小説本文




 私は、妻の元彼と名乗る男からの何通もの手紙を、最初から読み直していたーー。
 ・・・二人の出会いは、高校3年の夏。その頃、片想いの相手に振られた妻に、男が忍び寄ったのだった。
 男は以前から妻に憧れを抱いていたらしい。だが男は、今で言う陰キャラで、素直に告白しても無理と考え、読書好きという共通のネタで近づき、親しくなる事に成功するのだ。
 やがて二人の親密度は増していき、ある時、妻は男がよく通っていたという怪しい店に連れて行かれる。
 そこは場末にある昼は喫茶で、夕方頃からアルコールを出す淫靡な雰囲気を漂わす店だった。
 男は、この店の怪しげな女店主の協力を得て、妻の『初めて』を強引に奪った。そして、その時にカメラに収めた恥ずかしい画像を脅しに、男は妻を性の深淵に誘い込んだのだ。
 初体験の様子から、妻にマゾ気質があると見抜いた男は、自宅や場末のホテルに妻を連れ込み、調教を施していく。
 妻は男が言うままに卑猥なランジェリーを身に着けるようになり、精飲やアナル舐めを仕込まれる。そして、学校やスーパーの屋上といった野外でセックスするようになってしまう。体位は犬の格好が多く、それはマゾに似合いの姿だと刷り込まれていった。
 男に呼び出される度に妻のM性は増していき、自ら卑猥なポーズまで曝すようになり、イラマチオをしたり、観察ごっこという自慰行為の見せ合いをしたりした。
 この頃、男は妻の股間が剛毛である事や、アナルの横に小さなホクロがある事に気づき、後に私に指摘している。
 男の変態度には底がなく、関係が出来て2ヶ月くらい経った頃には、頻繁にSMホテルを利用するようになり、更なる変態プレイで妻を淫欲の闇深くに導いていった。例えば、妻は鏡の前でウンチングスタイルをとらされ、フェラチオの口元を鏡越しに見せられ、鏡に二人の身体を映してのセックスに悦びを覚えるようになっている。
 『オマンコが気持ちいい』『清美はチンボ好きの変態マゾ女です』と、妻は鏡の中の自分を見ながら、淫語を吐き出すまでになった。そうなのだ、妻は思春期の時に既に、卑猥な言葉を口にする女になっていたのだ。
 二人のSMプレイはエスカレートを続け、男は大人のオモチャと呼ばれる性具を使うようになり、鞭打ちやスパンキングまでするようになる。
 ある時は、妻は黒マスクを被せられ、そのマスク以外は一糸も纏わない姿で被写体になる事もあった。その際のシャッター音にも、性感帯を刺激される身体になっていた妻。
 サディスティックな責めの後には、ノーマルなセックスもあったらしい。が、二人のセックスでは、いつも避妊がされていなかった。やがて避妊薬は用意されるようになるが、妻が薬を服用していたかどうかは未だ分からない。
 SMホテルでの変態遊戯は常習化していき、妻は放尿姿まで披露するようになった。しかも妻は、男と浴室で小便の掛け合いまでしている。


 私はそこで、ふうっと溜め息を吐き出した。一旦読むのを止めて、目頭を揉んでからコーヒーに口を付ける。手紙はこれまで何度と読み直してきたが、いつも胸の奥に異様な蠢きを感じてしまう。
 暫く気持ちを鎮めていた私だったが、続きを読む事にした。次はいきなり飛んで『同窓会』の場面だったーー。
 ・・・男と妻の再会は何十年ぶりかのものだった。それまでにも同窓会が開催された事があったかどうかは分からないが、男にとっては運命の再会の日になったわけだ。
 卒業後も、希望通りの人生を歩めなかった男には、鬱屈したものが溜まっていたようだ。
 そんな男は、会場で妻に忍び寄る。そして、近況や私達の家庭環境までさり気なく聞き出し、妻の記憶の扉を意味深な謎かけでノックした。妻は、元彼との何十年ぶりの再会に、それまで封印されていた何かを思い出したのかもしれない。
 会場が2次会の場所へと移った後は、由紀子さん達むかしの友人が絡む中、男は妻の手を握ってセックスを連想させている。その時も、妻は心の奥から湧き上がる何かを感じたのではないだろうか。


