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第71話
次の日の朝、早くから目が覚めてしまった俺は、起きると身支度して直ぐに食事処に行く事にした。
昨夜も大したものは食べれず、売店で買った饅頭の残りを口にしただけだったのだ。それに朝っぱらから、なるべく中国人達とは顔を合わせたくない。
しかし、そんな俺の懸念は杞憂に終わってくれた。食事処は俺一人だけだった。考えてみれば、あの連中が早くから起きてる筈がない。きっと明け方近くまで、女達と楽しんでいたに違いないのだ。
朝食を終えると俺は、部屋に戻って沙紀からの連絡を待つ事にする。食事に行く前に一応LINEは入れておいたが、キムさんの管理下では返信は打てないかもしれない。しかしそのキムさんからは、夕方までの自由を認められている。
テレビを点けてニュースを視たが、あまり頭には入って来なかった。代わりに浮かぶのは『…明日はアタシ達の披露宴よね』と口にした、昨日の沙紀の言葉だった。
LINEの返信が来たのは、9時半頃だった。
それからまもなくして、沙紀がこっちの部屋にやって来た。聞けば、キムさんは部屋を出て挨拶回りだとか。
頭の中には襟付きシャツに着替えて、関西弁から標準語に戻った真面目そうなキムさんの顔が浮かぶ。しかしひょっとして、朝から沙紀と肌を合わせたのではないかと、気になる俺もいる。
「あのさぁ、朝はキムさんと一緒に食事したの?それとさ…」
歯切れの悪い声質に、沙紀は俺の聞きたい事を理解したようだった。
「ふふふ、朝マック…じゃなくて、朝エッチはしてないわ。キムさんもお疲れみたいで」
朝から洒落を口にした沙紀には、余裕が感じられた。衆人の前で痴態を曝した事で、腹が決まったのかもしれない。それかセックスショーという大イベントを終えた事で、安堵の気持ちがあるからかもしれない。
それから直ぐに、俺は出発を促した。このホテルの空気から、一刻も早く脱出したいと思っていたのだ。
箱根に来たのは初めてではなかったし、名称の名前などもよく知っていたので簡単に周遊のコースを決めて、俺達はホテルを後にした。
遊覧船やケーブルカーに乗ってる時は、自分達が置かれてる境遇を考える事もなかった。会話はどことなくよそ行きな感じだったが、それなりに楽しめていたわけだ。
しかし、ホテルに戻る時間が近づくにつれて緊張がぶり返して来た。
キムさんからは昨日と同じで、夕方の4時半までには戻るように云われていた。『披露宴』の為の準備があるからだ。
ホテルに戻ってみると、カウンターの前に見知った後ろ姿を見つけた。
勝野さん夫婦だ。
「…こんにちは」
背中越しに掛けた俺の声には、緊張が含まれていた。
振り向いた勝野さんが「ああ、砺波さんか」俺の顔を見てニヤリと笑う。
その横では、百合子さんも笑みを浮かべている。
「ふふ、こんにちは。二人とも、元気でやってた?」
俺達を見詰める二人は、リラックスしているように観えた。さすがに旅慣れしているのか、それに接待慣れもしているのだろう。
二人の瞳を覗けば、好奇心にか妖しげな光も宿ってみえる。二人は、昨夜の余興の事を知っているのだろうか。
「あれ、砺波さんも沙紀ちゃんも、肌の色がいいね。温泉の効能かな」勝野さんが、シゲシゲと俺達を見詰めている。
俺は曖昧に頷いたが、思い出した事を訊く。
「そう言えば、勝野さんは契約だったんですよね。無事に済みましたか」
「え、契約?…ああ、そうか。そうだね、お陰様でね」
勝野さんの口調に、一瞬怪訝な雰囲気を感じた。しかし深く考える事はしない。今気にしているのは、この御夫婦が俺の心の拠り所になってくれるかどうかなのだ。
そこで俺は「あの、今夜の余興の事は何か聞いてますか」探るように訪ねてみた。
