小説本文




 次の日、私が目を覚ましたのは、朝の10時を過ぎた頃だった。
 起き上がって欠伸を一つすれば、頭の中に夕べ視たSMチックな寝取られ動画の映像を思い出した。
 2本の動画はいずれも中年の人妻が主人公で、夫の前で男に翻弄されていくものだった。私は人妻を妻の清美に、夫役を自分に投影していた。
 動画の残像に苦笑いを浮かべて立ち上がろうして、枕元のスマホの点滅に気がついた。
 見ればLINEの知らせだ。
 『声を掛けても全然起きないのでLINEにします。今日はこれから買物に行って来ます』
 私が爆睡している間に、どうやら妻は出掛けたようだ。
 寝不足気味のまま食事を採り終えた私は、もう一度夕べの動画を視てしまった。
 妻が帰って来たのは、夕方近くだった。買物にしてはかなり長いものだったが、私は特段責める事もなかった。妻が元彼と密会していたとは思えないし、そんな証拠もない。あるのは私の妄想…と想いたい…。


 「夕べも遅かったんですね」
 妻が話し掛けて来たのは、彼女が夕飯の準備でキッチンに立った時だった。
 「ああ、そうだった…LINEを入れるの忘れてたっけ?」私はソファーから顔だけを向けて答えている。
 妻は私の質問に応えるでなく「またあの居酒屋ですか」と、訊いてくる。
 「うん、そうそう、あそこで残業をね」
 「そうですか、また行ってみますか」
 その言葉に、私はキッチンに振り向いた。
 「そ、そうだね」
 このところ冷たく感じる妻からは、思いもよらぬ誘いだ。
 それから私達は、お互いの予定を確認し合って、次の水曜日に先日と同じ店で待ち合わせる時間を決めたのだった。




 週明け出社すると、急ぎの仕事が舞い込んできた。この分だと出張が入りそうな気配を感じてしまう。
 そんな中、水曜日がやって来た。日中は仕事に追われ、妻との呑み会の事を考える余裕もなかった。頭の中には『元彼』に『由紀子』『徳子』の名前があるが、2回目の女子会の事を含めて、どのように話を持ち出せばよいか整理が追い付いていない。
 それでもこの日、仕事を終わらせた私は、なるべく遅れないようにと先日の店に向かった。
 今夜も店には、妻が先に来ていた。私は個室の扉を開けると、前回と同じように「遅くなってゴメン」と、頭を下げている。
 店員にビールと摘まみの注文が終わると「最近また忙しくなったみたいですね」妻から話し掛けて来た。
 「そうだな、そのうち出張があるかも」
 私の返事に頷きながら、妻は「今週も夜はここで残業ですか」と、続けて訊いてきた。
 私は苦笑いしながら頷くだけだ。
 例の男からの手紙を読む為に通うようになったこの店。それ以来ここに来る理由を、妻には残務と説明していたのだが、はたして彼女が、ノマドワーカーのイメージと私を結び付けたかどうかは分からない。
 そして私は、男からの次の手紙の事を考えている。前回の手紙には次の期日は書かれていなかったが、明後日の金曜日には届きそうな気がしているのだ。


 「ねぇ、どうしたの、私の話聞いてます?」
 ふと顔を上げると、妻が首を傾げている。
 「いや大丈夫だよ。そうだな、ひょっとしたら週末もここにお世話になってるかも」と云って、私は笑ってみせるのだ。
 それから暫くの時間、私達は黙々と摘みを口に運び、ビールを何杯かお代わりした。
 「ところで貴方、最近ボォっとしてる事が多くないですか」
 「え!」
 「何か悩みとか、心配事でもあるの?」
 妻の表情を観れば、頬を朱く、目には酔いの色を浮かべて私を窺っている。
 「いや、別に…」私の口は勝手に動いていた。が、心の中では…あのな、気になっているのは、お前の事だよ、清美の過去の男と同窓会の事だろ、と呟き掛けている。
 「それよりだよ、清美の方はどうなんだい。女子会の約束はないのかよ」
 「ああ、3回目の女子会の事ですね。ええ、実は…」妻がジョッキを置いて、視線を真っ直ぐ向けてきた。
 「今度は泊まりでやろうって話も出てるみたいなんです…」
 妻のその言葉に、私の喉が鳴った。
 「お、おい、それって初耳だよな…」
 私のしどろもどろの声に、妻が肩を竦める。「ええ、実はそれの了解を頂こうと思ってまして、それで今夜…」
 「了解って…まだ計画中なんだろ?」
 「そ、そうです。だから、貴方の意見を…」
 「意見って訊かれても…」
 妻が何の予兆もなく、私を飲みに誘った理由が分かった気がした。
 男も一緒に行くのか、私の頭はその事を追求しろと指示しているが、言葉が出て来ない。
 すると妻が、言い訳するように話し始めたーー。
 彼女の説明によると、つい先日、由紀子さんから企画に対する伺いがあって、家族から了解が取れるか探っておいて欲しいとの事のようだった。
 妻の説明を聞いても、私はその申し出には、曖昧な返事に徹するだけだった。そして私の中には、モヤモヤだけが残ったのだった。




 金曜日の昼間、7通目となる手紙が届いた。
 しかしソレは、これまでと比べて厚みが1番薄いものだった。USBメモリが入ってる気配はどこにもない。
 それでも私は、逸る気持ちを抑えて仕事をこなし、予約した時間に遅くれないようにと、いつもの居酒屋に向かう事にした。


 店に入ると、馴染みになった若い店員が声を掛けて来た。
 「相良さん、お連れ様がお待ちですよ」
 笑みを浮かべる彼の顔を見ながら、私は一瞬キョトンとした。『お連れ様』とは誰の事だ。
 しかし、考える間もなく閃きが来た。
 妻の清美が来ているのだ!私は疑う事なく個室へと足を運んだ。
 個室の扉を開けた瞬間、足が止まった。見知らぬ女性が一人で居るのだ。その女性が、私を見上げる。
 「相良さんですよね、清美さんのご主人の」
 私は、立ち上がったその女性を、呆然と見詰める。
 「私、真木由起子と申します」
 その名前を聞いた瞬間、私はハッキリと驚きの声を上げたのだった。