 私はもう一度目頭を揉んだ。コーヒーの残りに口を付けるが、苦味が増した気がする。
 再び読み始めれば、場面は過去に戻って、二人の別れのシーンだーー。
 ・・・怪しい店の女店主が男に嫉妬してか、二人の関係を世間に公表すると云ったのが、別れの原因と書かれてある。けれど男は、妻の世間体を心配して身を引いたような記述もされてある。
 別れを切り出す際、男はこれまで脅しに使っていた妻の卑猥な写真などを、その場で削除してみせている。それでも男は、妻が性奴として自分に付いてくると信じていたようだ。
 妻は男の想いとは別に、別かれを受け入れるわけだが、奥底にあった本心はどうだったのか?今になっても私は考えてしまう。
 私は、何度目かの溜め息を吐くと、手紙の束を纏めて鞄にしまった。このまま読み進めれば、場面は同窓会の2次会から3次会へと移り、由紀子さん達が絡み出して来るのだが、この辺りの事は比較的最近の事だからか、記憶がシッカリしているのだ。しかし問題なのは、この友人達もが変質者だった事だ。最近の妻は、間違いなく彼女達からも刺激を受けている。その事実が、更なる不安を私に与えているのだ。


 両親の前でしおらしくしていた彼女。
 良妻賢母の妻。
 娘に世話を焼く母親。
 そんな女性が、男に放尿姿を見せたり見せられたり、小便を掛け合ったり、屋外で立ったままセックスをしていたのだ。精飲やアナル舐めは当たり前で、縛りや鞭打ちにはアソコを濡らした女だったのだ。
 そんな事を考える私は、先ほどから身体の変化を感じていた。先日の夜以来、不能状態だったアソコが復活の気配をみせていたのだ。
 妻の過去の話に興奮を覚える私こそ、重度の変質者かもしれない。
 家路に向かって店を出れば、今夜、もう一度妻を襲おうと考える私がいる。アルコールの力を借りなくても、犯(や)れる気がするのだ。不能など、もう大丈夫だ。


 家に着いてからは、普通を装いながら夜を待った。妻のよそよそしい態度は最近ではお決まりの事で、私は適当な距離を保つようにしていた。
 夜ーー。
 先に風呂に浸かった私は、部屋に籠もる事にする。耳を澄まして妻の様子に気を配った。彼女が風呂から上がって、自分の部屋に落ち着いたのを感じてからは、息を殺してその時を待つ事にする。ふと、もう一度手紙を読み直してみる気になった。
 気が付けば、又してもアソコの硬度が増している。
 コレを強引に膣(つま)の中に。そう、レイプにも悦びを覚える女を、妻は自分の中に飼っているのだ。そんな事を自分に言い聞かせて、私は部屋を抜け出した。
 妻は寝ている頃だろう。起きていても構わない。先日のように自分を慰めていても構わない。抵抗されても開き直って犯ってやる。
 私は彼女の部屋の前で、下半身を露にした。
 しかし、又だ…。
 たった今まで熱(いき)り立っていたアレが、急に硬度を失っていく。
 その萎れた竿を握りながら、そっとドアを開けてみた。
 妻はベッドの上、寝息を立てていた。先日のように、自分を慰めていた気配は見当たらない。静かな寝顔をシゲシゲと見続けたが、胯間のソレは縮んだままだった。
 私は、情けなさに惨めさも加わり、逃げるように部屋を出た。


