小説本文




 追加で頼んだビールが届くまでの間、私は目を瞑り気持ちを落ち着かせようと試みた。
 それでも頭に浮かぶのは、妻の放尿シーン。そしてその場面を無理やり打ち消そうとする私。
 この手紙は事実と元彼の妄想が混在しているのだ。だからといって、事実を確かめる術はない。清美にだって訊ける筈がない。
 その時、私はふと思い付いてスマホを取り出した。
 妻にLINEを打つのだ。
 『むかし、元彼の前で放尿…』と書いたところで慌てて削除した。俺は何を考えているんだ!
 自分を落ち着かせて打ち直す。
 『あと1時間ほどで帰れると思います。先に寝てて。』


 スマホを閉じたタイミングで追加のビールがやって来た。
 私は又もそれを半分ほど一気に呑み干し、それから手紙を手に取った。


 【私は目を覚まさせるつもりで、便器にしゃがんだままのデカ尻を思い切り打ってやりました。清美はヒィーっと我に返りました。そしてそこから降りるように言いました。
 清美はまだ朦朧としていたので、冷たいものを用意してやりました。その時は酒じゃなくて、コーラか何かだったと思います。
 そう言えば書いていて思い出しましたが、同窓会では清美さんはビールを美味しそうに呑まれていましたね。】
 男の言葉に私は軽い衝撃を受けた。確かに妻はビール専門なのだ。そして女性としては、かなり行ける口なのだ。
 それにしても、元彼はやはり実在して妻と同窓会で再会を果たしていたのか。


 【水分を摂り終えて、暫く清美の様子を見ていました。彼女はずっと俯いたままでした。そのうち、私は変な気を起こしましてね。さて、それは何だと思いますか?】
 私は唾を飲み込んだ。この元彼と名乗る男は、私の心を弄ぼうとしている。


 【私はもう一度二人で浴室に行く事にしたのです。でも、そこで身体を洗いっこしたわけではありません。
 今度は私が、彼女に放尿シーンを見せてやったのです。
 と言っても、清美にももう一度させたのですがね。そうです、互いの身体に小便を掛け合ったのです。
 どうですかご主人、私と清美の関係は。普通の変愛とは、ほど遠い歪な男女関係でしょ。
 さて、今回はここまでにしておきましょうか。
 得体のしれない物に突き動かされて、自ら望んで痴態を晒す女になった清美さん。次回もそんな彼女の姿をお楽しみに。
 次の手紙は、頑張って月曜にはお届けしたいと思います。 では】
 読み終えた私は、どっと疲れを感じた。意識して息を吐いて、頭の中を整理しようとするが中々うまくいかない。
 手紙の主が本当に妻の元彼かどうかは分からないが、同じ高校に在籍した誰かであるのは間違いないだろう。
 そんな事を考えながら、私は店を出る事にした。ビールの残りを飲み干して立ち上がったのだった。


 今夜も自宅に向かう私の足元は安定していた。このところ幾ら飲んでも酔えないのだ。
 家に着けば、妻は既に寝ていた。
 先日と同じように寝姿を覗いてみるが、変わったところはない。勿論、自慰行為をしていたとも思えない。
 それでも今夜の私が頭に浮かべるのは、変態チックな妻の姿だ。
 鏡の前で立ったまま、男に突かれて卑猥な隠語を吐き出す妻。
 鎖と手錠で拘束されてムチ打ちされる妻。そして甘みが混じった嘆きの声を上げる妻。
 陰部にディルドを咥え込み、四つ足で歩く妻。そしてその尻を打たれる妻。
 黒マスクを被り、シャッター音に欲汁を垂れ流す妻。
 そして放尿姿を披露する変態女。
 ベッドでスヤスヤと寝息を立てるこの妻が過去の事とはいえ、あの手紙にあったような変態行為をしていたとはどうしても思えない。
 しかし…。
 私は意識して大きな息を吐き出した。
 その時、ふと考えついた事があった。今の妻に、性欲というものがあるのだろうか。
 女は死ぬまで女。女は涸れる事がない。そんな文字をどこかで読んだ気がする。しかしそれを、妻の清美に置き換えて考えた事など一度もない。
 そう言えばアダルト業界では、今も熟女人気が凄いらしい。
 世の中には心に欲求を溜めた人妻がたくさんいるのだ。そんな女性が、同窓会で元彼と再会したらどうなる…。
 いや、手紙の主は元彼ではなくて、本当は妻に想いを寄せていた他の誰かではないのか。その男が同窓会で妻と逢って、妄想を手紙に書き綴っているだけではないのか。
 でも、私にはそれを確かめる術がない。そう、術は全くないのだ。
 ああ、次は月曜だ。月曜日には元彼と名乗る男から、4回目の手紙が来る。そう思った辺りで、私は睡魔を感じたのだった。




 次の日、木曜の朝も私は、妻を盗み見していた。テキパキ動く日常の妻をみれば、過去の事とはいえ彼女がSMチックなセックスの虜になっていたとは到底思えない。それでも、私には想うところがある。妄想もある。
 今の妻に疼きはあるのだろうか?あったとしたら、その処理はどうしているのだ。同窓会で再会した誰かに誘われたら、妻はどうする?
 この日、家を出た途端に、新たな妄想が湧き立って来たのだった。私は職場に着くと、直近の予定を確認をした。私が嘘の出張を妻に告げれば、彼女は娘の所に行くと云って、男に逢いに出掛けるのではないか。
 しかし出張などは、入りそうになかったのだ。




