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第18話
何十年ぶりかに、妻と二人だけで行った居酒屋からの帰り道ーー。
その夜道を歩く私には、変な緊張が続いていた。酒の量はそこそこ多く、緊張を失くす為のアルコールだったが効果があったとは言えない。私達は店を出てから、ずっと無言なのだ。
黙ったまま歩き続け、家まであと僅かになった時だ。ふっと覗いた妻の横顔、その唇に艶めかしいものを感じた。
脳裏に閃いたのは、若き日の妻が元彼のモノをシャブル姿、その唇。
気が付けば私は、拳を握りしめていた。その拳が震え出したかと思うと、妻の手に触れた。
ハッとなって手を引っ込めようとしたが、意識とは逆に妻の手を握っていた。
二人で呑むのも久し振りだったが、手を繋ぐのも何十年ぶりかの事だった。
このまま家までの帰路を進むのかと思った瞬間、例の手紙のワンシーンが脳内に広がりだした。
妻の親指と人差し指の間、合谷(ごうごく)と呼ばれる窪みに、私の指が触れている。
元彼はこの窪みの部分を、乳首やクリトリスを撫でるように擦ったと告うのだ。
私の指は蠢き始め、元彼がしたのと同じようにその窪みを指腹で擦り始めていた。
妻の指が、いや身体全体が強張った気がした。しかし私は、そのまま妻の指を折りたたむように丸め、私の人差し指を彼女の指と指の間に送り込んだ
朱い唇からアァっと声が漏れた。
抜き差しを始めると今度は、彼女の指の隙間にしっとりと濡れを感じた。これが元彼が云う潤滑の油と言うやつだ。私の脳がそう呟いた瞬間、私の指は払い除けられていた。
立ち竦んだ妻を見れば、黙ったまま私を見据えている。
「ご、ごめん…」私は咄嗟に謝った。
なのに彼女は、とんでもないものに出くわしたような顔をしていた…。
その夜、床に付いた私は、帰り道のその場面を思い起こしていた。
妻は、私が握った指の動きに何かを察したのではないか。私の指を払い除けたのも、同窓会の2次会で元彼にされたのと同じ場面が、脳裏を横切ったからではないだろうか。
セックスを連想させる指の動きに、彼女が浮かべた相手は元彼だったのか。それとも私…いや、それはない。私と妻のセックスは何年も封印されたままなのだ。
ああ…私、妻、元彼、まるで三角関係ではないか。我々はこれから一体、何処に向かうのだ…。
…次の日から、妻の態度が目に見えて堅苦しいものへと変わっていった。
朝の挨拶、帰宅時の挨拶、それは型通りにあるのだが、声がよそ行きで淡白になった感じなのだ。この空気感は結婚してから初めてのもので、その事に私は、気疲れを感じるのだった。
息苦しさを感じたまま数日を過ごし、週末が近づいてきた。
金曜の昼過ぎには、元彼の男から5通目となる手紙が届いた。
そしてその日の夜、いつもの居酒屋ーー。
【ご主人、こんにちは。
この様な匿名の手紙を受け取って頂くのも、これで5回目ですね。勿論、貴方が間違いなく受け取り、真剣に読んでくれていると信じての言葉です。
私の方も手紙を綴りながら、まだ会った事のない貴方との距離が近づいて来るのを感じております。
いつかは、いや近い内に実際に会う時が来るかもしれませんね。まぁ、その時はお互いどういう気持ちでいるかは分かりませんがね。
では、今回の手紙では同窓会の後に開催された1回目となる女子会、その前辺りの様子からお伝えしたいと思います。】
いつもの便箋に綴られた文字を読み始めて、私は確かに男との距離が縮んでる気持ちを認めた。
顔や体型、髪型などは想像の域を出ないが、この男が陰湿で変態気質の人間である事だけは疑っていない。
こんな男と精神的な部分で繋がってるとしたら、私の中にも同じ様な性癖があるのかもしれない。しかし今まで、自分にアブノーマルな気質があるとは1度だって考えた事がない。妻とのセックスもずっとノーマルだった筈だ。それが清美にとってどうだったのかは、考え込んでしまうところなのだが。
【何十年ぶりかに再会した清美さんと、離れ難い気持ちなった私が、3次会の席でさり気なく口にした一言が女子会の開催に繋がりました。
とは言え私は男ですから、その会に参加させて貰うには当然ハードルがあります。なので私は、作戦を考えたのです。
それはY子への私からのカミングアウトと、提案だったのです。】
Y子の名前、この手紙ではイニシャル表示だが、私は妻との以前の会話で『真木由紀子』さんと知っている。
【3次会が終わり、私達は一旦離れ離れになりました。去り行く清美さんを見届けるのは辛い気持ちがありましたが、それ以上に次への企てに、私は気持ちを高ぶらせておりましたよ。そして次に起こした行動が、Y子と話す事だったのです。
私は、3次会から帰るY子の後を密かに着けて、とある駅を出た所で声を掛けました。運が良かったのは、私から誘った近くのバーに付き合ってくれた事です。
その店で私は、私と清美さんの真実を告白して、Y子に協力を願い出るのです。】
由起子さんの存在がどういう意味合いを持つのか、気になるところだった。男が由起子さんに話した真実とは。そして願い出た協力とは?