俺の質問に二人は、互いの顔を見合わせた。
すると「うふふ、知ってますよ。来る時も二人で話してたのよ、どんな具合で進むのかなって」百合子さんが意味深な目をして、告げてきた。
その横から「それとね…」と、勝野さんが口元を歪めた。
「実は我々も恥を曝すんだよ。砺波さんや沙紀ちゃんにも見せたアレだよ」と、歪な笑いを拡げる。
今度は俺と沙紀が、顔を見合わせる番だった。目の前の二人は、今夜も夫婦の寝室を再現するというのか。そう、練りに練った淫靡なセックスショーを、あのお客達の前で披露するのだ。
俺達の『披露宴』は、勝野さん達のショーの後だろうか。そんな事を思い付いた時、手続きを終えたスタッフがカウンターから出て来た。そして二人のキャリーを持つと「こちらへ」と、日本語で告げたのだった。
俺達は少し後から、エレベーターに乗った。そして俺は3階、沙紀は4階で降りて分かれた。
部屋に入って暫くすると、沙紀からLINEが届いた。見ればそれは、キムさんからの伝言だった。
夕飯は早めに、一人で適当にレストランで採っておいてくれと。
食事が終わったら、6時半迄に昨日の宴会場の隣の部屋に来てくれと。そこで余興の打ち合わせをするから、と書かれていた。
沙紀の事はと考えたが、食事はキムさんと夫婦気取りで何処かで済ませるのだろうと考えた。
時刻を確認すれば、6時迄にはまだ間があるので、温泉にでも行こうかと思った。が、止める事にした。あのお客連中と顔など合わせたくない。まして混浴があって、そこで沙紀とキムさん二人と遭遇したら、惨めな想いが湧いてしまう。
それでも今ごろ沙紀は、部屋でキムさんと肌を合わせているのではと、妄想しては悶々とする俺だった。
そう言えば以前視たエロビデオで、花嫁が結婚式の控室でウエディングドレスの姿で男に犯され逝き狂う、そんなやつがあった。あぁ『披露宴』を待つ今の沙紀は、どんな気分なのだろうか。情緒は不安定で、モヤモヤとしているのだろうか。それとも、背徳感に浸る何かを求めて善からぬ行いをしていたりして。まさか新婦気分で、幸せに浸ってる事はありえない。
6時25分、身嗜みを整えている時、LINEを知らせる着音が鳴った。
確認すれば、沙紀経由のキムさんからの業務連絡だ。
《今日の砺波さんに従業員のような仕事はありません。
でも、勝野さん御夫婦のショーを見る時間もありません。隣の部屋で披露宴の支度がありますから。》
読み終えると俺は、ふうっと大きく息を吐き出した。緊張の瞬間が近づいている事を実感してしまう。
そして俺は、部屋を出て一人で7階に向かった。
昨日の宴会場『鳳凰の間』の前まで来て、辺りを見回した。人影はなく、少し進むと『STAFFONLY』のプレートが貼られた扉を見つけた。そのプレートの下には中国語のプレートもある。これもおそらく『スタッフオンリー』の意味だろう。
俺は緊張を覚えながらも、プレートが貼られたドアをノックした。しかし返事がないので、こわごわ開けてみた。ちょうどキムさんがこちらを向いていた。
「やあ砺波さん、今連絡しようと思ってたところですよ。逃げ出したんじゃないかと心配になったんでね」キムさんが俺を招き入れ、告げてきた。
「だ、大丈夫ですよ」俺は平静を装ってみせる。
「ふふっ、そうですよね。逃げたりしたら、私が新郎の代わりをやるようになるからね」
俺はゴクリと息を飲み込んだ。愛人関係の二人が、本物の夫婦になると言うのか。キムさんの笑い顔も、冗談では済まない気がしてくる。
そんな俺は、キムさんの後ろに気がいった。衝立てがあり、その向こう側では、従業員が出たり入ったりしているのだ。
キムさんが俺の視線に気がついた。
「ああ、沙紀ちゃんが着替えてるんですよ」
「着替え?」
「そうですよ。ウェディングドレスですよ」
あ!俺の口から、小さな声が上がったのだった。