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第9話


 沙紀が散歩で、野天風呂の男と遭遇した話に聞き入ってた俺の鼓動は、ノックの音に一瞬身体が跳ね上がった。
 はい、と返事をする前に「ごめん下さいませ」と仲居さんの声がした。
 沙紀が「はぁい」と、部屋のドアに向かう。俺は慌てて畳から身体を起こした。


 「お夕飯ですが、もうじき準備ができますけど、どう致しますか。お部屋?それともお食事処で?」
 ああ、部屋で、と云おうとした時「お食事処でいいよね、聖也くん」と沙紀が振り向いた。
 俺は圧されるように「そ、そうだな」と答えていた。
 「じゃあ、6時には御用意しておきますね」
 そう云うと、仲居さんは出て行った。


 その後もたわいもない話をしていた俺達だったが、部屋の渋い掛け時計が、6時を少し過ぎたところで腰を上げた。
 二人で浴衣の乱れがないか、身だしなみを確かめあう。
 「さっ行こっか」俺は声を掛けながら、沙紀の尻を一撫でして「下着、着けてるよね」と笑った。
 沙紀は軽く睨んで来たが、怒ってる筈はない。小悪魔的な笑みを浮かべて、俺の腕に自分の腕を絡めてきた。


 部屋を出れば狭い宿だし、食事処までは直ぐだった。俺の頭はあの夫婦がいるかどうか、それだけが少し気になっていたが…。
 食事処の入口まで来た所で、腕に絡む沙紀の手をさりげなく振り解いた。そして、俺が先頭に入口を潜った。
 さて見えたものは、衝立のない10畳程の和室の部屋だったが、奥の大きな窓の向こうには風情ある庭が広がっていた。陽が翳り始めていたが、見事にライトアップされているのだ。俺は一瞬、声を無くしていた。
 この部屋の続きにはもう一部屋、一段高くなって囲炉裏が幾つか、それを囲んで食事が出来るようになってある。
 「いい処ね。実はあの人から聞いてたの」
 沙紀の囁きを耳にしながら俺は、部屋の中へと進んだ。直ぐに右奥の席に、例の夫婦が座っているのが目についた。男がこちら向きに、奥さんの方は背中を向けている。彼等の斜め後ろのテーブル、俺達の席にも既に料理皿が乗ってある。
 俺達二人は男達の方に軽く頭を下げると、自分達の席に腰を付けた。沙紀は男と目が合ったのか、どこか恥ずかしげに笑みを浮かべいた。


 座ると直ぐに、係の人が飲み物の注文をとりにきた。
 迷う事なく頼んだのは、生チューを2杯だ。いつもの俺達のパターンだった。
 チラリと斜め前を見れば、彼等のテーブルには中ジョッキのグラスが4つ乗ってある。かなり速いペースで飲んでいるようだ。
 更に目を凝らして、男の顔を盗み見みる。確かに強面だが、笑うと沙紀が云ってた程ではないが優しそうな顔に見えなくもない。しかし身体はゴツく、腕も太くて胸元も結構な厚みがある。


 ビールが来たところで、軽く乾杯した。俺達の発声には、緊張の空気が纏わりついていた。沙紀の顔を見れば、どこかよそよそしい。
 俺は料理を品定めしながら、彼等にそっと目を向けた。二人はリラックスした雰囲気で、料理の品評をしている。男の声は野太く聞こえるが、奥さんの声は凛としていて落ち着いた声だ。
 その奥さんは背筋をピンと伸ばして、正座までしている。育ちの良さが窺えてしまう。髪はセミロングで、色は今どき珍しく黒髪だ。薄い茶髪の沙紀が、子供っぽく観えてしまう。
 正座する奥さんの足裏に乗った尻は豊満で、熟女の色香を感じてしまいそうだ。野天風呂で揺れてたあの生尻が浮かんでくる。
 その時、こほん、咳払いに前を向けば沙紀が睨んでいた。
 「どこ見てるの」
 沙紀の尖ったような声に、俺はバツが悪そうにゴメンと黙って頭を下げた。


 それから、俺達も料理に箸を伸ばし始めた。
 田舎の宿で料理には大した期待はしてなかったが、どうしてどうして、食通でない俺にも味の良さは充分理解できた。沙紀の方も、美味しい美味しい、と箸が休まる暇がない。


 いつもの早食いのクセが出たのか、俺の料理はあっという間にあと僅かだ。ビールも2杯目が底を突きかけている。
 酒にそれほど強くない沙紀のジョッキも残りはあと少しで、料理も俺につられたのか、今日はペースが早かった。
 俺はゲップを催しそうになったが、なるべく音を小さくガスを吐き出した。その時、斜め前から「あ痛たたっ」奥さんの声がした。
 見ると、奥さんが片手を付いて足を伸ばしていた。正座の痺れがきたのだ。
 俺の目に、浴衣の裾が捲れた間から、奥さんの白い足首から脹脛(ふくらはぎ)の様子までが飛び込んで来た。その瞬間、俺の目はまん丸に拡がったのだった。