小説本文




 渋谷君に相談を持ち掛けてから、3日が経った。
 その間の私は、以前にまして妻をより注意するようになっていた。勿論、妻の視線を常に意識する私もいる。
 日課になっていたエロサイトの覗き趣味は、あれ以来ご無沙汰で、私の精神状態は現実世界へと向いていた。そう、妻の浮気疑惑だ。
 その後の妻は、月曜の夜に教え子と会うと告(い)っていたが、渋谷君の都合が悪くて尾行には至らなかった。
 次に彼女が“教え子”の話を出したのは金曜日の夜の事だった。


 「あなた、明日の土曜日ですけど又相談会なんです」
 このところの会話が事務的になっていた私達。それは仕方ないのだが、この夜は突っ込んで訊いてみる事にした。
 「ああ教え子だったよね、ご苦労様…。で、明日は何時頃に出掛けるのかな。僕は古本屋にでも行こうと思ってるんだよね…」
 私から質問など来るのは想定外だったのだろう。彼女が一瞬身構えた気がする。
 「…ああ、明日はですね午後1時にM駅ですわ…はい」
 時間の質問に場所まで答えてしまった妻。その様子からも彼女が緊張したのが窺える。
 私は妻の返事に無関心を装ったが、頭の中でM駅を思い浮かべていた。
 それから部屋に戻ると、真っ先にする事は決まっている。そう、渋谷君への連絡だ。
 メールを送ると、返信は直ぐにきた。


 《寺田先生、ご苦労様です(笑)
 午後1時M駅ですね。
 そこは良く知ってます。
 善と悪が同居してる街ですよね。
 了解です。明日は身体が空いてるので奥様を張ってみます!
 ご自宅を出るのは、12時頃ですかね。一応、奥様が出掛けたらメールで教えて下さい。
 では》


 私は彼のメールを読みながら“善と悪”(?)と、意味の分からないところもあったが、ホッとする自分と新たな緊張を覚える自分がいた。




 次の日、妻が家を出たのは、渋谷君の予想通り昼の12時だった。
 私は直ぐに渋谷君にメールをした。しかし、送ってから直近の妻の写真を用意しておけば良かった事に気が付いた。先日、彼に送った写真は何年か前の物なのだ。
 渋谷君はM駅に1時というだけで、妻を見つける事が出来るだろうか。あの“歳の差夫婦”の奥様、たしか名前は奈美子さんーーその人と久美子が似てるとの事だが、それを頼りにしたとしてもどうだろうか。
 私はそこまで考えただけで、自分の計画のずさんさに気が付いてしまった。だからといって、今さら渋谷君に今日の中止を求めるのもどうしたものか。
 結局私は、渋谷君の“地の理”ーーM駅を良く知っている、と告げた彼に期待して待つ事にした。昨日、妻に言った古本屋に行くという話も嘘で、家で過ごす事にしたわけだ。


 昼食を残り物で済ませた私は部屋に籠る事にした。
 カバンから取り出したのは【白昼夢】ーー古本屋で購入した例の本だ。あの日、カフェで読み終えれば、そこのゴミ箱にでも棄ててしまおうと思っていたのを持って帰っていたのだ。それをもう一度読む事にして、椅子に腰かけた。


 読み始めると直ぐに引き込まれた。そして、物語が終わりに近づいたところでムラムラしたものが立ち込めて来た。
 主人公の男の妻が、怪しいパーティーに登場するシーンだ。
 そのパーティーは先妻を亡くした男が自身の欲求を満たす為に、特権階級の仲間達と不定期に開いていたもので、表向きは社交的な晩餐会気取ったものだが、一部の参加者には別室が与えられ、そこで“性的”な催しが行われているのだ。
 男の妻は舞踏会で身に着けるような仮面を着けて、秘密裏に潜入していた。いや、ひょっとすると男の黙認の上に参加していたのか。
 私は、男の妻が秘密の部屋で司会のような男から指名された場面で本を閉じた。そして、目を瞑って頭の中にそのシーンを思い描いた。


