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第49話
週末、沙紀は予定通りに上海に行ってしまった。
戻りは1週間後と聞いているが、それもどうなるか心配だ。
一人になった日常は、上昇する気温のせいもあってか、バテ気味の日々となり、俺の悶々とする時間は更に熱くなって行ったのだ。
沙紀の居ない初めての休日、火曜の朝に意外な人から連絡があった。それは沙紀の叔父の澤達郎さんで、突然にLINEが来たのだ。内容と言えば、話があるので少し会えないかとのお誘いだった。
会う場所は横浜駅近くのカフェになったが、叔父と二人だけで会うのは初めての事で、沙紀の留守を知っての誘いであると勘が働いていた。俺は多少身構えるところはあったが、素直に会いに行く事にした。
目的の駅に着くまでは色んな事を考えた。顔の広い叔父が、今になって金田(キム)さんの悪い噂でも耳にしたのではないだろうか。
しかし、話の内容は予想もしていない事だったーー。
「聖也君さ、沙紀の新しい会社の社長は腰が低いし、不動産の知識もさすがにプロだね」待ち合わせの店で、叔父が席に着くなり話し出した。
「え、会ったんですか!」
驚く俺に相づちを打ち、叔父は歯切れ良く続けたのだ。なんでも、沙紀が上海に出発する前日に、キムさんと二人で叔父の会社を訪ねて来たというではないか。
「それはあれですか、単純に挨拶に来ただけなんですか」
俺の質問に叔父は、迷う事なく教えてくれた。キムさんは、沙紀の前職を無理に辞めさせたと思われたくないので、叔父に一言挨拶をしておこうと考えての訪問だったようだ。それと、新しい職場についても説明しておこうと考えていたらしい。
叔父は一通りの話を聞いて、キムさんの人と成りに満足したらしい。それから話は『不動産』の話題になったのだった。
「じゃあ、さっそく物件を?」
「いやいや、物件紹介とかはないよ。でも、不動産の事を色々と質問したら、やっぱり物知りだと思ったよ。それに誠実そうだし、沙紀も鍛えて貰えれば良いパートナーになる気がしたね。勿論、将来的に聖也君の右腕にって言う意味だよ」
嬉しそうに話す叔父とは逆に、俺の方は複雑な気分だった。だからと言って、ここでキムさんの事をあれこれと云うわけにもいかない。まして関西弁は出ませんでしたか、等とピントのズレた事も云えない。
「あの、話はそれだけだったんですかね」
「ああ、そうだね。キム社長は話が終わったら、沙紀と一緒に戻って行かれたね。僕の方は、その後は姉さんの所に行ったけど」
「え、山手の実家にですか」
「ああ、ちょうど渡すも物があったんでね。それでついでに、社長さんと会った事も云ったよ、沙紀の新しいボスは信用出来そうな人だって。姉さんも安心したんじゃないかな」
俺は話を聞きながらも、胸中がますます複雑な気持ちになっていく気がした。
「そうそう、その時姉さんが君ら夫婦の事も言ってたね」
「え、何でしょうか」
「ああ、それはね」叔父がいったん口を閉じて、身を乗り出した。「うん、あまり気にする事じゃないんだけど、子供の事だよ」
ああっと、心の中で声が上がった。そして又その話かと苦味が湧くのを感じた。
「姉さんは早く孫の顔を見たいらしいんだよね」
正直なところ、子供の話題にはウンザリした気持ちになってしまう。新婚の頃にしょっちゅう云われた事なのだ。
「でも、実際のところどうなんだい、子供の事は?作る気はあるんだろ」
目の前で小気味よく動く口元を見ながら、今日、叔父が俺を誘い出した理由が分かった気がした。おそらく、義母が沙紀の居ない間に俺に尋ねたかったのだ。しかし俺は、正直に云っておく事にした。「作る気は前からあるんですよ。でも、こればっかりはですね…」
ウンウンと、叔父が俺の目を見ながら小さく頷く。「なるほど。でも、まさか病院とかには行ってないだろ」
「ええ、病院には行った事なんてありませんよ。必要性も感じてませんし、二人で楽しみたい事もたくさんありますしね」俺は歯切れ良く返したつもりだったが、叔父の方はどう思ったかは分からない。その叔父が俺を窺いながら言う。
「まあ、姉さんが孫の話を僕にするのは一種の癖みたいなものだから、あまり気にしないで」叔父が申し訳なさそうに頭を下げている。しかし俺の方は、良い気がしない。
それからは、何処となく重い気分のまま世間話をした。やがて叔父は、この後も用事があるからと席を立ってしまった。
カフェを出た俺は、モヤモヤした気分を晴らす為に、近所の体育館のジムに寄ってから帰る事にした。
ジムが終わり、家に帰ってスマホを確認した時だ。見慣れないアドレスのメールの受信に気がついた。
一瞬迷惑メールかと思ったが、直ぐに《キムです》とある件名に驚いた。
キムさんに何かしらの目的があって、沙紀からこのアドレスを聞き出したに違いない。
俺は開けるや否や、怖々と文面を追いかけた。
《砺波さん、一人寝は如何ですか?
