小説本文




 私達夫婦が何年ぶりかに行った“デートごっこ”。そして何ヵ月ぶりかのセックス。
 妻は久しぶりのセックスをどんな風に感じたのだろうか…。私の方には満足もあったが不安も生まれている。彼女に満足はあったのか?それとも不満が残ったか…。
 そんな事を聞けないまま日常はやって来て、月曜日が始れば時間が流れて行くーー。


 ーー水曜の夜。
 コンコン、ノックの音にドアを開けると、口元を引き結んで妻が立っていた。


 いつもと違う彼女の様子に嫌な予感がした。
 「ど、どうしたの…」
 私の問いに、妻はどこか不安げに見詰めてくる。
 「あの…あなた、実は前から思ってたんですけど、アタシに何か言いたい事があるんじゃないでしょうか」
 いきなり投げかけられたその言葉に、緊張が走り抜けた。
 私は強張りながらも質問の意図を考えてみる。このタイミングで聞かれるとしたら、やはり先日のホテルの事か。
 と、思いついたところで、妻が続けてきた。
 「先日のホテルの時に改めて思ったんです。あなたの“クセ”…ソレを感じて確信してしまったんです」
 クセ?…そう訊こえた言葉に私は首を傾げている。


 「クセ…って云いましたけど、あなたに馴染みのある言い方だと“性癖”になるでしょうか」
 性癖!!まさかのその言葉に、身体が一瞬で固まってしまった。
 「ど、どういう事…かな」
 震えを帯びた声が零れ落ちていく。


 「…はい、半年ぐらい前からあなたの様子がおかしいんです。雰囲気もどこか病的な感じで…アタシもあなたに何か言葉を掛ければ良かったのかも知れませんが…。そんな時、申し訳ないと思いつつパソコン…あなたのパソコンを視れば何か掴めるかと思って、その…つい覗いてしまったんです」
 「ええっ!!」
 「はい、それでネット…インターネットであなたが視て来た履歴を知ってしまったんです…」
 「ああッ!!」
 私の身体は瞬時に身震いを起こした。そして急激に熱くなっていった。穴があったら入りたいとは、この事だ。


 …妻とは何年か前から寝室を別にしていた。そこに深い意味はないが、互いの部屋への出入りには遠慮があったのだ。だからか家用の私のパソコンにはパスワードを設定していなかったのだ。


 頭の中では、これまで視まくってきたエロのシーンが渦を巻いている。あの映像や、あんな動画を妻が視たのかと思うと、身体の震えが増すばかりだ。そんな私に彼女が続ける。
 「それで、あなたの履歴に色々と思う事がありまして…」
 彼女が口にする『履歴』ーーそれは間違いなく“エロの履歴”だ。そう、私が隠し持っている変態的な妄想を証明するものだ。
 身体は更に硬くなっていき、唇は震えるばかりだ。


 「それでその時、アタシも思ったんです。…好きな事をしようと…」
 ああ…っ。それは“離婚”か、と思ったところで彼女が首を振って「…離婚は考えていません」私の表情を読み取ったのか、彼女は落ち着いた感じでそう告げた。


 「…はい、離婚をいうつもりはありません…けど、その時アタシも好きな事をしようと思って…」
 好きな事ーー彼女はその言葉を2度使い、そこで俯いた。
 そんな彼女に、私は何とか言葉を探して「あ、あの…それは半年くらい前には、そう思ってたって事なの…」
 黙って頷く妻。
 私は仕方なしといった感じで、ウンウンと小さく頷いている。そうなのだ。それまでのストレスに耐え兼ねなくなって、エロサイトに嵌まり出したのが半年ほど前なのだ。やはり、妻の目に私の様子は病的に映っていたのだ。


 妻も同じ教師としてストレスには同情してくれてると思っていた。勿論お互い様のところもある。
 しかし、私のストレス解消の方法が軽蔑の対象になってしまったわけだ。それでもソレが、救い用のない私の性癖なのは間違いない。


