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第10話
食事処で、俺達の斜め前の席に座っていた奥さん。その奥さんの浴衣の裾が乱れて、足首から脹脛(ふくらはぎ)までが露(あらわ)になっていた。足首の踝(くるぶし)辺りに、痣のようなものがある。俺は、その紅い華のような印に魅入っていた。
薔薇かな、そう思った瞬間「あ痛たぁ」もう一度奥さんから声がした。
奥さんの前では、男が何も言わず黙ってニヤついている。男の目は俺を見てる?そう思ったタイミングで「ご主人、いい顔色になってきましたね。どうですか、良かったらご一緒に」そう云うと続けて「ねぇ奥さん」と沙紀に顔を向けた。
沙紀は呼び掛けに、斜め後ろを振り返った。
「ええっ、そうですねぇ…」
その生返事に、男の目がニコリとした。確かに沙紀が云ってた通りのタレ気味の優しそうな目だ。
「じゃあ、こっちのテーブルをくっ付けるか」
云うと直ぐに、男の腰が上がっていた。男は赤ら顔のままテキパキとテーブルを寄せると、空いた皿を端に寄せて台布巾で拭き始めた。
俺は男の動きに釣られるように自分のグラスに手をやって、腰を浮かせていた。それからあっという間に、小さな宴席が出来上がった。
俺は奥さんの隣に、沙紀は男の横に腰をおろして、向き合う格好で席に座った。
奥さんは暫く痺れた足を揉んでいたが、今は横膝で座っている。踝(くるぶし)辺りにあった薔薇の模様を確かめたい気持ちはあるが、ここでシゲシゲと見るわけにはいかない。
男の方は追加のビールを注文している。
新しいジョッキは直ぐに来た。
「じゃあ、改めて乾杯しましょうか」男がジョッキを持ち上げた。
4人がそれぞれ、ジョッキを手にしたところで「乾杯」と声が上がった。
プハッと男が半分ほど飲み干して「そうだ、自己紹介まだでしたね。私、勝野志郎といいます。これは妻の百合子です」
ご主人ーー勝野さんの声に、俺達は姿勢を正して「はい、実は仲居さんから、お名前だけは聞いてました」と、ペコリと頭を下げて「僕は、砺波聖也といいます。こっちは妻の沙紀です」と、もう一度会釈した。
勝野さんは、俺の挨拶を笑みを浮かべて聞いていた。
それからの4人は、料理の品評をしながら、時おり勝野夫妻が宿の良さを我が事のように俺達に聞かせた。
酒のペースは、勝野さんが1番早かったが、顔色の割には酔ってる感じはしなかった。百合子さんは口数も少なく、酒は飲んでいたがハメを外す感じではなかった。ひょっとして、野天での行為を今になって思い出しているのか、等と考えてしまうのだった。
俺は勝野さんのペースに負けないように無意識に意地になっていたのか、飲むペースが上がっていた。沙紀の方も何かに後押しされたのか、ジョッキを口に運ぶ回数はいつもより多かった。
話題はやがて、お互いの住まいや仕事の事になっていった。
「そうなんだ、横浜なんですね。私達は品川だから、それほど離れてる感じはしないね」
勝野さんの声に俺は「はい、僕は北陸の出身なんですけど、今は妻の実家の近くに住んでます。仕事も、僕も妻も横浜なんですよ」と、口調が滑らかになっていた。
「職場も横浜ですか、因みにどんな」
「はい、不動産会社です。妻は貿易会社の事務なんですが」
「ああ、偶然ね」隣から奥さん、百合子さんの声がした。
「主人も不動産なんですよ」
「あ、社長さんですか」と沙紀の声だ。その声の大きさに、3人の視線が一斉に沙紀に向いた。
「ごめんなさい、貫禄があるから絶対そうだって…」
沙紀の言葉に俺の中では同意の声が上がっていた。