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私はいつの間に眠ってしまったのだろうか。
 イスに座ったまま不自由な格好で寝たからだろう、身体の節々がしびれていた。
 窓からは朝の光がそんな私など気にする事無く、部屋の隅々まで行き渡ろうとしていた。


 (何時ごろだ・・・)
 私は点(つ)けっぱなしだったパソコンを見ながら身体を起こした。


 (・・・・・・)
 夕べ見たかおりのビデオを思い出し、そして今 この家の中にいるのが自分ひとりだと言う事に気づくと、改めて現実を実感し始めた。


 “ふー”・・・息を大きく吐き出すと、私は1階へと降りて行き、もう一度家の中を歩き回って見た。
 かおりの洋服タンスを隅から隅までひっくり返し、続いて化粧台の引き出しの中を調べても、それらの中からは手がかりになる様な物は現れなかった。
 ネットから仕入れた情報・・・“妻の浮気”を示す証拠として、“下着が派手になる”と言うのがあったが、今見たタンス等の中からはそれらしい物は何も発見出来なかった。
 かおりは証拠となりそうな物は全て一緒に持って出たのだろうか・・・。


 しばらくして空腹感を思い出した私は、パンを焼きコーヒーを煎(い)れていた。
 私はドリッパーから落ちるコーヒーをボンヤリ見ていた。
 (今日は、何処へ行こう・・・)


 その時だった。
 居間にある固定電話が鳴り始めた。
 飛び上がるように驚いた私がそれに近づくと、そこのナンバーディスプレイに“公衆電話”の文字があった。
 “ゴクリ”・・・私は唾を飲み込むと、ゆっくり受話器を掴(つか)んだ。


 「はい・・・もしもし・・・」
 私の声は幾分か震えていた。


 『・・・・・・・・・』
 「もしもし・・・もしもし・・・」


 『・・・もしもし・・・・・・・あなた・・』
 「かおり!」
 受話器の向こうで静かに吐き出された言葉は確かにかおりのものだった。


 『・・・あなた・・・ごめんなさい・・・』
 「・・・い 今 どこだ・・・・・何処にいるんだ・・・・」
 私は心細そうに聞こえてくるかおりの声に、受話器を持つ手に自然と力が入った。


 『・・・あなた・・・お話が・・あります・・』
 「・・・・うん・・・お 俺もだ・・・い 今何処だ・・はやく帰って来い・・・」


 『・・・・・いえ・・・そこには・・・』
 「・・・な 何を言ってる・・・俺達の家じゃないか・・・」
 この時 私の心の中には “妻の浮気” や“妻の裏切り”といった言葉は無かった。
 純粋に妻のかおりの身を心配していたはずだった・・・ましてビデオの中の痴態も脅された上での行為なのではないか・・・そんな考えも残っていたのかも知れない。


 『・・・・・・・』
 「・・・・・・・」


 しばらく二人に沈黙が流れていた。
 『・・あなた・・・今から・・言う所にきて下さい・・』
 「なっ 何で・・・」


 『・・・お願いします・・・』
 「ど どこへ・・・それに・・・何で・・」
 私は同じ言葉を繰り返した。


 『・・・○○駅の・・・北口のホテル○○○○・・です・・』
 かおりはその界隈では比較的新しいシティホテルの名前を告げていた。


 「・・・・・・・」
 『・・・お願いします・・』


 しばらくの沈黙に身を置いていた私の中に、怒りの気持ちが湧いて来た。
 なぜ・・・俺が行かないといけない・・・。
 俺がどれだけ心配していたと思ってるんだ・・。


 「おい いい加減にしろよ、俺がどんなに心配したと思ってるんだ・・・・」
 『・・・・・・・・・・』


 「・・おい 何とか言えよ」
 『・・・・・・・・・・』


 「かおり・・・お前 今男と一緒なのか」
 私は電話を取った最初に言わなければいけなかったかも知れない言葉を吐き出した。


 『・・・・・す すいません・・・・今は・・・・・・ご ごしゅじ・・・ん・・さ・・ま・・・・と一緒です・・』
 「・・・・・・・」
 妻の声は最後の方は小さく聞き取れなかったが、確かに誰かと一緒だと言ったのは理解できた。


 「お お前・・・そうか・・・一緒にいるんだな・・・」
 『・・・・・・・・は・・い』
 沈黙の後 かおりは今度ははっきりと返事をした。


 再び私の頭の中で怒りのマグマが湧きあがろうとしていた。
 「・・・かおり・・そいつがホテル○○○○に来いと言ってるのか」
 『・・・・・・』


 「おい・・どうなんだよ」
 『・・・・はい・・そうです・・・・2219号室です』


 (・・・・・・・・)


 「よし そこに行ってやる、待ってろ」
 再び沈黙が流れた後 私はその言葉を吐き出すと受話器を叩きつけた。