 「あなた…それでアタシも、その頃から好きな事をさせて貰ってるわけなんです…」


 言い終えた彼女の目には涙か、後悔の色も浮かんだ気がする。
 パソコンを覗いてしまった事が彼女の後悔に繋がたっとしたら、申し訳ない気持ちと同時にやるせなさも湧いてくる。
 その彼女が俯いたまま背中を向けた。
 立ち竦んだままの私は、部屋を出て行く後ろ姿を見送るだけだった。


 部屋のドアが閉まる音を聞いて、私は倒れ込むようにベッドに横になった。
 時計を見ればもうこんな時間だ。そう、いつもならエロサイトを覗いてる時間だ…。しかし、さすがに今夜はパソコンに電源が入る事はない。


 目を開けて天井を見ていれば、浮かんでくるのは先ほどの妻の事。頭の中で彼女が言った言葉を思い返してみる。
 妻は『…好きな事をさせて貰ってる…』と告げた。
 それがせめて私と同種の変態的な振る舞いなら、この気持ちが少しは救われるのか..。私はそんな病的な事を考えながら、眠れぬ夜を過ごしたのだった。




 次の日の朝は重いものだった。妻に“おはよう”の挨拶を掛けて良いのか。と、そんな心配を胸にリビングに行ってみたが、彼女の様子はいつもと変わらなかった。しいて言えば口数が少ない気がしたが。


 朝の出勤時間は別々だ。先に家を出る私。この日の私は足早に家を後にした。
 最寄り駅に向かうバスの中では、出掛けに言われた妻の言葉が蘇る。
 『今夜はまた教え子と約束があります。相談の続きなんです』
 これまでなら『~ですよ。~なので食事は自分でお願いしますね』そういう云い方をしたのではないだろうか。私はそんな事を考えながら勤務先の中学に向かっていた。


 学校に着いた私は、この日も重い気分で一日を過ごした。とは言っても、授業はそれなりに真面目にやったつもりだ。
 何とかこの日の教務を終わらせ、残業めいた事もこなした私は、急いで学校を後にする。
 こんな時は居酒屋で一杯やりたいところだが、その相手も思い付かない。それに酔えば、とんでもない事を吐き出しそうな自分が怖い。
 そんな私は、一駅足を伸ばして隣町に行く事にした。そこに昔馴染みの古本屋があるのを思い出したのだ。


 そこは掘り出し物がよく見つかる店だった。
 昔から読書好きの私には有難い店なのだ。
 店に着いた私は、さっそく出会いを求めて店内を歩き始めた。


 暫くして見つけてしまったのは、一冊のかなり古い本。たしか私が10代の頃に同じく古本屋で買った事のある本だ。なぜあの時、この本を買ったのかーーおそらく性に興味を持ち始めた私に、ピンと来るものがあったのだ。いわゆる衝動買いと言うやつか。あの時はソレを買って、隠すように持ち帰った記憶がある。
 その後、その本をどうしたかは忘れてしまったが、目の前には同じ物があるのだ。私は迷う事なくそれを手に取るとレジに向かったーー。


 ーー選んだ店は、駅前にあったカフェだった。
 そう、私は買ったばかりのこの本を家で読む勇気がなかったのだ。妻に見つかりでもすれば、どう思われるか考えただけで暗い気持ちになる。この場で読んで、直ぐに棄ててしまう気でいるわけだ。


 その本ーー【白昼夢】を開けてみる。
 私は一応、周りの視線を意識しながら読み始める事にした。妻は今夜も遅い筈だし、時間はたっぷりある。


 白昼夢…。
 主人公はお偉い大学教授だ。


 その教授ーー男には医者や弁護士、お偉い知り合いが大勢いた。
 しかし男は、悲しい事に奥さんを早くに亡くしていた。
 大きな屋敷に使用人と住むこの男は、出世欲に金欲、それに性欲を人並み以上に持っていた。
 奥さんを亡くして以来、男は性欲を妖しいパーティーで誤魔化していた。しかし心の奥底では、もっと嫌らしくて隠れ家的な裏寒いエロスを欲していた。
 そんな男が、知人の弁護士の紹介で見合いをする事になる。
 男は一目で相手の女性を気に入り、後妻として迎え入れる。
 周りの人達が気にしたのは、その女性の歳が一回り近く若かった事。
 陰口は女性を財産目的と叩いたが、男はそんな事を気にしない。
 それよりも気になったのは、新しい妻が性に淡白すぎた事だ。それでも男は、妻を自分好みに育てようと可愛がった。
 しかし…。


