小説本文



それは、私に単身赴任の辞令が降りる前から既に始まっていたのかもしれない。
 それまで2ヶ月に1度の割合で2、3日の泊まりの出張はあったが、それが1ヶ月に1度となり、半月に1度となり、ついには会社は私に単身赴任を命じたのだった。


 あの日 私が赴任先へ向かう日の朝、新幹線のホームで見送りに来た妻が見せた寂しげな表情・・・私はそれが一時の別居(わかれ)に対する表れかと思っていた。
 しかし 新幹線の座席から流れいく景色を見ながら、先程の妻の表情にも私は楽観視していた。
 妻のかおりは心配性の私と違って明るく活発で、昔からスポーツ好きなアウトドア派だった。
 そんな妻の寂しげな表情は一時のもの、活発な二人の男の子に囲まれていれば夫の不在など心配する暇などないだろう・・・その時の私はそんな風に考えていた。


 赴任先のアパートに着いて、ある程度の生活環境が整ったのは2週間近くが経った頃だった。
 今では一人暮らしにもインターネットはあたり前だった。
 新しいパソコンで初めてのメールを妻に送っていた。


 《みんな元気? 俺は元気だよ。2週間後に1度そっちに戻れると思う。身体に気をつけてね。それと浮気しないように・・ねっ》


 次の日の朝 メールを確認すると妻からの返事が届いていた。
 《こっちはみんな元気です。あなたも身体に気をつけてね。それと浮気なんかする訳ないでしょ、あなたこそしないでね・・えへ》


 夫婦仲は良好だったと思う。
 今年41歳になった私 近藤ゆうじ、妻 かおり39歳、そして二人の子供・・高校1年のあつし と中学1年のたくみ。
 サラリーマン社会の厳しさを感じながらも、パートで働く妻と男の子二人に囲まれた生活は幸せなものだった。
 夜の生活こそ長男が中学生になった頃から回数が減り、半年以上セックスレス状態が続く事もあったが、歳相応に回数が減るのは自然な事だし、世間で言う浮気・不倫騒動なども、私達にとってはどこか遠い世界の事だと思っていた。


 仕事は早くも多忙を極め、赴任直前に上司や同僚が言った“栄転”の言葉を胸に日々励(はげ)んでいた。
 予定していた初めての帰宅は見送られ、代わりに楽しむものと言ったら酒とネットだった。
 街中からはずれに有るこのアパートの周辺には気の利いた飲み屋もなく、仕事帰りにコンビニで弁当と缶ビールを買うのが日課になっていた。


 独り身の寂しさか、あるいは気軽さなのか、ネットの検索履歴には“デリヘル”  “風俗” “ヌード” そんな言葉が並ぶようになっていた。
 若い女の裸・・・男が対象とするキーワードだと思っていたが、いつの間にかネットサーフィンでたどり着くのは、“熟女” “素人” “人妻” そんな言葉に代わっていた。
 離れて暮らしてみて改めて妻を性の対象として見直せるようになっていたのかもしれなかった。
 妻と同じ年代の奥様の痴態・・・いつしか私はそれを妻に置き換えて自慰をするようになっていた。


 単身赴任してから初めて自宅に帰れたのは2ヶ月近くが経った頃だった。
 本社での会議が終わった時 後ろから私の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
 「おい 近藤」
 そこには同期入社の花岡の、小柄な姿があった。


 「おお 花岡か、久しぶりだな。元気かよ」
 「ああ 俺は元気だ。それよりお前の方は どうだ?」


 「まあまあかな、一人暮らしも慣れてみたらいいもんだぞ」
 「ふふ そうか、あっちの方はどうなんだ?かおりさんに黙って悪さしてるんじゃないのか?」
 花岡弘治(ハナオカ コウジ)・・・昔から下ネタ好きなこいつの一言が、なぜだか心をリラックスさせてくれた。

 
 「ば~か、俺は愛妻家なんだぜ、お前も知ってるだろ。今でも独身貴族のお前とは違うんだよ」
 「へへ 俺が独身なのは、かおりさんの様な女(ひと)との出会いを待ってるからなんだぜ」


 「はは 又その話か、帰ったらもう1度かおりに聞かせてやるよ。女は同じ話しでも、自分が嬉しくなる話しなら何回でも聞くからな」
 「ははは そうか。じゃあ ついでに“旦那がいなくて寂しかったら俺のところに来い”って言っといてくれよ」
 私は久しぶりの同僚とのそんな冗談に気持ちが軽くなっていった。

 
 「そう言えば 近藤、2週間くらい前にかおりさんに似た女(ひと)を見かけたんだよな・・」
 「へ~ どこで」


 「うん ○○駅の南口の繁華街・・・」
 (ん・・・・あそこって・・)


 私の自宅は東京の郊外、そこから1番近いターミナル駅がそこだった。
 私鉄とJRが乗り入れるそれなりの駅で、北口には銀行、証券会社それに有名デパート、ファッション館などが立ち並んでいた。
 北口の洗練さと比べて南口はまったく別の顔を持っていた。
 昔ながらの一杯飲み屋、薄汚れたラブホテルが数軒、それに風俗・・・・昼間でもヤクザの姿を見かける事も珍しくない、そんな場所だった。


 「いくら何でも あそこにかおりが一人でいたなんて・・・」
 「いや それが一人じゃなかったんだ・・・」


 「えっ」
 「うん 確か・・・男と一緒だった・・」


 「男!・・・嘘だろ・・」
 (・・・・・)


 「おい花岡、久し振りに会って いきなりお前の得意な悪い冗談かよ」
 そう言いながらも私の声は心なしか強張っていた。


 「ん んん、俺も酔っぱらてたからな・・・まあ誰かと間違えたのかもな」
 花岡がニヤニヤ笑いながら返事をした。


 (単身赴任中にドキッとする冗談を・・)
 (でも 帰ったら一応聞いてみるか?)


 この夜 私は何ヶ月ぶりかに妻をベットに誘おうと決めていた。
 空いた時間が新たな刺激を生んでくれるのではないか・・・・私はそんな事を考えていたのかも知れない。
 その流れで、今の花岡の話も何気なく振って見ようと思った。


 (大丈夫だ・・・俺は何を心配してるんだ・・・かおりに限って)
 (・・花岡の冗談に決まってるさ・・・)


 心配性な私は一刻も早く家族の顔が見たくて、その場を立ち去りエレベーターホールへと向った。
 後ろを振り返ると、花岡に軽く手を上げた。
 気のせいだろうか、その時 奴の口元が妖しく歪(ゆが)んで見えた。

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