私と沙紀は無事に上海に着いて、順調に業務をこなしています。詳しい仕事内容に関しては、沙紀が帰ったら直接本人の口から聞いて下さい。
今日は彼女からメッセージがあります。
このアプリをダウンロードして下さい。
動画交換アプリです》
俺はメールにあるURLを開いて、指示されたとおりにアプリをダウンロードした。そして同じく、書かれていたパスワードを打ち込んだ。
浮かび出たのはキムさん専用のチャンネルか。俺は直ぐソコに動画がある事に気が付いた。そして直ぐまたソレをタップした。
動き出した動画の場面は、ホテルの一室のようだった。と言っても、如何わしい感じはしない。おそらく沙紀が滞在しているシティホテルだ。
映像はバルコニーからの景色を捉えている。高層の建物が幾つも見える。ここは上海の中心地か。
やがてカメラが室内に戻り、天井から壁、床を映して壁側のテレビに向いたと思ったらベッドで止まった。その大きさはセミダブルか。そして、そこに腰を掛けていたのは沙紀だった。
沙紀の服装は記憶にあるジーンズに、上もよく知る黄色のタンクトップだ。その姿を見て、俺は思い出した。気温は日本とそれほど変わらず、この時期は30前後で、日によっては35度位まで上がる時もあるのだとか。
それにしても、この夏初めて目にする沙紀のタンクトップ姿は何故か艶めかしく感じてしまう。沙紀はスレンダータイプだが、胸も下もそれなりの膨らみを持っているのだ。その膨らみが、今にも胸元から飛び出して来そうな気配を感じてしまう。
カメラは沙紀の表情を角度を変えながら捉えて行くが、当の沙紀はニヤニヤと笑みを続けている。
『えへ、聖也くん元気?アタシは元気だよ。と言っても凄っごく暑いけどね』
映像からは、沙紀のリラックスした雰囲気が伝わって来る。俺の方は相反して、緊張に寒気を感じてしまいそうだ。
『こっちに来て3日目だけどお仕事は順調ですよ。内容については帰ったらちゃんと報告するね。へへへ』
沙紀の口から『お仕事』と聞いても、俺の中には勘繰りがある。仕事とはアッチ方面の事ではないのかと。
『それでね、聖也くんにはチョッとしたアタシの変化を知らせておきます』
変化?沙紀の無邪気にさえ思える口調に、俺は眉間に皺を寄せて、画面に顔を近づけた。沙紀は笑みを浮かべるとパッと両手を上げた。
一瞬何の事だか意味が分からなかったが、目は沙紀の脇の下に引き寄せられしまった。カメラがソコをズームしたのだ。
あ!思わず俺は、声を上げた。それに反応するように、画面の中では沙紀がエヘヘと笑う。
『どう、聖也くん?ずいぶん伸びたでしょ』
俺が目力を入れた先には、見事に生え渡った密集があった。いわゆる脇毛が目に留まるのだ。
アップにされたソコは、時間が止まったように動かない。そしてユックリ沙紀の表情を映し、カメラは引かれて沙紀の上半身を捉えた。
はち切れそうな胸元と、万歳した脇の下の様子が、奇妙な具合だ。そして、その姿からは卑猥な色合いを感じてしまう。
『ヘへ、次はね』
沙紀がカメラ目線で呟き、立ち上がった。そしてジーンズのジッパーをジリリと下げると、膝の辺りまで降ろすではないか。
「おい、待てよ!」スマホを持つ手が震える。が、動画の沙紀は露わになったショーツの端に指をやっている。
『脇のお毛々が伸びたから、下はね』沙紀は言って前屈みになり、腰を捩(もじ)らせた。ショーツの端を掴んだ指が少しずつ降りていく…。
しかし『ふふっ、でも今日はここまでだよ』言うなり沙紀は、ジーンズが半分降りたまま、ベッドに腰を降ろしてしまった。そして視線を斜め上に向けた。その視線の先で、カメラを構えているのはキムさんに違いない。
動画はそこで突然のように終わってしまったが、俺の方には悶々とするもどかしさだけが残った。この動画はいつ撮られたものかは分からないが、沙紀の表情から後ろめたさは微塵も感じられなかった。と言う事は、二人は新婚旅行気分で仕事もプライベートも楽しく過ごしているというのか…。
暗くなったスマホ画面を見ながら俺は、不穏な自分を意識していたのだった。