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第73話


 隣の控え室に戻ると、スタッフに呼ばれて、準備の整え終えた沙紀と向き合った。
 その表情はメイクによってか少しキツくなった感じだが、沙紀の美しさは間違いない。


 俺が黙ったまま見詰めていると、沙紀の顔に照れが浮かんできた。その様子も又、儚げだ。
 沙紀の目には、俺の姿はどのように映っているのだろうか。キムさんが言った通り、馬子にも衣装なのか。それとも惚れ直した、と言う事はないだろうか。
 俺は沙紀を見詰めたまま、心で語り掛けたーー凄く綺麗だよ。
 でも、奴等の前でこんな茶番はイヤだよな。暫く我慢の時間だ。
 沙紀が緊張の面持ちでウンウンと頷いた、気がした。
 「沙紀ちゃん、もっと笑ってや。その格好で澄ましてたら吸血鬼に見えるで」横からキムさんの声がした。
 今、吸血鬼って言った?確かにドレスは深紅で、目尻もメイクのせいか吊り上がって見えるが、それにしたって、吸血鬼はないだろ。
 「砺波さん、そろそろ」
 キムさんが俺の肩を叩く。この人は介添え役もやるつもりなのか。


 隣から大きな拍手の音が聞こえてきた。口笛が鳴る音もする。張さんが次のショーの紹介をしたのだろうかーー。
 まさか昨日セックスショーを披露した日本人女が、今日は披露宴を行うとでも伝えられたのか。
 「さあ、行きまひょ」
 キムさんの声に、沙紀が腕を絡めてきた。
 廊下に出て、扉の前で畏まると緊張が増してくる。この扉が開くとファンファーレが鳴ったりして。
 「沙紀ちゃん、コレ忘れるとこやった」
 キムさんがスタッフの一人から受け取ったヴーケを手渡した。
 その瞬間、不思議とこれが本物の披露宴のような気がして武者震いが起こった。


 扉が開くと、俺達を迎え入れる顔、顔、顔。人垣が両サイドに、花道が作られている。
 張さんをはじめ、お客連中がある者はホテルのガウンを纏い、ある者は普段着で、そしてある者は律儀にブレザーを着用したりしている。他にもコンパニオンの女達は、昨日と同じ着物姿もあれば、普段着姿の者もいる。皆んな本当に祝福しているのか、その顔は歓びで溢れている、ように観える。俺達はそんな視線と口笛、それに花吹雪を浴びながら中へと進んだ。


 前を行くキムさんに誘導されて辿り着いたのは、長机で作られた簡易の高砂席だった。
 そのメインテーブルには、いつ用意されたのか、見栄えのする花束が飾られている。
 不思議なもので、そのメイン席に着いた俺達二人は、呼吸を合わせてお辞儀をした。すると同時に、パパーンとクラッカーの音と爆竹が破裂した。そして盛大な拍手が湧き起こった。
 俺は心で、マジかよと呟いた。隣をそっと見ると、沙紀が驚きと感動にか表情を崩している。照れ笑いが大きくなっていく。
 呆然となった俺の後ろで、キムさんの小さな声がした。
 「もう一度お辞儀して、それでゆっくり頭を上げたら座って下さい」