 自分の部屋に戻った私は、完全に打ちのめされていた。3回続けての不能という事は、これから一生勃たないのではないか。私は男として終わってしまうのか。
 恐怖を感じた私だったが、いつの間にかウツラウツラしていた…。
 コンコン、何処かでノックの音がしている…。
 誰かが私を呼んでいる?
 これは夢だろ…。
 カチャリ、覚えのある音がした…でもこれも夢?
 『あなた、寝てます?』
 妻の声が聞こえた…気がする。
 しかし感じるのは、薄暗い常夜灯の灯りだけ。
 『聞いて下さい』
 又どこかで声がしたようだが、身体が動かない。
 それでも、金属的な目に観察されてる気がする。
 『感受性の強い思春期に受けた傷は、痛みと同時に快楽の種子を埋め込んだのです』
 誰の声だ…。
 『それは寄生虫のように心の中で静かに育ち、いつか蘇る準備をしていたようです』
 何の話をしているのだ…。
 『平凡な生活は人を平凡に導き、しかも家族の負担が減れば日常の張りもなくなります』
 む、陽子の事を云ってるのか。
 『そんな時に昔を思い出す切っ掛けに出会えば』
 そ、それが元彼の男か。
 『貴方には…たいへん…申し訳なく…』
 お、おいチョット待て…。
 …そこで私の記憶は途切れていた。
 目が覚めたのは、太陽が昇りきった朝の10時過ぎだった。
 のっそりと身体を起こすと、夕べの事を考えた。閉まったままの部屋のドアを見詰めながら、深夜に妻が来たのではないかと思い出そうとする。それとも、あれは夢の中の出来事だったのか。
 妻に直接訊ねてみようかと考えるが、やはり聞きづらい。
 私はそおっと部屋を出た。が、家の何処にも妻の気配はない。思い出したようにスマホを見ると、彼女からのLINEがあった。
 『今日は女子会です。少し早いですが出掛けますので』
 短い一文を読むと、心の中を冷たい風が通り過ぎた気がした。
 私は部屋に戻って鞄から例のベネチアンマスクを手に取った。今日の女子会=社交会のパスポートだ。
 今の精神状態を考えると、会に行けばショックで倒れるかもしれない。それでも現実から目を逸らすわけにはいかないのか。
 暫く怪しげなマスクを見ながら自問を繰り返していたが、私は行く事にした。そして妻の様子を探るのだ。そこに元彼の男がいれば、彼を問い質す機会もあるかもしれない。
 早めに家を出る事にする。元彼からの手紙を入れてある鞄をどうしようかと迷ったが、結局置いて行く事にした。会場でこの鞄を妻に見られたら、私の存在が知られてしまう。妻は私が来るとは、つゆにも思ってないだろう。由紀子さん達も内緒にしてる筈だ。


 自分を奮い立たせて、家をでたーー。
 会場となる『fall』が入ったビルを眺められるカフェを見付けて、時間を潰す事にした。『fall』は本来なら暗くなってからの営業だろうが、今日は貸切なのだと想像がいく。
 コーヒーとサンドイッチを食べた後は、黒いサングラスを掛けて目を閉じた。
 眠るつもりはなかったのに、いつしか波打ち際で揺れてる気分だった。頭の中に『fall』という単語が舞って落ちてきた。
 fallーー落ちる…下落…下降…転落…堕ちる、女が男に『堕ちる』意味なのか!?
 その瞬間、私はハッと意識を取り戻した。
 時刻を確認すれば、結構な時間、眠っていたようだ。首筋には嫌な汗を掻いている。何だか胸騒ぎがする。それでも行かなくては。
 私は席を立って、一旦トイレに向かった。
 個室の中には、手洗い器があった。その上の鏡に、ベネチアンマスクを被った顔を映してみる。私と分からないだろうか。上着のシャツは、滅多に着ない物を選んだつもりだ。妻も気付かないと思っての事だ。そして、気休めのつもりで髪を水で濡らして形を多少変えてみる事にした。


 店を出て歩き始めた途端、膝が震えてる事に気が付いた。心臓もバクバクしてる気がする。
 ビルの下まで来た所で、もう一度時間を確認した。少し遅刻だが、この位の方が良かったかもしれない。
 エレベーターに乗って、最上階のボタンを押す。そのフロアにある店は『fall』だけのようだ。
 店の扉の前で、小さなプレート文字を確認する。そして、深呼吸してからインタフォンを押した。
 返事はなかったが、直ぐにカチャリと音がしてドアが開いた。現れたのは黒いスーツを着た男性だった。しかし、年齢など全く分からない。ベネチアンマスクを着けていたからだ。
 「招待状をお願いします」
 毅然とした男の声に、ハッとなった。そうだった。ソレを見せなくては。
 私が見せたベネチアンマスクを男は受け取り、確認した。「ご招待者はどちら様ですか」男が静かに訊いてくる。
 「え、ええっと…」
 戸惑った私の声に被さるように、奥から女性の声が聞こえた。
 「その方は私のお客様です」
 こちらに歩いて来るのは、コンパニオンドレスを纏って男と同じベネチアンマスクを着けた女性…声から直ぐに、真木由紀子さんだと分かった。
 「ああ、Y子さんのお知り合いでしたか。これは失礼しました」男が畏まって頷く。
 「はい。こちらはKさんです」
 そうなのか、ここではイニシャルで呼ぶ事になっていたのだ。賢一だから、私はKなのだ。
 仮面の下で、男の口元がニヤリとした。そして私を迎え入れてくれる。由紀子さんは仮面の奥でウインクして、私の肘をとった。「Kさん、さあ行きましょうか。皆さんお揃いですよ」
 私は黙ったまま頷いて、ベネチアンマスクを装着した。
 暗いエントランスを進む私は、由紀子さんの言葉を考える。『皆さん』には、妻も入っているのだ。では、妻の元彼の男は…。