小説本文




 居酒屋の個室ーー。
 馴染みとなったこの場所も、私はこれまでと違う空気を感じていた。
 目の前の女性が、『真木由紀子』と名乗ったからだ。
 それはここ最近、頭の中で頻繁に反芻される名前だった。妻の同窓生で、例の元彼の手先となった女性なのだ。あの手紙に書かれてある事が事実ならばだが。


 由紀子さんが目の前の席に座り直した。私は緊張を覚えながらも、その素顔を窺う。
 身体付きはイメージしていたよりかは若干ふっくらした感じだが、髪の毛が後ろで結わかれているせいか顔は面長に見える。目はパッチリ二重で、口元から覗く白い歯並びには清潔感を覚える。その雰囲気からも、才女と呼ばれていた理由が垣間見える気がした。
 「あのぉ、そんなに見詰められたら、何だか恥ずかしいわ」
 その声に私は、ハッと我に帰った。
 「ええ、すいません。でも、どうしてここに?」私は緊張を残したまま訊ねてみる。
 由紀子さんは私をチラリと見て、先に何か注文をしましょうとメニューを指し出して来た。
 私がいつものビールを頼むと、由紀子さんも同じ物と摘みを何点かオーダーした。


 ビールと摘みが届くと、由紀子さんがジョッキを持ち上げた。それに合わせて、私は持ったジョッキを黙ったまま目の前で上げた。
 彼女は美味そうにゴクゴクと喉を潤すが、私はチビリと口を付けるだけ。そんな私は、訊いておくべき事を口にした。
 「あの、貴女の名前は清美から聞いて知ってましたが、コレは一体どういう事でしょうか?」
 「うふ、先だって清美さんに次の女子会の件で、連絡した事がありましてね。ご主人に了解は取れそうかと訊ねたのですが、その時に話の流れでこのお店の事を聞かされたんです」
 「それだけの事で、この店に?」
 「いえ、雰囲気も凄く良いからって清美さんが勧めるもんだから、アタシも好奇心で。それでもし、ご主人が居ればと思って店員さんに声を掛けてみたんですよ」
 「本当ですか」私は訝しながら訊いた。
 「本当ですわ。そして私は、とてもラッキーでした」
 「ラッキー?」
 「ええ実はね、今夜アタシが、この店で清美さんのご主人に会えるかもしれないって、ある人に話したんですよ。そうしたらね、ふふふ、その人がアタシに頼み事をしたんです」
 「頼み事?」
 「ふふっ、コレですわ」
 意味深な笑みを浮かべて、由紀子さんが鞄から何かを取り出した。私はソレを見た瞬間、息が止まりそうになってしまった。
 彼女が手にしていたのは、USBメモリだったのだ。しかも、前回男から送られ来た物と同じやつではないか。


 「それと手紙は届いていませんか」
 「ええッ!」驚きに持っていたジョッキを落としそうになってしまう。
 目の前に座る由紀子さんが、手紙の話を出すと言う事、そしてUSBを持っていたと言う事は、あの男と繋がってる証拠ではないか。
 「それで手紙は?」由紀子さんが、私の様子を窺ってくる。彼女は、これまでの手紙の内容も知っているのだろうか。
 「持ってるんですね?」彼女が私の目を覗き込んできた。
 私はコクリと頷くと、横に置いてあった鞄に手をやった。手紙と一緒に、ノートパソコンまで無意識に取り出している。
 「うふふ」由紀子さんが私の様子を見てか、怪しげな嗤いを立てた。


 封を開けてみれば、中身は便箋が1枚だけだった。私は彼女の視線を気にしながら読み始める事にした。
 【こんにちは。
 今回もUSBを同封しようと思っていたのですが、由紀子さんから連絡があって、ひょっとしたら清美さんのご主人と会えるかもしれないと申すもので、私も遊び心に乗って、彼女に持って行ってもらう事にしました。
 万が一、彼女と会えなければ、直ぐに送るようにしますのでね。
 では、無事に女子会の映像が視れますように。】
 たった1枚の便箋に書かれた短い文章だったが、私はそれを読んで唸り声を上げた。男の遊び心は見事に成功したわけだ。それと、ここに書かれてある女子会とは、由紀子さん達のいう『社交界』と言う名の怪しい集まりの事なのだ。
 これで由紀子さんが妻の元彼と名乗る男と、完全に繋がっている事が分かった。手紙の中にも『Y子』ではなく『由紀子』と書かれているのだ。


 「何て書いてあるんですか」由紀子さんが私の手元を覗き込むように、少し身を乗り出した。
 「当ててみましょうか。コレの中身は社交…いえ、女子会の映像なんでしょ」由紀子さんがUSBメモリをかざしている。私は、知ってたんでしょ、と小声で呟いた。
 「じゃあ、せっかくだから一緒に視ましょうよ」
 「ええッ、一緒にですか!」
 「そうですよ、だってアタシも映ってるんですから」
 「あッ!」
 「何をそんなに驚いてるんですか。相良さんだって、パソコンを用意してるじゃないですか」
 「え!?」
 そうだった。私は無意識のうちに、手紙と一緒にノートパソコンまで出していたのだ。
 「さぁ、アタシは覚悟が出来てるんですよ」
 由紀子さんは『覚悟』と口にしたが、その声は、どことなく嬉しそうだ。声に私を挑発する響きを感じる。
 気づけば彼女は立ち上がって、私の隣にやって来るではないか。そして座ると、USBをセットした。
 「さぁ早く、再生して下さぁい」由紀子さんが私の耳元で、少し呂律の怪しくなった口調で囁いた。
 この映像には、妻も映ってるかもしれない。そう思うと体温が上がってくる。それでも私の指は、何かに操られるように再生をクリックした。


 「それと最初に言っときますけど、これって2次会の時のものですからね」
 「え、2次会と言うと…」
 「1次会はこのお店みたいな居酒屋だったの。その後、場所を移動したんですよ。少し遠かったけどタクシーでね」
 由紀子さんの酒臭い息が、私の横顔に掛かる。彼女にとっても酔わなければやってられない…いや視てられない映像なのだろう。
 「あのぉ、2次会のメンバーっていうのは…」
 「ああ、その日のメンツね。えっとね、アタシと清美さんに徳ちゃん。あ、徳ちゃんって言うのは」
 「大田徳子さんですよね」私は断って、そして続ける。「その3人だけですか、他には…」
 「ああ、珠美さんの事ね。珠美さんはこの日も1次会で帰っちゃったのよね。彼女、子供がまだ中学生で難しい時期みたいでぇ」
 いや、そうじゃなくて…。私は、妻の元彼の存在が気になっているのだ。
 「あの、男子は…」
 そこで彼女は、私の知りたい事を察したようだった。
 「そっか、うんうん、あの人の事ね」
 由紀子さんが呟いた瞬間、同時にパソコンの中から女性の絶叫が聞こえたのだった。