 指示に従い頭を下げ、椅子に腰を降ろした俺は、そっと息を吐き出した。緊張に身体が硬く、顔は強ばっている。
 それから直ぐに、張さんの挨拶…勿論中国語だから意味は分からないが、祝福らしきものが始まり、続いて来賓代表なのか、周さんの挨拶へと移っていった。
 マイクの前に立った二人は、双子のような容姿…ともにオールバックで丸顔に薄い目の持ち主が、巨漢を揺すりながら話す様子は、俺達への愛情が溢れているようにも観えた。
 次に乾杯があり、それを合図にか列席者が壇上に酒を注ぎに殺到した。
 心の中には、何故この連中に酒を注いで貰わなければならないのか、疑いようのない抵抗があった。だが、哀しいかなサラリーマンの習性で、その行為に愛想笑いを返してしまう俺がいる。
 沙紀の方も、中国語で語り掛けられるおそらく祝福の言葉に、嬉しそうな顔をしていた。
 注がれる酒はビールが多かったが、紹興酒を向けられた時は嫌な気がした。
 連中の酔い具合も早く、やがて宴は、ザワめきと喧騒に包まれた。中には奇声を発し、踊り出す者もいた。そんな盛り上がりがいつまで続くのだと、ストレスを感じ始めた時だ。
 ホテルの従業員が何かの機材を運んできた。見るとそれは、ノートパソコンにプロジェクター、それとスクリーンだった。
 スクリーンは結構な大きさがあった。それが俺達の席の斜め後ろ辺りに設置される。
 その様子を見る俺の前を横切り、再び張さんがマイクの前に立った。
 そして。
 「○○○○○~~」
 張さんが中国語で客席に向かって何事か告げた。その声質は朗らかな感じだ。
 そして直ぐさま『今から新郎新婦二人の素敵な経歴をお話しします』キムさんが俺達に通訳してくれる。
 俺達の経歴?
 唖然とした俺の事などお構いなしに、張さんが喋りを続ける。
 キムさんの通訳によれば、内容は俺と沙紀の出身地や二人の馴れ初め、それに今の仕事の事だった。
 早口で話される通訳の内容を追いかけながら、自分達の個人情報がどうして伝わったのか疑問が浮かんだが、沙紀から聞き取っていたのだろうと推測する。
 話を続けていた張さんが、一呼吸おいてニコリと微笑んだ。
 「○○○○○○○~~」
 『新郎新婦に祝福のメッセージが届いています』キムさんの通訳が続く。
 誰からのメッセージだ?
 俺と沙紀は一旦目を合わせた。が、同時に首を傾げている。
 そんな俺達に客席から拍手が聞こえた。スクリーンに何かが映し出されたのだ。


 スクリーンの画面にいきなり現われたのは、なんと沙紀の母親、俺の義母だった。
 唖然とスクリーンを見詰める中を、義母が話し始める。当然日本語だから、すんなりと伝わってきた。
 義母のメッセージは、時間が経ったが披露宴が出来て良かった。これからもずっと二人仲良く。そして最後に、早く孫の顔が見たいと告げて締められた。
 義母が言い終わるのを待って、キムさんが今度は、客達に義母の日本語を中国語に通訳した。


 次の動画は、叔父の澤達郎さんからのものだった。
 叔父からのメッセージも義母と同じような内容で、最後に沙紀に早く元気な赤ちゃんをと、語られた。
 義母達からのメッセージを訊いている時は感情移入できていたが、終わって一息ついてみれば、なぜ二人のメッセージが用意できたのかという疑問が湧いた。
 俺は首を傾げながら、沙紀に目を向けた。沙紀の方は俺ほどではないが、感動の余韻に浸っているようだ。
 それにしたって、誰がこのメッセージを用意したのだろうか。
 そう考えた時、ふと思い付く事があった。俺は首を振って、会場内に目を走らせた。
 一番大きな扉の前で、その姿を見つけた。勝野さん夫婦だ。
 1日遅れでこのホテルに来たのは、沙紀の実家に行って来たからだ。キムさんが叔父と会ってる事を知ってて、そこから今日の披露宴の事を知らせ、そしてメッセージの協力を求めたからに違いない。
 俺の視線と思考に感づいたのか、百合子さんが小さなVサインを作ってクスっと笑った。その隣で、勝野さんも笑みを浮かべている。二人は既に普段着に着替え、客席に溶け込んでいたのだ。


 オホン!その時、張さんの咳払いがした。
 俺は張さんに視線を移す。次は又、別の催しが用意されているのだろうか。
 張さんがマイクに近づき、ひとつ畏まった。そして。
 「○○○~!○○○○~!」
 それは強い口調の中国語だった。そして俺に向けて、指を一本突き付けた。俺を見る目には鋭さが加わっている。
 張さんは何を云ったのだ。
 鋭い口調と視線に俺の身体は強ばり、心臓の鼓動が早鐘を打ち始めたのだった。