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第44話
張さんの所から勝野邸経由で何とか我が家まで帰って来れた俺。
ここは彼等が住むタワマンに比べれば貧相に見えるが、一応オートロック付きのマンション、35年ローンで買った俺達夫婦の城だ。
駐車場から、部屋に向かう足取りは重かった。いつもと違ってロビーの操作パネルで帰宅を知らせず、自分の鍵でオートロックを解除した。
もちろん驚かせるつもりなどは無くて、気持ちが竦んでいるのだ。
部屋のドアもインタフォンを鳴らさず鍵で開けた。
玄関に足を踏み入れた瞬間、見慣れた靴と覚えのない男物の靴が目に入った。誰かいるのだ!俺は不審を覚えながらも靴を脱ぐと、足音を立てないように中へ進んだ。
リビングに続くドアを開けたところで、冷んやりした空気を感じた。冷房を入れてもおかしくない気候だろうが、この冷気には心が凍(しば)れる気がする。
足を踏み入れれば、確かに人の気配を感じた。テーブルの上に侵入者の存在を示すように缶ビールが2本置かれてあるのだ。
沙紀の名前を呼ぼうとしたところで、奥の寝室のドアが僅かに開いているのに気がついた。
俺はそこへ、恐々と足を運んだ。
ドアの隙間は3、4センチほど。中から影になるようにして、俺は耳を近づけた。
「うおおっ、気持ちエエわぁ」
いきなり聞こえて来たのは、男声の関西弁だった。
「あぁ、ほんまエエわ、沙紀ちゃんのアナル舐めわ。旦那にもやってるんか?」
その声で瞬時に、身体が強張った。そんな俺の気配など知らずに、続けざまに声が聞こえてくる。
「ぷはっ、アナル舐めなんて、聖也くんにやった事ありません」
それは間違うはずのない沙紀の声。こめかみがヒリヒリと震えてくる。
「沙紀ちゃん、また勃(た)ってきそうや」
「え、さっき逝ったばかりなのに」
「あんたの舌使いが最高なんや。不倫相手の医者にだいぶ仕込まれたんやろ」
「その事はもう言わないで下さい」
情痴の会話にヒリヒリ感が増してくる。クーラーの冷気は何処かに行っている。
「ほら、もっと続けて。奥まで舌入れてや」
男が言うや、ピチャピチャと濁音が聞こえて来た。
「あぁ…天国に昇るようや。砺波さんも幸せ者やなあ」
名前を口にされた事にも緊張が走る。それに俺は、アナル舐めなどされた事がない。
「よっしゃ、勃(た)ってきたで。今度はどうしよ?」
男の声と同時に、プハっと音が吐き出されのが分かった。
その声が「今度は…犬の格好で」と小さいながらしっかりと答えている。
「またバックかい。後ろからがエエんやなぁ」
直ぐに布団の擦れる音がする。沙紀が向きを変えたのだ。
「それにしてもエエ尻(ケツ)や。ほら、もっと突き出し」
頭の中に見慣れてる筈の、沙紀の肢体が浮かぶ。
「ほな、さっそく挿れるで」
男が云った瞬間、思わず俺はドアを開けていた。
目に飛び込んで来たのは、ベットの上で四つん這いになった沙紀と、その後ろから腰を当てた男の姿だ。二人の顔はドアの方、俺に向いている。
「あらら、砺波さんか。さっき人の気配がしたと思ったけど、やっぱり帰ってたんや」
俺は関西弁の男の顔をグッと睨み付けた。
「あっ、金田さん!」
驚きを上げた俺の顔を、金田さんが見据えて来る。まるで観察でもするかのようにだ。そして、四つ身で顔を向ける沙紀の表情は唖然としている。
「せ、聖也くん…」
沙紀が呟いた途端、時間が止まってしまったように沈黙が訪れた。金田さんの口元だけが、ニヤニヤと歪みを繰り返す。
バチン!
静寂が沙紀の横尻を叩く音で破られた。
「アンっ、聖也くん、これは…」
「沙紀ちゃん、ちょい待ち」金田さんが沙紀の尻をペチペチと叩き、腰を離す。
金田さんの身体つきを見れば、これまでのイメージとは違っている。比較的細身と思われていた身体は、鍛え抜かれた筋肉で覆われているのだ。ラグビーをやってた俺より筋肉質に観える。
「さてと、どうしましょ。沙紀ちゃん、あんたから説明するか?」
沙紀に向かう言葉は、先ほどからリラックスされたものだ。気づけば、俺の手が震えている。それを気づかれないようにと、拳を胸の前できつく握りしめた。
沙紀は一糸も纏わない身体で、呆然と俺の顔を見上げていたが、その口元が微かに揺れた。
「だからね…聖也くんが冬子ちゃんとセックスをしてるところを見ちゃったし…それに、それが強姦だなんて聞いたもんだから」沙紀が俺を見上げたまま唇だけを動かしている。「アタシ凄くショックで、それに冬子ちゃんにも申し訳なくて…」
俺は無意識に唇を噛み結んだ。沙紀は俺の様子を伺いながら話を続ける。
「その冬子ちゃんに彼氏がいる事も聞いて、その人が勝野さんやキムさんの大切なお客様だったって聞かされると、アタシいてもたってもいられなくなったのね」
と、沙紀の声が涙声に変わってきた。
「沙紀ちゃん、大丈夫か。後は俺が話そか?」
金田(キム)さんが沙紀の背中を撫でている。沙紀は一旦身体を起こして、横膝になるとシーツを胸に抱えて首を振った。
「アタシが話します」小さいがシッカリした声で、沙紀が云った。そして再び、俺を見上げる。
沙紀の後ろでは、キムさんが股間を追っ拡げられたままだ、腰を落ち着けた。
「アタシね、張さんに直接謝りたかったから百合子さんにお願いしたのよ。最初は興奮してて支離滅裂だったけど、百合子さんがよく聞いてくれて、何とかアタシの気持ちは伝わったの。でも百合子さんが言うには、張さんは変わった人だから、変な事を要求されるわよって云われたのね」
そこまで云うと、沙紀がチラリと後ろを振り返った。キムさんは大人しくこちらを見据えている。
「張さんの所に連れて行ってもらったら、色々と驚いたわ。凄いお金持ちだって分かったし、迫力もあったし。でも、謝罪の言葉を伝えたら同情もしてくれて…。それに、恋人の冬子ちゃんの事を大切にしてるのも分かったし」
沙紀は時おりクーラーの冷気を感じ始めたのか、身体を包むシーツの端を握りしめている。
「それで、張さんがアタシが納得するならと要求を出してきたの」
沙紀の目を見ながら、俺は静かに頷いた。
「沙紀は張さんから按摩のようなマッサージも受けてたんだろ」
俺の問い掛けに沙紀は黙って頷く。
「張さんは、こちらのキムさん…」と言いながら振り返った。キムさんが静かに頷き返す。
「『キムさんとセックスを披露して、私の気持ちを鎮めて和ませて下さいく。序でに貴女の欲求も解消して、嫌な事は忘れなさい』って云われたの」
「そうなのか…」
張さんから聞いた通りの話だったが、改まって沙紀が口にすると、俺の精神は痺れを感じてしまう。
「だからねアタシね、こちらのキムさんとセックスしたのよ」
沙紀の沈痛な声だった。その声を聞く俺の足元は、震えを起こしていたのだった。