妻の元彼からの6通目の手紙を封筒に戻すと、私は鞄からノートパソコンを取り出し、立ち上げた。
USBを差し込み、イヤホンを耳にセットする。個室にいても、音漏れには注意したい。まして何が飛び出して来るか分からないのだから。
起動が始まって暫くすると、聞こえて来たのは女性の笑い声だった。
この時の2次会の場所も、由紀子さんが幹事を務めたのなら、外部からの干渉に気をつけて個室を用意したに違いない。そしてこの部屋にいるのは、妻の清美と由紀子さんに徳子さんだ。
彼女達の話し声が大きくなってきた。妻の声は直ぐに気づき、他の声も名前と一致させる事が出来た。
ひときわ大きな声で喋ってるのが、徳子さんだろう。由紀子さんの声は、酒のせいか砕けた感じに聴こえる。
『それでさ、ちょっと清タン聞いてよ。由紀ちゃんって凄いんだから。ねぇぇ。』
徳子さんが話題を変えてきた。
『ふふふ、アッチの話?そうねぇアタシは結構お盛ん、かな』
徳子さんの声に応えるようにか、由紀子さんの声も大きくなっている。
『ところで清美さんさぁ、実はずっと黙ってたんだけど高校の時さ、貴女に変な噂が立った事あったの、知ってた?』
由紀子さんの声に続き『え!』妻の驚きの声が聴こえた。
『清楚で男子に人気者だった田中清美は、実は変態セックスしてるっていう噂よ』
由紀子さんの詰問調の声に、こっちの息が止まりそうになった。
そして暫く無言が続き、やがて再び由紀子さんの声が聴こえた。
『うふふ、その表情、黙ってるところを見ると噂は本当だったのかな?』
『な、何の事だか…』
『えへっ、別にいいじゃない昔の事だしさ。それにさっきも告ったけど、アタシもこう見えて、実は遊んでるのよね』
由紀子さんの呂律が怪しくなってる気がする。さすがに酔わなければ話せない内容だ。
『実はね、同窓会で清美さんを久し振りに見た時に、今云った昔の噂を思い出したのよね。でも、そんな話題をその場でなんて出せないでしょ。だからねぇぇ』
由紀子さんが語る流れに、男の手紙に書かれていたある場面を思い出した。
確か2次会の席で、元彼がテーブルの下で妻の手を握ったところを、由紀子さんが見たのではなかったか。
『それでねぇ、1度気になりだしたら、ずっと気になっちゃってさ…ふふふ、それでここに来る前、つい徳(のり)ちゃんに話しちゃったのよね』
由紀子さんの語尾は、徳子さんに向けたものだった。
『そうそう、それで私も本当!?って驚いたのよね』徳子さんの声が、1オクターブ上がっている。
『私もさ、卒業してから色々あったし、人って変わるからさ、大概の事は驚かないんだけど、清タンが変態チックな遊びをしてるなんて』
『徳ちゃんちょっと違うわよ。清美さんがエッチな事をしてたのは、昔の話で今は知らないわよ』
『あ、そっか。でもさ、今はどうなの…ねぇ清タン、今はどんな感じ?欲求不満とかないの?』
会った事のない徳子さんだが、その姿が目に浮かぶようだった。ポッチャリの身体を乗り出し、好奇心に目を見開く姿だ。妻の方は俯いたまま、頭を小さく横に振ってるのではないだろうか。
『徳ちゃん、清美さんはねぇ、やってるって、うん間違いないって。ご主人とやってなかったとしても、他にねぇ…ふふふ』
『あーそれってオナニー?』
『あらあら、徳ちゃんったら。でもオナニーは勿論、他にも凄い事をやってると思うわ。だって清美さんは、へ、ん、た、い』
『いゃ~ん、清タンって変態だったんだぁ。でも何だか嬉しいっ』
『ふふっ、徳ちゃんとどっちが変態か、試してみたいわね』
『由紀ちゃんだって変態でしょっ』
『そうよ。アタシはずっと前から変な遊びをしてるわ』
『うんうん、知ってる知ってる。私も恩恵を受けてるし』徳子さんが楽しそうに声を上げる。
『でもね清美さん、人様から後ろ指を刺される秘匿の行為って、考えただけで興奮するわよねぇぇ』
由紀子さんの言葉に、徳子さんの相づちの声が聞こえる。妻はどんな様子なのだ。妻の声だけがなかなか聴こえて来ない。
『ほらぁ、アタシ達って夫婦でやってるでしょ』
由紀子さんが、そう言った瞬間だった。妻の『ええっ!』と驚きの声が聞こえた。
『あら、そうなのよ。アタシ一人で遊んでるわけじゃないの。きちんとしたパートナーがいるのよね』
『そのパートナーって』妻の小さな声がする。
『多いのは家の主人だけど…他にも肌を合わせる人達はたくさんいるわ』
