小説本文




 渋谷君の体操教室の報告を聞いても、なぜだか私はボォっとしていた。そんな私の前で彼が欠伸をした。
 「早起きしたし、お腹もいっぱいで眠くなっちゃいましたよ。そろそろ帰ってもいいですかね」
 彼の様子に私は「どうもありがとうね。本当に助かりました」と改めて礼を云った。
 そして、席を立とうとする彼に財布を取り出して「渋谷君、コレは少ないけどほんの気持ちです」と一万円札を差し出した。
 彼は「あぁどうも」と受け取ってくれた。


 「先生はまだ暫く居ますか。帰る時とか奥様に見つからないように気をつけて下さいね」と笑ってウインクすると、出口の方に行ってしまった。
 彼の姿を見送ると腰を降ろし、ふうっと息を吐き出した。それから再び渋谷君の造り話を思い出したり、妻の事を考えていた。
 モヤモヤと意識の奥から滲み出てくるのは、私の浮気事実と妻が“白”だったというアンバランスな感情の縺(もつ)れだった。やはり私は、変態的な行いを妻に期待していたのだろうかと自問した。
 その時、ザワザワと胸の奥から得体のしれない蠢きが催してきた。頭に浮かぶのは夕べのネットニュースで読んだ教員夫婦の露出事件の事だ。
 私の指が無意識にスマホで検索を始めた。


 現れたのはここ最近の聖職者の性的不祥事の記事。
 【県立中学の保健室の先生がソープに勤務 】
 【教員カップルが県庁で性行為】
 【校長先生が乱交パーティーに参加】
 その見出しを上から追っていると、それだけでモワモワと熱い高鳴りがやって来た。
 記事の内容を読むまでもなく、アソコが硬くなってくるではないか。あぁ…私はやっぱり妻に期待をしている…。
 しかし、妻が半年ほど前からストレス解消に行っていたのは“残念”ながら体操教室のようだ。結局、私の“白昼夢”は夢のままで終わるのか…。


 それから変態教師の記事を読み終えると、席を立つ事にした。
 外に出て娑婆(シャバ)の空気に触れてみれば、自分の浮気事実の懺悔の気持ちだけが湧いてきた。やはり私は臆病者なのだ。


 顔を隠すように俯いて歩いて行くと、改札が見えてきた。この辺りは流石に凄い人波だ。その時、人混みの向こうに見覚えのある後ろ姿を見つけてしまった。
 その姿に足が竦む。それでも恐々ながら足を進めた。隣には誰もいないようだ。友人奈美子さんとは分かれたのか。


 妻の久美子が立ち止まったのは、北口の下りエスカレーターを降りて少し行った所だった。スマホを見ているのは時間の確認か。それともメールでもあったのか。
 私は急にソワソワし始めた。ゴクリと唾を飲み込むと、近くの壁に背中を預けた。そっと顔を出して妻を視線の端に置く。妻が首を振っている。誰かを探しているのか。
 その妻に一人の男が近づいてきた。
 誰だ!?
 と、もう一度目を凝らして見詰めた。
 秋葉先生!?
 どう言う事だ。


 唖然とする私を置き去りにするようにして、二人が歩き出した。私は慌てて後を追い掛ける。しかし直ぐに、足が震えているのが分かった。
 その足で追い掛けながら、二人の様子を探る。
 妻は秋葉先生から半歩下がって、そして俯き気味で歩いている。その雰囲気は主従の関係が成り立っているように見えてしまう。確かに二人は、以前同じ勤務先の学校で上司と部下の関係にあったのだが…。


 やがて二人の足が止まった。視線の先、約30mの辺りだ。
 ここは北口から10分ほどの場所。南口ほどの怪しい街並みではないが、繁華街の一角だ。
 秋葉先生が妻の背中に手を置いている。妻の方は黙って頷いているようだ。
 私は足を踏み出そうとしたが、慌てて止めて振り向いた。秋葉先生がチラッと後ろを確認した気がしたのだ。
 それから恐々前を向く。二人が目の前の店のドアを開けて入って行くではないか。


 店のドアが閉まった後も、暫く身体が竦んでいた。
 首を振って辺りを見れば、スナックの看板がやけに多い。もう少し先にはラーメン屋やコンビニもあるようだが。
 私は息を整え、妻達が入った店の前まで行く事にした。
 そこの壁には【BAR 白昼夢】くすんだ小さな看板があるだけだ。しかし、そのドアには『close』のプレートが掛けられている。
 私は暫くその看板を見ていた。白昼夢…頭の中に暗い幕が下りてくる感じだ。
 しかし…これはどう言う事だ。確かに日曜の昼間に、この手の店が開いている方が珍しいのかもしれないが。
 それにしても何故、妻と秋葉先生がこんな店に。