 金曜の昼休みーー。
 私は部下の後輩社員に声を掛けられ、飯を奢る事になった。確か先日、呑みの誘いを断っていたのだ。
 近くの喫茶店に入り、食べ終えて飲み物を口にした時だった。
 「山口、その後は悪さしてないよな」私の前の席で、吉田が唐突に隣に話し掛けた。
 「何だよ急に、悪さってよ」山口が吉田を軽く睨みつける。
 「お前、この間話してた女性と浮気、続いてるんだろ」
 「又その話か。あれは浮気じゃなくて、恋愛だって」
 「でも、相手は既婚者なんだろ。じゃあ浮気じゃないかよ」
 「だから、何回も云ってるけど結婚してるって知らなかったんだよ」
 「聞いて下さいよ、山口のやつ」吉田が山口の言葉を聞き流して、私に目を向ける。「こいつバーで知りあった女性が既婚者なのを知ってて誘ったですよ」
 「こら、話を作るな。前も言ったけど、その人は指輪してなかったんだぜ。それにお互い酔ってたし、細かい事まで気にしてらんなかったんだよ。それに俺は独身だぜ」
 「アホ、そんな言い訳は大人の世界じゃ通用しないんだよ」
 「あのなぁ、それに相手の旦那にバレて問題になったわけでもないって、この間も言ったろ」
 言い終えた山口が、視線で私に助けを求めてきた。


 「別にそのなんだ、関係を持ったと言っても一度きりで、続いてないんだろ」私は飲みかけのコップを置いて、山口を窺う。
 「いや、コイツはその後も、その人が人妻と知ってて誘ってるんですよ」吉田が横から口を出してきた。
 「だ、か、ら、誘ってないって言うの!暫く会ってたけど、人妻と知ってからは会ってないっつうの」
 私は口を閉じて、山口に向かって頷いてみせた。
 山口がフーっと溜め息をつく。「それにしても、寂しがり屋の人妻って結構いるんだよな」
 「お前がその人が結婚してるって気づいたのは、指輪は関係ないんだよな」と、吉田。
 「ああ、俺と逢う時はいつも外してたみたいだ」
 「それである時、カミングアウトしたんだっけ」
 「そうだよ、実はアタシって、な」
 「当然お前はビックリしたんだろ」
 「また同じ話をさせる気か」山口が又も吉田を軽く睨む。
 「何回聞いても面白いし、それに」と、吉田が私を窺った。どうやら上司の私に、最初から話を聞かせたいようだ。
 「ううん」私は咳払いをして、山口に頷き掛けた。
 山口が苦笑いを浮かべて、少し前屈みになった。「あのですね。その時俺、いや私、シティホテルのバーで一人で呑んでまして…」
 彼は私に言い訳でもするかのように、その女性との出会いのところから詳しく話し始めたーー。
 山口がたまたまバーで知りあった女性と意気投合して、酔った勢いでホテルに誘ってしまったらしい。そして彼は女性が指輪をしてないのを良い事に、関係を結んでしまったのだった。
 行為の後には連絡先の交換までしたのだが、その連絡先が本物かどうかは、半信半疑だったとの事。けれど連絡をとってみて繋がった時には、舞い上がったそうだ。
 それから暫く関係が続くわけだが、その人が既婚者と知ったのは、先ほど聞いた通り相手の告白によるところらしい。
 既婚者だと知って山口は驚いたが、浮気の理由にはそれなりに納得したのだった。何でもご主人とは5年近くセックスが没交渉で、表面は良き妻を演じていたのが我慢の限界が来たとの事。そのタイミングであったのが、なんと同窓会。そしてそこで、再会した同級生と間違いを起こしてしまったと。
 その時の同窓生とは一度きりだったが、女性はなぜその同級生と関係を持ったか自分でも分からなかったと告う。その男性はお世辞にも、好みではないし、うだつの上がらない魅力のない男に観えていたのにと。
 だけども性的に満足した彼女は、自分が女である事を思い出し、疼く気持ちを抑える事が出来ずに頻繁にバーに出入りするようになったのだった。


 「なるほど、そこで山口と出会ってしまったわけか」と、私は苦笑いを彼に向けた。
 私の言葉に頭を掻く彼を見ながらも、私の胸の中では不穏な気持ちが湧いていた。まさか山口の相手の人妻が、清美の筈はないが、このタイミングでこの様な出来事が部下にあった事に、何かしらの暗示めいたものを感じていたのだ。
 喫茶店を出て、3人で職場に向かう私の頭の中には、ある言葉がこびり付いていた。『主人とは5年近く没交渉』
 女とはその位で、欲求に歯止めが効かなくなるものなのか。うちは何年だ。間違いなく5年以上だ。
 私は改めて妻の事が気になりだした。妻に欲求不満があるなら、いずれ元彼以外の他の誰かとでも間違いを犯すのではないか…。
 それでも…結局、木曜から日曜には妻に大きな動きはなかったし、私が彼女をベッドに誘う事もなかった。
 心の何処かで例の手紙の行く末を見てからにしたい、と考えてしまう私がいたのだ。


 そして、月曜日がやって来たのだった。