 …漆黒のドレスを纏った仮面の女が、人波の間を泳ぐようにすり抜け、中央のテーブルにたどり着く。
 女は周囲の視線が自分に向いてる事を確認したのか、静かに頷くと背中に手をやって。
 身体から抜けるように床に落ちる黒い塊。それは何かの蛻(ヌケガラ)か。
 露(あらわ)になったのは白い肌に黒いランジェを残した女の肢体。
 漆黒のブラからは豊満な膨らみが揺れながら顔を出す。
 女がテーブルから一歩離れてクルリと回る。部屋の誰かに、これからの振舞いに同意でも求めたか。
 片足を椅子に乗せ、ストッキングを脱いでいく。腿の辺りからクルクルとゆっくり焦らすように、右足から左足へと。
 脱ぎ終えたストッキングを床にそっと落とす。そして、改まったように胸を張ったのは、その身体を周囲にアピールでもしようとしたのか。そして、テーブルの上へと上がっていく。


 いつしか部屋の中には、妖しいテイストを携えた“如何にも”の音楽が流れている。
 照明も隠微な光線に変わっている。テーブルの上で、その光を浴びながら女が背中に手を回す。
 ポトリと床に落ちる漆黒のブラジャー。膨らみの先の突起は硬く尖って視える。
 次に女はショーツに手を掛ける。
 内側から欲情を導き出す不思議なメロディー。それに乗って女は、ショーツを下ろしていく。


 テーブルの上。遂に裸になった女が、再び胸を張る。暗い光線が身体の凹凸に扇情的なコントラストを描いている。括(くび)れた腰が艶めかしい。
 女が貌を振って、どこかに目を向ける。そこから確認を得たのか、コクリと静に頷く。
 そして…。
 『あぁ…みなさま、アタクシ◯◯中学で教師をやっております…』
 その病的な声の響きで、周囲の緊張が更に高まっていく。
 けれど女の方は、そんな空気を待ち望んでいたのか、身体を少しブルルと震わせただけで妖しい呻き声を吹き零す。
 掌は身体を摩りながら、上から下へと這いずって回る。
 周りの誰もが動きを止め、その姿にクギ付けになっている。次の振る舞いに期待を寄せるのか、息を飲んで見入っている。
 やがて女は膝をつき、自らを犬の格好へと導いていく。
 開陳された秘密の部分を、周囲の目に遠慮なく曝す。
 そして女は、その部分を高く突き上げて…。


 『如何ですかみなさんアタクシのオマンコぉ』
 女が声を轟かす。周囲に聞かすように…妖しい声で…。
 『あぁ…皆さまは“不道徳なショー“には興味がありますよねぇ…。どなたかアタクシとこのテーブルの上でセックスして下さい。みんなが見てる前で生板本番ショーのお相手をお願いしまぁす』


 周囲の口から呻きの声が漏れる。女は更に煽りを入れるように尻を振る。そして、その秘所に指を当てて拡げる。
 『アタクシのココ、中はいつもトロトロなんです。締まり具合もいいんですよぉ。どうぞ遠慮なさらずに』


 気が付けば“私”の足がフラフラと女の方へと寄っている。
 女の目が私を捉える。そしてニヤっと笑う。
 『あぁ…イイ男…』
 『お、お前は、く、久美子か…』
 『ウフフ…さぁどうぞ上がってぇ。アタクシのココ、公衆便所ですけどよろしいわねぇ』
 『ウウウッ、アアアッ』


 あぁ…イイ男…。
 あぁ…イイ男…。
 あぁ…イイ男…。


 頭の中で渦が廻っている。
 その渦の真ん中から男の顔が浮かび上がってくる。
 何者だ…。


 ビィーー。
 ビィーー。
 ノイズの音が聞こえる。


 んんッ、重い瞼が上がっていく。
 その目に震えるスマホが目に付いた。