由紀子さんの語尾には、力強さがあった気がした。酔ってるからか、それとも秘密を曝して開き直ったか、相手に迫る勢いが伝わって来るのだ。
『あらやだ清美さん、あまり変な目で見ないでよ』
『そんな、変な目だなんて…』
『ふふっどう?昔の知り合いが、教師のクセして変態だったら。しかも旦那も教師なのよ』
『………』
沈黙が流れ、私も息を飲んで次の言葉を待っている。
『…でもねぇ、教師って凄いストレスが溜まるの。最初は良くないのは分かってたけど、周りの教師仲間におかしな性癖の人がいてね』
そこからは由紀子さんがその世界に入った経緯が話された。その間、妻の声は聴こえくなったが、どんな気持ちで由起子さんの話を聞いていたのだろうか。
『…と言うわけで今に至るわけ。因みに徳ちゃんとは、卒業後もちょくちょく会っててね、互いの愚痴を言い合ってたのよ』
『そうなんだ』やっと妻の声が聴こえてきた。
『そう、それである時、アタシがスワップの世界に居る事を喋っちゃったのね』
『そうそう、私も聞いた時はビックリしたわ』徳子さんの出番が来た。『でも私って、昔からエッチにはかなり興味があったからね』
今度は徳子さんの身の上、いや下半身の話が始まった。彼女は結婚して子供もいるが、子供が出来てからはご主人とセックスレスの日々が続いていたのだった。そして欲求不満が我慢出来なくなった徳子さんは、由紀子さんに誘われるまま秘密のパーティーに顔を出すようになったのだ。
『さぁ皆んな話したわよ。次は清美さんよ』由紀子さんの口調が、ますます馴れ馴れしく聴こえる。
『わ、私は、そうねぇ…』
妻の呟きに、ゴクリと私の喉が鳴った。
『しゅ、主人には何の不満もないわ』
その言葉に、私の口から、ホッと息が漏れた。
『それに私には…それほど…性欲?それも特には…』
『………』
再び沈黙が流れ、その中で私は、妻の言葉を頭の中で反芻した…妻に性欲は無いのか。それは本音なのか。それとも昔の友人を前に、まだ本当の気持ちを話せないでいるのか。
『ふぅ~ん、そうなんだぁ…でも、性欲がゼロって事はないでしょ』何処となく咎めるような由紀子さんの声がする。
『そ、それはまぁそうだけど…』
『そうよね、うん、そう思うわ。たぶんだけど、清美さんはトラウマがあって殻を被っているのかもね』
あッ、私の口から声が上がった。
トラウマ、確かにそれはあるかもしれない。
若い頃の変質的な経験が、精神に悪い影響がいかないように、妻は無意識にバリアを張って生きてきたのだろうか。
『でもさ、性的欲求があるなら、無理しない方がいいと思うわ』由紀子さんの言葉が、どことなく教師の口調に聴こえる。
『ねぇ清美さん、今度ちょっと付き合ってよ』
『え、何!?』
『ふふっ、そんなに構えないでよ、最初は見学だけだから』
『見学?それは何…』
『それはねぇ』徳子さんの声が割って入って来た。『私達が定期的に行く社交会があるの。名前の通り社会的信用のある人だけが参加できる集まりで、でも紹介者がいれば私みたいに参加が許されるの。だから清タンも大丈夫だから』
『そうね、清美さんは口が堅そうだし、それに真面目だし。あ、真面目っていうのは普通に社会生活を送れるって意味よ』
『ちょっと待って、私行くとは…』
『ふふっ、もうダメよ。アタシと徳ちゃんの秘密を聞いたんだから、自分だけ良い子でいるのは』
『それは…』
『そうね、じゃあ取り敢えず次の予定が決まったら連絡するからね』
『お願い待って。だから行くなんて一言も…』
『まぁ考えておいて。でもアタシ、清美さんは必ず来てくれると思うわ。ほら昔の貴女、あの噂が本当なら身体の中には淫猥な血が流れている筈よ。その血に逆らうなんて、出来っこないんだから』
由紀子さんの今の言葉には、粘着質な響きを感じた。まるで、蜘蛛が獲物を糸で絡み取るようなイメージだ。
『でも安心して、今夜の事だって誰にも喋らないからね。それに秘密を隠しておく事って、それだけで快感でしょ。貴女なら分かるわよね私の云いたい事。とにかく決まったら直ぐに連絡するからね。ああ、そうだ。その時はまた女子会って事で声を掛けるから、ご主人にもそう言って家を出てくるといいわ』
その瞬間、私は大きな声を上げていた。と言う事は妻の2回目の女子会、あれはまさかの怪しい集まりだったのか。
私は暫くの間、呆然としていた。
どのくらいの間そうしていたのか、気づいて時にはUSBの再生は終わり、個室内には静けさが漂っていたのだった。