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第19話


  朝食の時間が、思い掛けない事に沙紀の告白、いや回想の時間になってしまった。沙紀は箸を持ったままで、夕べの深夜の出来事を話し始めたのだ。
 「そう、夜中にアタシ目を覚ましたのよ。聖也くんはね、ソファーで鼾かいて寝てたわ」と沙紀が笑う。
 「電気を消して、アタシももう一度寝ようとしたんだけど、聖也くんの鼾がうるさくて眠れなくてさ」と、又も笑う。


 「それで風呂に行く事にしたんだな」
 「うん、聖也くんも誘おうと思ったんだよ。でも、気持ちよさそうに寝てたから」
 「ああ…」
 「それで結局、一人で行く事にしたの」
 「分かった。それから」
 「行ったらほら、貸し切り状態だから、使いたい放題で泳いだりしてたのよ」
 「なるほど、それは露天の方で?」
 「そうそう、それから野天風呂の方に行く事にしたの」
 「野天に行く道って怖くなかった?」
 「ああ、そうねぇ、ちょっと不気味な感じはしたかな。でも、ふふっ、素っ裸で歩くのが何だか楽しかったわ」
 沙紀らしいやと思って、俺はぎこちなく笑う。


 「それでどうだったの、野天風呂は」
 「そうねぇ、その辺りの記憶が曖昧なんだけど…」
 沙紀を見る俺の目が鋭くなっていく。
 「そうだわ、アタシね、野天の湯船でいい気持ちになって、ウトウトしちゃったんだ」
 「それは自分で気付いたの?」
 「えっと、どうだっけか、ちょっと待って」
 沙紀の目が宙をさまよった。何かを思い出そうとしている。
 「…誰かに起こされたとか」
 「そうだ、勝野さんだわ」
 その言葉に、俺はそっと頷いた。
 「そうなの、湯船に浸かってたら勝野さんが入って来たのよ」
 「勝野さんが沙紀より後に入って来たの」
 「あれっ、どうだっけか、でも野天ってそこそこ広いし、湯気もモワモワしてたし、気づかなかっただけかもしれない」
 「それはそうだよな。で、沙紀は勝野さんと話をしたんだろ」
 「うん、湯船に浸かってたら背中の方から『奥さん』って声を掛けられたのよ」
 「それで」
 「アタシ、びっくりしたんだけど『勝野です』って、湯船の中をスーッと近づいて来たのよ」
 「それでどうしたんだっけ。百合子さんはいないんですか、とか訊かなかったの」
 「そうそう、向こうから『ご主人は?』って聞いてきたんだ」
 「なるほど。で?」
 「部屋で寝てますって云ったら『うちのもです』って勝野さんが云ったんだ」
 「沙紀はその時、ヤバいって思わなかった?」
 「うん、思った。それでね、勝野さんがよいしょって、縁(ヘリ)って言うのかな、そこに腰掛けたのよ」
 「沙紀は浸かったまま?」
 「そう、首まで浸かってたの。それでね、アタシの視線がちょうど勝野さんのアソコだったの」
 「分かる。目の前にアレがあったんだな」
 「大きかった。それにやっぱりゴツゴツしてた」
 「ああ、そうだな」
 「うん、ソレを見てたらね、ズーンと気持ちが惹きつけられていったの…」
 「魅入られたって事か」
 「そう、そんな感じ…」
 「で?」
 「えっ!?」
 「それからどうしたの、何かあった?」
 「ん~その辺の記憶がまだ曖昧なんだけど…」
 「逆上(のぼ)せてたんだな」
 「たぶん…でも、裸を見られた記憶はあるわ。うん、思い出してきた。恥ずかしい気持ちも覚えてる。ひょっとしたらアソコも見られたかもしれない。それとね、ああっ!」
 「どうした!」
 その時、俺を見る沙紀の目が、すうっと沈んでいった。
 「ど、どうしたんだ沙紀」俺の声が震えを帯びている。


 沙紀の目がトロンとして、顔全体も能面のように表情が消えて「あのねぇ、誰かが…」と云いかけて「やっぱり違うわ」と、急に顔付きが元に戻った。
 「大丈夫かよ、沙紀」
 「へ?んん…ねぇ、聖也くんはアタシの裸を見られたのがショック?お尻とかアソコとか見られたかもしれないわよ」
 沙紀の言葉に、一瞬息が止ってしまった。
 「でも聖也くんも、百合子さんの裸見てるもんね、オッパイもお尻もアソコだってね」と、沙紀が作り笑いの顔だ。
 口を閉ざしてしまった俺だったが、自分にも言い聞かせるように「やっぱり朝っぱらから、この手の話はマズイよな」と告げて、食事を進める事にした。だが、二人の間に微妙な空気が生まれた気がしていた。沙紀もおそらく、そんな気配を察知したのではないだろうか。


 部屋に戻ってからは、二人とも読書をした。今までの旅行のパターンなら、朝風呂に浸かって、もう一度セックスに励んでもよかったのだが、出発の時間になるまで本を読んでいたのだ。
 結局、勝野夫妻とは顔を合わせる事はなく、昼前には次の目的地に向った。ここから更に奥に入った湯船集落だ。
 しかしそこでも、俺達夫婦の間は、どこかよそよそしいものになっていた。冗談があり、笑いもあるのだが、急に空気が変わる時があったのだ。そしてそれは、横浜に戻ってからも暫く続くのだった。