小説本文



『・・・・・・・』
 「・・・・・・・」


 二人にしばらく沈黙が続いた後 私の方が口を開いた。
 「・・・奥村 悪かった、・・・かおりの事でいろいろあってな・・」


 (・・・・・・・)
 私はてっきり奥村の口からも機嫌直しの言葉が出てくると思った・・・しかし。


 『へっ  へへへ  おめでたい奴だな』
 「なっ・・・・」


 『おい 近藤、一つ言っとくぞ・・・俺はなぁ これからは欲望の為だけに生きる事にしたんだ。前みたいに他人の幸せをただ指を咥えて見てるだけの人生はやめにしたんだよ』
 「・・お おい どうしたんだよ いきなり・・・」


 『ふん お前のように幸せな家庭を持ってる奴を羨(うらや)ましがってただ黙って見てるのは止めたんだよ、これからは欲しい物は力ずくでも取る事にしたんだよ』
 「お前・・・自分が離婚した事を言ってるのか・・・」


 『うるさい・・・そんな事はもういいんだよ・・・・・せいぜい家庭を大事にするんだな・・・まあ 出来ればの話だけどな へっ へへ』
 「お おい それは どういう意味だ」


 『ふん 人は変るって言う事さ・・・かおりちゃんだってな・・・お前も今度 あの女に会えるのを楽しみにしとけよな、ふふふふ』
 (・・・・・・・・)
 そう言って電話を切った奥村の最後の笑いに、私の背筋に冷たいものが走った。


 (かおりが・・・変る・・)
 (もう 変ってるんだよ・・・)
 (・・・でもそれ以上に変ってるって言う事なのか・・・)


 (“K”・・・・奥村一博・・・オクムラカズヒロ・・・カズヒロのK・・・あいつがKなのか・・)


 そこまで考えると、私にはもう立っている力さえも残っていなかった。
 そのままベットの上に倒れると、一瞬のうちに深い闇に落ちていくように眠りについた。



 目覚めたのは何時ごろだったのか。
 サラリーマンの悲しい性(さが)なのか、どんなに辛い事があっても時間が来れば反応してしまう。
 私は時計をみてホッとする自分に嫌気を感じながら出社の準備に移った。
 

 アパートを出る時、会社に行ったら休暇願いを出そうと思っていた。
 赴任先(ここ)にいては、かおりを見つける事は不可能だろう。
 出張が本当だとしても1週間後にかおりが帰ってくる保証はなかった。
 まさか家族を・・・まして子供を置いてこのまま姿を消すとは思えなかったが、奥村の言ったあの言葉が気になっていた。
 『人は変るって言う事さ・・・かおりちゃんだってな』


 会社に着いた私はすぐに上司の元に行き、休暇の申請を行なった。
 当然 上司からの圧力や小言、それに嘆願もあった。
 それでもこの短気な上司が認めてくれたのは、私の言葉に並々ならぬ決意のようなものを感じてくれたからだろう。
 結局 今日明日からはさすがに無理と言うことで、2日後からしばらくの休暇が認められた。


 私はその日 かおりの携帯に何度も電話をいれてみたが、覚悟していた通りすべて留守電になっていた。
 かおりが私に伝えていた勤務先の電話番号も架空のものだった。


 次の日も朝から仕事の合間を見てはかおりに電話を入れたが、結局繋がる事は一度も無かった。
 そしてその日 明日の帰宅に備えて比較的早目の帰宅の途についた。
 アパートに戻った私は茶封筒が届いてない事を確認すると、習慣のようにパソコンのスイッチを入れた。
 メールBOXを開くと、私の目にあの文字が飛び込んできた。


 件名はいつもと同じで“K”。
 メールの本文は一言。
 《近いうちに自宅に送ります》


 (!何だと・・・)
 なぜ自宅に・・・私はしばらくその意味を考えていた。
 私はすでにKの掌(てのひら)で躍っているのだろうか。
 先日の奥村との会話が筒抜けで、私の行動のパターンを読まれたのか。
 それともやはり奥村自身がKなのか。
 

 見えない敵に脅威を感じながらも、私は前に進もうと思った。
 (まさか命まで取られることは無い)
 私は自分に言い聞かせながら、明日の準備に取り掛かった。


 次の日は朝早くにアパートを出て自宅へと向った。
 新幹線から景色を眺めながら“この風景をもう一度見る事ができるか” ・・そんなセンチメンタルな気分になった。


 駅に着いた私は電車を乗り換え本社へと向った。
 この広い東京で妻のかおりを捜すのは至難の業だ。


 かおりは間違いなくKといるはずだ。
 Kを捜す事がかおりにたどり着く早道だ。
 そう考えた私は、私の記憶に“疑惑”を植え付けた3人の男たち・・・小酒井栄治・・・花岡弘治・・・それと奥村一博。
 この3人の中の誰かが“K”なのか・・・あくまで私の推測でしかないその候補者を一人ずつあたる事を考えていた。
 その一人目が“花岡弘治”だった。