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第14話


 ソファーで座ったまま眠りに落ちていた俺は、コツンという音に目を覚ました。窓に風で何かが飛んで来て、当たりでもしたのか。
 瞼がゆっくり開くと、点けっぱなしだった筈の電気が、常夜灯に変わっている。電気が点いた状態で本を読もうとしたわけだから、それは間違いない。薄闇の中、目を凝らして渋い掛け時計を見れば、まだ11時。そう、旅先ではまだ宵の口だ。


 俺は腰を上げたところで気がついた。沙紀がいない。
 トイレかそれとも部屋の浴室か、そう思いながら寝ていた筈の布団の方に足を運んだ。部屋の電気を点けてみるが、沙紀がいる気配はどこからも感じない。
 という事は?
 そこまで考えたところで、少しずつ頭の中がクッキリとしてきた。
 部屋の中を見廻せば、着替えた様子もない。沙紀は浴衣のまま部屋を出たのだ。
 この宿に売店なんかあったか?うん、あった。けど、この時間は閉まっている筈だ。
 まさか又、庭に出たのか。


 窓を開けて、身を乗り出しながら隣を覗いて見る。隣の勝野さんの部屋は、カーテンが閉まってるようだか、隙間から微かな灯りが漏れている。
 ひょっとしたら…。
 そう思った時には、身体は部屋の外へと向かっていた。


 部屋を出てみれば、廊下は薄暗い。
 大きな旅館なら、24時間あらゆる所で電気が点いているだろうが、この宿なら仕方ない。
 回廊を渡って勝野さんの部屋の前に立ち、ノックをしようとした、その時だ。
 カチャっ、音がしたかと思うと、向こうからドアがすうっと開いた。細い隙間から顔を覗かせたのは百合子さんだ。


 「あ、ちょうど良かった。ひょっとして沙紀の奴、お邪魔してませんか」
 小声で尋ねてみると、百合子さんは黙ったまま顔を振って『こっちへ』と唇だけを動かした。
 ん?と思った時には、手首が百合子さんに掴まれていた。その百合子さんからは、ぷぅんとアルコールの匂いだ。食事処から戻ってからも、飲み続けていたのか。


 部屋の踏込まで入ると直ぐに「聖也さん、ドアを閉めてこっちに」と、耳元で囁かれた。
 名前で呼ばれ、そして艶のある声を吹き掛けられて、俺の心臓が音を立て始めた。その鼓動を押さえ付けるようにか、百合子さんが抱きついてきた。いや、胸の膨らみを押し付けてきた。
 この展開は…心臓の音が更に激しく聞こえて来た。


 「ゆ、百合子さん、どうしたんですか」俺も又、名前で呼び掛けていた。
 百合子さんは抱きついたまま、顔を上げて「主人がいないんです。私がウトウトしてる間に、何処かに行ったみたいなんです」又も艶のある声がそう告げて「ひょっとしたら野天の方かもしれない」と続けた。
 「うちの…」沙紀も、と云おうとしたが止まってしまった。百合子さんが今度は、俺の手を握ったのだ。


 「聖也さん、主人がいないか見て来て頂けませんか、私まだ、酔ってるみたいなんで…」
 俺は改めて百合子さんを見た。俺を見上げる目は、潤んでいて宝石のように輝いて観える。胸の奥で何かがキリキリと鳴った。
 「わ、分かりました、ちょっと見て来ます」
 「お願い、お風呂で倒れてなければいいんだけど…」
 百合子さんの言葉を背中に受けながら、俺は部屋を後にした。
 暗い廊下を進みながら、百合子さんの言葉を考えた。確かに酔ったまま温泉に入れば、脳卒中なんかを起こしてもおかしくない。
 それと沙紀だ。勝野さんの部屋にいなかったとなると、考えられるのは温泉しかない。はたして二人は一緒にいるのだろうか。気づけば歩く速度が増している。


 大浴場の入口では『男湯』『女湯』の暖簾が、スポットで浮かび上がっていた。ここは24時間、電気が点いているのだろう。
 俺は『男湯』の暖簾を潜ろうとしたところで思いついた。女湯の脱衣場に入れば、脱いだ浴衣があるかないかで、沙紀がここに来たか分かる筈だ。しかし、一瞬躊躇した足は男湯の方に向いていた。
 そう、女湯に入るところを宿の人にでも見られたら何を勘ぐられるか分からない。盗撮の仕掛けを疑わられたら、堪ったもんじゃない。そんな事を考えつき、男湯の暖簾を潜ったのだった。