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第15話
月曜日が来れば、再び仕事中心の一週間が始まる。
少しでもストレスを溜めないようにと考えるのはいつもの事で、今の私の心の拠り所は渋谷君になっている。そんな彼に、この日は昼休みにメールを送ってしまっていた。
《渋谷君、こんにちは。
今週のどこかで又会って話を出来ませんか?
特に意図はないのですが、誰かと話してないと落ち着かない感じなんです。
悩める中年の相手をお願い出来ればと思います》
送信前に読み直して、情けない自分を自覚したが止められなかった。
メールの返信は直ぐに来た。
《水曜日なら空いてますよ》
あっさりした一言だったが、私には充分だった。
予定を確認して、直ぐに返信をする事にした。
そして、水曜日の午後7時に前回行った“あの”M駅のカフェで会う事になった。
私は渋谷君と約束が出来た事で、午後からの授業を頑張ろうと思えたのだった。
火曜の夜、予期せぬ展開が待ち受けていた。
風呂上がりにソファーに座ってボオっとしている時だった。
「あなた、明日の夜、また少し遅くなるんです…」
「え、そうなの…」
「はい、実は打ち上げなんです」
「打ち上げって学校の?」私は何の気なしに訊いている。
「いえ、秋葉先生の娘さんとです。ストーカーの事が一段落したので…」
妻の言葉に背筋がスッと伸びた気がした。その姿勢のまま「ひょっとしてストーカー捕まったの?」緊張を帯びた声が妻に向かっていく。
「いえ、逮捕に至ったわけではありませんが、警察に入ってもらって、弁護士も立ちあって…」
「ああ、そんなに進んでいたのか」
「はい。それで相手も反省の色をみせて、念書も取ったんです。だから一応一安心かと」
「そっか、それは良かったね。ところで打ち上げは何処でやるんだい?女子高生が一緒じゃ酒は飲めないね」
「仰る通りです。でも、紹介されたバーがありまして、そこで」
「えっ、バーじゃまずいじゃないか」
「いえ、私は少し飲みますけど、その子には当然飲ませません。それにそのお店のマスターって秋葉先生の昔の教え子さんなんですよ。だからマスターもお酒を勧める事はありませんわ」
「ああ、そうなんだ。それにしても秋葉先生は付き合いを大切にしてるんだな。あれ、ひょっとして先生も来るの?」
「先生は来られませんわ。その子とアタシだけの予定です」
頭の奥に会った事のない女子高生の顔が浮かんでくる。そこに妻が現れて、あの夜の怪しい文句だーー。
『レズもしてるのよ…その娘(こ)…興味があったみたいで…相手をしてあげたのよ…アタシって…両刀使いなのよ』
裸の女性が二人、頭の中で抱き合っている。妻は“女”と不倫してるのではないか。ひょっとして本当に、その教え子に怪しい手解きをしてたりして…。
「あなた…あなた、どうしたんですか」
「へっ!」妻の声に我に帰った。顔を向ければ、心配そうな目が見詰めている。
「あなた…この間も云いましたけど、半年ほど前からずっと変ですよ」
「あぁ、ごめん」頭を下げて苦笑いを浮かべた。
彼女は暫く訝(いぶか)しげな目を向けていたが、振り向いて部屋を後にしようとする。
私は彼女の後ろ姿に「あのさぁ、打ち上げのバーって何処にあるの?」思い出したように尋ねてみた。
その声に妻の足が止まった。そして、顔だけ俯き気味に振り向いて「M駅ですわ」返ってきたのは、どこか冷たい声…その響きに風呂上がりの身体が震えたのだった。
水曜日も予期せぬ展開が待っていた。
この日、授業が終わると残務を何とか済ませて、私は一目散にM駅を目指した。着いたのは7時5分前だった。
しかし、席に着くなりスマホが震えた。見れば渋谷君からのメールだ。
《寺田先生、すいません。
急な仕事が入ってしまいました。そちらに着くのは8時頃になる可能性があります》
メールを読み終え『8時頃』とは、暫く時間があると思ったが仕方ない。今日の約束はこちらからお願いした事だと自分に言い聞かてみる。
コーヒーを飲み干すと、店を出て小腹を満たす為に店を探す事にした。
南口のあの怪しい雰囲気も怖いもの見たさだが、北口の健全な方でラーメンを食べる事にした。そこで食べ終わると、私はブラブラ歩いて先程のカフェに戻る事にした。
席に着けば、最近この手のカフェに入るのが多い事に気づく。あの本【白昼夢】を持って来れば良かったと思ったりもしたが、机の中で眠っている。そんな私の頭の中には妻の姿だ。
そう、久美子も今夜、この街のどこかのバーで教え子と打ち上げをしているのだ。その事を考えると、偶然どこかで会ったりしてと、想像を働かすが中々そう言う事はないだろうと思い直している。
コーヒーを飲み終えて暫く経った時だった。スマホが震えた。時刻は8時5分前。相手は渋谷君だ。
《今、約束のカフェにいますか?
