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第28話
沙紀の実家を出て、マンションに帰る車の中だった。
「そうだわ、明日だけどアタシ出掛けるね」
「え、なに!?」
「今朝ね、百合子さんからLINEが来てたのよ」
「ああ…」やっぱり来たのか、俺はハンドルを握りながら頭の中で呟いた。
「それでね、この間約束したスパ、そこに誘われたの。行ってもいいよね」
「いいよねって、ダメとは言えないでしょ。この間そう言う話になったし」
「やった、お土産あれば買って来るからね」
「お土産って、どこまで行くの?」
「え~っとね、六本木だったか麻布だったか、あの辺」
「ああ、あの辺りか。あの辺りなら確かに、俺からしたら土産を期待する場所だわ」
「ふふ、聖也くん、何か拗ねてるみたい」
チラッと横を見れば、沙紀が嬉しそうに笑っていた。その顔は無邪気なものに観えてしまう。
次の日、俺も沙紀も仕事は休みで、沙紀は昨日云ってた通り、百合子さんと会いに昼前に家を出た。向かった先は六本木方面にある高級スパと言う事だが、俺の方は地元の体育館に筋トレをしに出掛けた。
この日、沙紀は夕飯前にはマンションに帰って来た。途中で、夕飯は食べて帰るから、そんな連絡を覚悟していた俺は、沙紀の帰宅にホッとしていた。
沙紀が簡単な夕食の準備を終えて、席に着いた時だ。
「それでさ、今日の百合子さんとのデートはどうだったの」俺は何気ない口調を装って尋ねてみた。
沙紀の話によれば、今日行ったスパは美容の為のものなら一通り何でも揃ってる所らしく、この日はスパ、エステ、そして軽食を楽しんで来たとの事だった。それらは全て、一般会員用と特別会員用に分かれていて、百合子さんは特別会員なので、スパなどは貸し切り状態との事だった。
そのスパでは他に利用客がいなかったのをいい事に、二人は全裸になって操(はしゃ)ぎ回ったとか。
俺はそこで、沙紀が百合子さんから性的な誘いを受けなかったとか、気になる事はあったが特にそんな事もなく、健全な時間を過ごしたようだった。
そんな話は鵜呑みにしてよいかどうか、判断は難しいところだったが、沙紀の明るい表情にはホッとした俺だった。
それからと言うもの、沙紀は百合子さんと週に1回の割合で火曜か水曜のどちらかに会うようになった。二人の目的は美容なのだが、時折り映画や買い物もあったようだ。
その間の俺はと言えば、仕事が思った以上のベクトルに入って、忙しさが増して来ていた。6月の終わり頃には又、温泉に行ければと思っていたのに、その予定が立つ事もなく季節は初夏を迎えた。
そんなある日の事だ。勤め先の会社に意外な人が突然やって来た。
『砺波さん、お客様ですよ』
受け付からの内線だった。
『KS東京さんです』
その名前に直ぐに、同業者の挨拶回りだと直感した。しかし何故俺を名指しで、と一瞬思ったが深く考えず、上司に一声掛けて接客フロアに行く事にした。
個室をノックして「失礼します」扉を開けて、見えたその姿に足がピタリと止ってしまった。
「すいません。近くまで来たので思わず寄らせてもらいました」立ち上がった男が歯切れよく話し出したかと思うと、軽く頭を下げた。勝野志郎さんだった。
唖然とした俺の前で「こちらは金田さんといって、私の仕事仲間です」と、勝野さんが隣の細身の男を紹介した。
「はじめまして」その男は落ち着いた声で会釈した。第一印象は、物静かで大人しそうな感じの人、だった。
勝野さんは、例の温泉で会った時とは雰囲気が少し違って観えた。髪型も前髪を短くしたベリーショートと云われるもので、無理矢理若作りしてるように見えなくもないが、ブレザーをラフに着こなす姿は、抜かりのないブローカーといった感じがした。
「砺波さん、突然にすいませんね。たまたま近くで打ち合わせがありましてね。御社の事は沙紀さん経由でうちのから聞いてたもんですから」
話し始めた勝野さんを横目に、俺は隣の男を観察し始めていた。
この金田さんとやらは40前後にみえて、こちらのベリーショートは嫌味なく決まってる感じだ。薄手のブレザーも季節と相成って上手く着こなしてるように思える。
その時、事務の女性がお茶を持ってきてくれた。彼女が部屋を出ると、勝野さんが改めて「すいませんね、お忙しいのに」と頭を下げる。そして、ご機嫌伺いのように景気の様子を訊いてきた。勿論、商売の話だ。
俺の仕事と勝野さんの仕事は、同じ不動産を扱ってるとはいえ、スタイルが違っている。分かりやすく言えば俺は個人のお客様に住宅を、勝野さんは投資家に利回り物件を紹介しているのだ。
「砺波さんのところは、事業用の不動産は全く扱わないのですか」
勝野さんとの会話が途切れたタイミングで金田さんが話し掛けて来た。その声は綺麗に伸びて、声優を思わせる。
「全く無いという事はありません。家を買ったお客様からビルを探してくれと云われる事もありますし、所有してる物を売ってくれと頼まれる事もありますから」
「なるほどですね。でも自分達から率先してまで、事業用はやらないと言う事なんですね」
「仰る通りです。ところで、金田さんも事業用の不動産を?」
金田さんが薄く笑って、バックに手をやった。「名刺を出すの忘れてましたね。勝野社長には、いつもお世話になっています」と、名刺を出してきた。
「社長って、いつもは呼ばないくせに」と、隣で勝野さんが薄笑いしながら、同じようにバックの中から名刺を取り出している。
二人から名刺を受け取り、俺も自分のを2枚取り出した。 交換したところで、それを確認する。
『株式会社KS東京・代表取締役』とある。港区の住所に各種電話番号、FAX、メールアドレスの記載はあるが、ホームページのURLの記載はない。
金田さんの名刺はシンプルで『有限会社サライ交易』港区住所、携帯にメールアドレスだけの記載だった。
俺はその名刺を見て、一つ気になる事が浮かんだ。
「交易、とありますけど貿易もやってるんですか」
「いえ、私の叔父が以前に仲間と貿易をやってた時の会社でして、叔父が死んで会社を畳もうかとなった時に私が譲り受けましてね。貿易はやるつもりはなかったんですけど、社名を変えるのもその時は面倒くさかったので、そのままなんですよ。今はこの社名のまま、不動産に絡む事を色々とやる便利屋みたいなものです」
「便利屋ですか」
「ええ、ドブ浚いとか人浚いとかもね」
「え、人拐い!」
「ふふ、初対面の人には、いつもそう言う冗談を云う事にしてます」
「あ、だからサライら」
俺が笑ったのを見て、勝野さんが付け足す。「でも、金(キム)さんは昔から中国方面に強くてね、良いお客様を紹介してもらってます」
「じゃあ、あの温泉の…」
「そうそう、砺波さんが帰られた次の日も、私らは泊まって接待だって言ったでしょ。あの時のお相手が、こちらの金(キム)さん御一行だったんですよ」
その時、隣で話を聞いている金田さんの唇が、ニヤっと歪んで観えた気がしたのだった。