小説本文




 会社で仕事をしてると突然、キコンと音がした。
 パソコンから目を離してスマホに手をやり、見れば妻からのLINEだ。
 周りの部下達の様子を一旦確認して、文字に目をやる。
 『今度の日曜日、突然ですが女子会になりました。泊まりはなくなり日帰りになりましたが、帰りは遅くなると思います』
 その短い文章を読むと、口元から自然と嘆きの吐息が零れ落ちた。
 先日の夜以来、妻の顔を見づらくなっている。夕べもそうだが、二日続けて妻とセックスを試みようとしたが、どちらも不発で勃たなかったのだ。そして、自信を失った私は、まだ見ぬ元彼に負けた気になっている。そんな時に、このLINEメッセージだ。
 少し前から3度目の女子会の事は匂わされていたが、ここに来てそれを止める気力が湧いてこない。今、私の中にあるのは祈りに近い気持ちで、無事に女子会を終えてほしい想いなのだ。
 しかし。
 女子会=社交会とされる変態パーティーで、妻が無事で済むのか。友人の由紀子さんや徳子さんと一緒に、妻が乱交を繰り広げるとは思えない…つい先日まではそう信じていたが。もし、その集まりに元彼も登場したなら…。
 「相良さん、どうしたんですか、顔色が悪いですよ」
 不意の声に顔を上げれば、いつもの庶務課の女性だった。私は大丈夫だよと小声で応えて、郵便物を受け取った。
 そこで、あッと声を上げてしまったのは、束の中に見覚えのある茶封筒を見つけたからだった。
 「どうかしましたか?」
 女性の言葉に「いや、大丈夫」と小さく呟いた時には、席を立ち上がっていた。


 トイレの個室に入った私の手には、妻の元彼からの茶封筒が握られている。その感触は今までのどれとも違っていた。USBの感触はないし、これまでと違う何かが入ってある。私は急いで封を切ってみた。
 中にあったのは見慣れた便箋が1枚に、実物は初めて目にするベネチアンマスクと呼ばれる怪しい仮面だった。
 私はそのマスクをシゲシゲと見たあと、手紙を読み始めた。
 【清美さんのご主人、お久しぶりでございます。
 その後の貴方の事は、由紀子さんから色々と報告を受けています。
 由紀子さんが、行きつけの居酒屋で貴方と会えたと聞いた瞬間には、私は思わず頬を緩めておりました。
 そして、貴方と由紀子さんがもう少しで間違いを起こしそうになったと聞いた時は、ほくそ笑んでおりましたよ。】
 男の筆に苦いものが湧き上がって来た。私の調子が落ちて行くのと合わせたように、男の充実度が増していく気がして何とも言えない憤りを覚える。


 【さて、今回は同封したベネチアンマスクから分かるように、女子会への案内の連絡です。】
 その瞬間、私はえッと声を上げていた。私を女子会に招待するというのか!?。
 私は左手に持ったままのマスクを改めた。このマスクが招待状の代わりなのか。


 【ただし、会場では、貴方は特別ゲストとしての振る舞いをしなければなりません。
 1番気を付けないといけないのは、清美さんに正体がバレる事です。
 会は清美さんにとっては女子会と言う事になってますが、実際は由紀子さん達が行っている社交会です。
 社交会の実態は、USBの動画でご存じだと思いますが、その様子を貴方に観覧して貰うわけです。
 その場で清美さんがどういった振る舞いをするのか?清美さんは社交会の中、正常でいられるのか?そういった彼女の様子を追い掛けるのです。
 参加者は私も詳しくは知りませんが、同窓会メンバー以外の人の方が多いでしょうから、どんな事態になっても、その場の雰囲気を壊さないようお願いします。
 では。】
 短い文章の最後には、女子会=社交会の開催日時と場所の住所と会場名が書かれていた。
 この場所や時間の事は、後ほど妻からも聞かされるのだろうか…そんな事を考えている時、スマホが振動した。
 上司が私を探していたのだ。
 トイレを出て廊下を進む私は、途中で慌ててしまった。ベネチアンマスクを手にしたまま歩いていたのだった。




 土曜日。
 今朝も起きた時から妻との距離感は重いままで、私は昼前から逃げるように出掛ける事にした。
 行く当てのない外出だったが、駅の近くで不意に思い付いた事があったーー明日の社交会の場所を見ておこうと。
 駅構内のトイレに入ると、個室で腰を落ち着けた。いつも持ち歩いてる鞄から、例の手紙を取り出す。最新の手紙の中に、明日の場所が記載されているのだ。
 私は会場の最寄り駅を確認すると、ネットで行き方を調べて個室を出た。


 その店は自宅の最寄り駅からは1時間ほど。とあるターミナル駅から僅かの所、飲食店やバーがひしめくソシアルビルの中に『fall』はあった。
 この辺りは繁華街に違いないが、場末の感じがしない新しいビルが多かった。
 私は下から目的のビルを見上げた。
 ビルの袖の1番上には、『fall』の看板がある。
 ここに来るまでの電車の中で、もう一度『fall』を検索していた。分かった事と言えば隠れ家的なBARというだけで、書き込みなどは殆ど見付ける事が出来なかった。
 一応店の前まで行ってみたが、営業してる気配はない。開くのは暗くなってからなのか。


 駅の方まで戻り、カフェを見付けて落ち着く事にした。
 アイスコーヒーに口を付けたところで、スマホを取り出した。
 明日、妻に家を出る時間や、何処まで行くのか、その辺りを告わせてやろうかと思い付いたのだ。
 そのメッセージをLINEで送って暫くすると、返信が来た。
 会場となる名前など書かれておらず、由紀子さん達との待ち合わせの時間と場所が書かれているだけだった。
 妻の今の心境は、どういったものだろうか。ふと、そんな事を考える私の心の中にあるのは、やはり不安だ。
 高校時代の彼と同窓会で再会した妻清美。彼女は思春期に受けた調教を心の奥底に封印して私と結婚していたのだ。その封印が今は解かれている…いや、解かれようとしている。そして更に、友人の由紀子さんから怪しい社交会に誘われ、妻の中に変化が訪れてる気がする。
 私達は充分に熟練した夫婦の筈だ。しかし妻との性行為は何十年も無い。やはりこれが、妻が元彼に靡(なび)く原因なのか。いや、まだ靡いたなんて決まっていない。
 それにしても、私の身体の変化には参ってしまう。先日の夜、妻を襲おうとした私は、勃たなかったのだ。そしてそれは、今も続いてる。何時ぞやの寝取られ系のエロ動画を視ても全く反応しないのだ。


 私は手紙から目を離して、『fall』の入ったビルの方角に目を向けた。
 元彼は手紙で、あの店での振る舞いに注文を付けていた。妻には正体がバレないようにしろと。そうなのだ。妻も私が居るとは、これっぽちも考えないだろう。
 そこで妻の方こそ、どんな振る舞いをするのだろうか。友人達の変態遊戯を目の当たりにして、正常でいられるのか。そして、そこに元彼も来ていたなら…。
 そんな思考を繰り返していた私は、もう一度元彼からの手紙を読み直す事にした。