あと5分ほどで店に行けます》
私が了解の返信を送って間もなくすると、彼が現れた。頬が幾分か朱い気がする。
「先生、どうもすいません。夕方、神田先生から急ぎの指令が入りまして」
「ああ、渋谷君、御苦労様です」
何故か労いの言葉が付いてしまう私。
「はい、実は例の“歳の差夫婦”…あの人達からの急な依頼だったんですよ」
「そうだったんだ。こんな平日に…二人とも教師なのに…」
「ほんッと変態教師のエロパワーって凄いですよね」
彼の口調は呆れも入っているようだが、愉しげである。
「それでね、あの御夫婦を神田先生の事務所…ほら、この間話したマジックミラーの部屋に案内してたんですよ」
「えっ、そうだったの!」
「はい。お二人とも、少し前から新しい刺激が欲しいって告(い)ってたんですよ」
「あぁ、そうなんですか…」
「ええ、ご主人のアソコの勃(た)ちが良くなったんで、エロに拍車が掛かったんですかね」
「あぁでも、渋谷君も煽りを入れてたんじゃないの」
そう口にした私の頭の中には、嬉しさというか羨ましさもあったかもしれない。夫婦揃って変態の道を進むのは幸せなのではないか。
「寺田先生、それでね」
彼が覗き込んでいた。その表情(かお)には、この街に合う怪しい笑みが浮かんでいる。
「ついさっきまで、僕が二人の絡みを覗いてやってたんです。お二人は結構大胆にやってましたよ。それでね…」
「………」
「次は二人のセックスを僕以外の見知らぬ他人に覗いて貰いましょうかって提案したんですよ」
彼の言葉に「ううっ!」思わず口に含んでいたコーヒーを吹き出しそうになってしまった。
「そ、それって、ひょっとして…」
「ええ勿論。寺田先生に覗き役をやってもらって、あの夫婦に刺激を与えて上げようと思ったんです」
「あぁッ!」
私は唸り声を上げて、渋谷君の顔を見詰めた。彼の表情は冗談など告げていない。
「どうですか、先生」
「で、でも、先方は本当にいいんでしょうか」
こんな時でも、相手の都合を考えてしまうピンとのずれた男がここにいる。
「大丈夫ですよ。けど、言い忘れましたけど、向こうは一応仮面を着けます」
「仮面?」
「ええ、エロ小説なんかに出てきたでしょ」と彼の顔がニタニタと歪んでいく。
私の中にはジワジワと“その”場面が浮かんでくる。【白昼夢】の本の中にも出てきた仮面舞踏会で着けるような怪しい仮面だ。
「どうしますか?行くなら早く行きましょう。向こうも期待して待ってると思うんですよね」
「えっ今から!」
「はい、そうです」
真剣な目が真っ直ぐ向かってくる。
私は彼の目力に「わ、分かりました。い、行きます」と、返事をしていた。
「ありがとうございます。では、電話を入れておきますね」
そう告げて彼は席を立つと、スマホを操作しながら店の外に出て行ってしまう。私は緊張を覚えてトイレに行っておく事にした。
用を足すと、妻に一報を入れる事を思い付いた。彼女もこの街の何処かにいるわけだが、私の方が帰りが遅くなる予感がする。
《急用が出来てM駅で人に会う事になりました。
帰りは遅くなると思います》
『M駅』と書いて送信した事が、無意識に妻に“牽制”を入れてしまったと思ったりもしたが、もうどうしようもない。私は頷きながらトイレを後にした。
席に戻ると、電話を掛け終えた渋谷君が待っていた。
「OKです。では行きましょうか。先生もですけど、向こうの二人も明日 仕事ですしね、早めにね」
そうなのだ。これから覗く二人は私と同じ教師なのだ。私は彼らにシンパシーのようなものを感じるだろうか。
気が付けば、心臓が早鐘のように鳴っている。