 心の中に不穏な気持ちと、ほんの少しの好奇心が生まれていた。妻達と出くわしたくはないが、このまま帰るわけにもいかない。先ほどから目にしていたコンビニに行ってみる事にする。帽子とサングラスを買って変装するのだ。
 コンビニのトイレを借りて、簡単な変装をしながら頭に浮かんでいたのは、以前妻から聞いた話だ。
 久美子の昔の教え子ーー秋葉先生の娘さんとのストーカー騒動の解決を祝っての打上げをやったのが、ここM駅のBARだと訊いていた。そこは秋葉先生の古い教え子がやっている店だと。あの店がそうなのか…。


 コンビニを出て、もう一度BARの近くまで行ってみる。
 あの店の中は、例の本の【白昼夢】に出てくる連れ込み旅館のようになっているのではないか。あぁ、又も怪しい妄想がモワモワと湧いてくるーー。


 店の奥には秘密の部屋があって、秋葉先生と久美子が秘め事を始めるのだ。いや、秋葉先生が妻をサディスティックに調教するのだ。そうだ。そして、その行為を客を呼んで見せるのだ。
 その時、思いついた。
 スマホを開けて検索してみる。
 M駅 BAR 白昼夢
 これで何かしらヒットするだろう。


 狙いは上手くいった。
 店のホームページも評価の書き込みも見当たらないが、電話番号は見つける事が出来た。
 非通知で繋がる事を祈りながら掛けてみる。
 きっと電話に出るのは怪しいマダムで、秘密のパーティーを告知してくれるのだ。
 しかし…残念ながら非通知は拒否されてしまった。
 どうしようか…と思ったところでコンビニを振り返ってみたが、あそこにはイートインスペースはない。
 何処で時間を…そう思った瞬間、立ち眩みがきた。身体がフラフラと近くの壁へと倒れるように寄り掛かる。
 陽射しが眩しく感じて目を細めた。頭の中が影に覆われていく…。


 いつの間にか、店の前で一人の女が立ち止まっている。
 誰だ!?
 あっ久美子!
 いや違う。奈美子さんだ!
 妻の友達の奈美子さんが店のドアをノックしているのだ。
 扉がスーっと開いて、奈美子さんが入って行く。私の意思も扉をスゥッとすり抜けて行くーー。


 ーー魂が浮遊している。
 視界にあるのは場末のBARの佇まい。
 カウンターの前を通り過ぎて行く女の後ろ姿。
 やがて女が足を止めて顎をしゃくった。そして女が、壁を指さした。そこには一枚の古いポスターが貼られている。
 女を見れば、掌を“私”に向けて広げている。
 ああ、金がいるのか。
 財布から札を取り出して、掌の上に置いてやった。先ほど渋谷君にもお礼をしているから、残りはあと僅かだ。フトそんな事を考えていると、ポスターが捲くられた。そこにあったのは穴。小さな覗き穴。
 その穴に引き寄せられるように近づいて目を充てた。


 見えたのは和室部屋と、そこには似合わない巨大な洋風ベッドにソコを照らすピンク色の光線。
 そしてそこに蠢く二つの肉体。
 二つの身体は上に下に肉を擦り合わせて絡み合う。まるで互いの急所を探すように。
 蛇(ヘビ)のように絡み合っていた一体が顔を上げる。中年男だ。
 男の手がニョロニョロと女の首に巻き付く。女が苦しそうに顔を振る。しかしその表情は悦(よろこ)びに歪んでいる。


 私は目を凝らした。炙り出されるように浮かび上がる女の貌。その女と目が合った。
  アーーーーッ、く、久美子!!
 驚愕に震える私。その私の肩を誰かが叩いた。
  振り向けば、久美子!!
 じゃあ、覗き穴の向こうの女は…。
 いいや、目の前のこの女は奈美子さんか!?
 その女が私の首に手を廻してくる。その手が蛇となって、首から身体中へと廻って行く。


 んぐぐぐっ、私は呪縛から逃れようと力を振り絞った。
 そして…。
 ハッと我に帰った瞬間、一斉に汗が噴き出るのを感じた。
 壁により掛かったままハーハーと息を吐き出した。
 「あぁくそっ、また同じ夢だ」
 その姿勢のまま荒い呼吸を続けていた私は、周りを見まわした。運良く私を笑う人はいない。


 やがて落ち着きを取り戻すと、股間のテントが異様に膨れ上がっているのに気が付いた。
 自虐的な笑みを零すも、直ぐに羞恥の意識が働いてきた。
 店に視線を向ければ、ドアは閉まったままだ。それでもそのドアがいきなり開いたらと思うと、急に身体が震えてきた。
 私はサングラスを掛け直すと、急いでその場から逃げ出したのだった。