 暫く経つと、妻は退屈な時間に嫌気がさしてくる。妻は籠の中の鳥だったのだ。
 習い事をしたいと言い出す妻。しぶしぶ認める男。
 やがて男の仕事が忙しくなって、小遣いだけを与えて構ってやれなくなる。
 夜の方は相変わらずの淡白が続いてる。


 ある頃から男の精力が目に見えて落ちていく。仕事のストレスが異常に大きくなってきたのだ。
 それに比例するように妻の外出が増えていく。
 そして、妻の化粧が日に日に濃くなっていく。
 それまで幼く見えてた妻が大人びて映って見えてきた。蛹が蝶にでも変わるように誰かが妻を研(みが)いているのか。
 疑惑を抱いた男は探偵を雇って妻の尾行を命じる。
 探偵からもたらされる驚きの事実。
 妻は若い男と会っていた。いや、若い男だけではない。遥か歳上もいるらしい。
 狼狽した男は“その現場”を覗きたいと言い出す。
 止めようとする探偵。それに反発する男。


  どういう事だ!
  お前はただの雇われだ!
  俺の命令に従え!


 男は探偵と一緒に妻を尾行する。
 つき当てたのは変哲のない古いだけの一軒家。そこにいたのは一人の老婆。
 探偵達の姿に気味の悪い笑みを浮べる老婆。
 何も知らない男は老婆に促されて暗い一室に通される。そこで金を要求する老婆。
 金を受け取った老婆が壁に貼られたポスターを捲る。そこには小さな覗き穴。
 男はその穴に近づこうとしてハッと気づき振り返る。居るはずの探偵の姿が何処にもない。


 意味深な笑みを浮べて老婆が部屋を後にする。
 一人になった男は心を決め、壁に近づき穴を覗き込む。
 見えたのは和室部屋と、そこには似合わない巨大な洋風ベッドにソコを照らすピンク色の光線。
 そしてそこに蠢く二つの肉体。
 二つの身体は上に下に肉を擦り合わせて絡み合う。まるで互いの急所を探すように。
 蛇(ヘビ)のように絡み合っていた一体が顔を上げる。若い男だ。その目が“私”を見つめる。
 若者の手が、にょろにょろと女の首に巻き付く。女が苦しそうに顔を振る。しかしその表情は悦(よろこ)びに歪んでいる。


 私は目を凝らした。炙り出されるように浮かび上がる女の貌。その女と目が合った。
  アーーーーッ、く、久美子!!
 驚愕に震える私。その私に若者が寄ってきた。
  ああっ、き、君は探偵の渋谷君!


 若者の腕が蛇となってこちらに向かってくる。
 私の首を絞め、やがて身体中に廻って行く。


 んぐぐぐっ、私は呪縛から逃れようと力を振り絞った。
 そして…。
 ハッと跳ね起きた瞬間、一斉に汗が噴き出るのを感じた。
 俯いてハーハーと息を吐き出した。
 「な、何なんだよ今のは…」
 暫く荒い呼吸を続けていた私は、周りを見まわした。どうやら椅子に座ったまま眠りに落ちていたようだ。


 やがて落ち着きを取り戻すと、股間が異様に硬くなっている事に気がついた。
 あぁ…今のコレ、蛇みたいな亀頭になってんだろうな。
 そんな自分で吐いた冗談にも笑えない私がいる。
 それにしたって…久美子がまさか…。