【バーでは最初、Y子は少し緊張している様子でした。それはそうです、酒が残っていたとしても陰気な店に男と二人、おまけに彼女は現役の教師ですから。
その彼女とカウンターの端に並んで座り、私はまず、学生時代の清美さんと恋人どうしだった事を告白しました。そして淫靡さを漂よわせながら、清美さんとの過去を語ったのですーー。
遠い日の私達二人の関係は、人様には決して話せないアブノーマルなものだったと。しかしそれは、二人の仲に深い絆をもたらしたと。
短い時間ではあったが、二人は異質な世界に浸り、同類でしか味わえない数々の体験をしたのだと。
結局私達は周りからの圧力もあり、別れる事になったが、互いの中にはあの頃の記憶がちゃんと残っているのだと。そして何より、身体が覚えているのだと。
Y子は私が『身体が覚えている』と云ったところで、ギクリとした反応をみせましたよ。それまでの淫猥さを連想させる言葉も刺激になっていたでしょうが『身体が…』と聞いて、彼女は私と清美さんの関係が、想像以上にアブノーマルである事に気づいたのでしょう。彼女の私を見る目が、それまで以上に信じられないものを見る目に変わっていましたからね。
しかし彼女が見たものは、私の瞳に写った自分自身の姿なのです。彼女もその事に気づいていたのです。
それを見抜いた私は、今度は彼女自身のプライベートに関する質問をしてやる事にしました。
私はまず『Y子さん、コレを飲んで気持ちを落ち着けて下さい。ここからは貴女の内面に迫る話になりますから』と、酒を勧めました。
彼女は一瞬躊躇った表情を見せましたが、目の前の男から自分と似た匂いがする事に気づいていたのでしょうね。それと3次会で、自ら清美さんに話した誘いの言葉も思い出したのでしょう。それは『アレよアレ、旦那とはやってるの?』『アタシ達、大きな声では言えないけど、刺激のある遊びをしてるだ』先ほども書いたY子の囁きです。
そして彼女は、恐いもの見たさか、グラスの残りを一息で呑み干したのです。
呑み終えた彼女はグラスを置くと、挑発的な目を向けて来ましてね。しかし私には、それが強がりだと分かっていました。
私はそんな彼女の手に自分の手を重ね、そして確かめるように云いました。『貴女は…いや、貴女達夫婦はスワッピングや乱交パーティーを愉しんでいますね』とね。
Y子は私の言葉に、目を見開きました。その瞳は驚愕の色に変わっていましたよ。】
予期せぬ展開に、私も驚いた。スワッピングに乱交など、エロビデオの世界ではないか。まして由紀子さんは、現役の教師ではないか。
それにしたって、この男の嗅覚はどうなっているのだ。これほどまでにも、同類を嗅ぎ分けれるものなのか…とすると、やはり清美は…。
【Y子の目は縋る眼差しに変わり、そんな彼女を慰めるように私は云いました。『教師ってのは本当に大変だよね、よく分かるよ。特に昨今はモンスターペアレンツがいれば、教師内での虐めがある。そんな中で世間の目は厳しくなるばかりだし、ストレスは溜まる一方だ。心から同情するよ。』とね。】
男の言葉に、私まで知らずに頷いていた。確かに現代の教師の境遇には同情するところはある。
【私はY子の様子を探るように見続けました。彼女の心の中は、私の同情に対する有り難みもあったでしょう。でもそれ以上に、指摘された事実に戸惑いを感じていたと思います。
私はY子にニコリと笑いかけ、もう一度彼女の手に私の手を重ねました。そして諭してやりました。『気にする事はない。これまでと同じで良い。それより貴女達が感じた性の愉悦を他の人とも分かち合えるように、これからも振る舞うんだ。清美が貴女に声を掛けられたのは運命なんだよ。だからね…』とね。】
手紙はそこで唐突に終わっていた。何だこの終わり方は?
封筒の中を見直したが、続きが書かれた便箋用紙はどこにも見当たらない。
同封するのを忘れたのか?いや、この男に限ってそれはない。
と言う事は、男は敢えて私に謎掛けをしたのだ。
手紙の最初の方には、私との距離が近づいてる書かれていた。確かにその通りだ。何かがヒタヒタと近づいてくる気配を感じる…。