椅子に座った俺は、警戒しながら視線を走らせた。さっきまで俺に怒りをぶつけていた客席の中国人達が思い思いに料理を口に運びながら、談笑している。こちらに目を向ける者もいるが、俺への興味は失っているようだ。
「そうですか…やるんですね、分かりました」
聞こえて来たのは、勝野さんの声…張さん達に答えた声だ。
勝野さんは俺よりは中国語が聞き取れるのだ。
その勝野さんが、俺の様子を探るように見詰めて来た。隣の百合子さんは、眉間に皺を寄せている。
勝野さんが俺の耳元に顔を寄せて来た。「砺波さん、残念ながらお付き合いはここまでのようだ」云って、首を小さく振る。
今のは何なのだ。張さん達から何を云われたのだ。
「○○○○~!」
張さんの甲高い声が上がった。それは命令だったのか、急にスタッフらしき人達が動き出した。
彼等が準備したのは一組の布団だった。それは勿論、俺もよく知っていた。沙紀とキムさんが破廉恥なショーを披露する為に、昨日俺が敷いた布団だ。
呆然とする俺の前でテーブルが片され、そこにぽっかりとスペースが出来た。そこに布団が敷かれる。
一体何が行われるのだ。まさかもう一度、勝野さん夫婦が…。
俺は訪ねたい事だらけでキムさんを探すが、その姿は何処にもない。勝野さんに確認したいところだが、距離が出来た気がして訊ける雰囲気ではない。
「○○○○!」
今度は周さんの雄叫びのような声が上がった。
その勢いに押されるように、食事と談笑を続けていた男達が一斉に扉の前に行って、並んだ。そう、俺と沙紀…新郎と新婦を迎え入れた形だ。
扉の前に花道が出来ると、周さんがもう一度声を張り上げた。その号令に従業員が扉を開けた。
俺の目に映ったもの…。
唖然と俺が見たのは、タキシード姿のキムさん。それと、キムさんの腕に自分の腕を絡める沙紀の姿だった。沙紀はさっきと同じ深紅のウエディングドレスを纏っている。
二人が腕を組んだまま花道を通って、俺の方にゆっくりと歩いて来る。それを歓迎する拍手が湧き上がる。客達の顔には満面の笑みが浮かんでいる。その笑みに反比例するかのように、俺の顔は引きつけを起こしている。
直ぐ目の前まで来た二人。キムさんは俺を見るが、意味ありげな笑みを浮かべるだけだ。
沙紀は…。
ドレス姿を見れば、その表情はお色直しをしたのか、涙の後は消えている。しかし新たな化粧は、先ほどより派手な感じ…いや、毒々しさが加わった感じがする。目元が先ほどより鋭くなっているのだ。
俺は目の当りする新婦姿が信じがたく、沙紀を凝視した。しかし沙紀は、記憶から俺を消したのか、こちらを見ても表情を変えない。
「○○○○~」
今度の声は張さんか周さんか分からなかった。けれどそれは、勝野さん夫婦への指示だった。
勝野さんが右から、百合子さんが左から、俺の脇に手を入れて来た。そして俺を連れて行く。まるで連行される囚人のように。
俺は敷かれた布団の真ん前に置かれた椅子の前で、腕を離された。そこにホテルの従業員がやって来た。彼等が手にしているのは何だ。
それは昨日、俺が着ていた法被ではないか。
^俺は彼等に、着ていたタキシードを脱がされた。そして法被を着せられる。俺の様子を見ていた勝野さんが、顎をしゃくった。椅子に座れと云ったのだ。
強張ったままの顔を上げれば、目の前に敷かれた布団があり、その先は高砂席についた新郎のキムさんと新婦の沙紀の姿。
俺と沙紀は、布団を挟んで向かい合ったのだった。