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 デートごっこで待ち合わせの場所に向かった私ーー寺田達夫。
 そのカフェを見つけると直ぐに、辺りにを目を配った。
 店の前には人妻売春の女…は、いない。
 時間を見れば、約束より少し早く着いてしまったようだ。


 私はとりあえず店に入って妻を待つ事にした。
 コーヒーを持って席に着いた私は、改まって妻ーー久美子の事を考える。


 そういえば一つ歳下の妻との出会いは何時だったか。ああ、区内の若手教員による勉強会の席だった。何となく話をするようになって、何となく付き合いが始まったのだった。そして気づけば結婚していた。
 何となく…そんな頼りない言い方になるほど時間が経ってしまったという事だ。新婚の頃、猿のようにまさぐりあっていたセックスも回数が減って、いつの間にか年に数回だ。それも当たり前と言えば当たり前かもしれないが、私に魅力が無くなったとも言えるのではないか。
 教員の仕事は想像していた以上にストレスの溜まるもので、私の魅力(?)もそのストレスに削り取られていったのか。そして勿論、妻にもストレスがあるのだ。彼女のストレス解消は何だろう。もしもソレがオトコ…だったら。


 私はスマホを開けて1枚の写真に目をやった。それは何年か前に、たまたま撮った妻の写真だ。
 そこに写る妻は細身に視(み)える。しかし彼女は見た目よりも出る所は出て、引っ込んでいる所は引っ込んでいる素晴らしい肉体をしているのだ。
 そんな写真の彼女を見ていると、又も新たな妄想が湧いてきた。


 妻は“男”にも写真を許しているのか。この写真のように澄ました笑みを向けたのか…しかも何も身に着けない裸で。この後男は妻に卑猥なポーズを強要しなかったか。いや、久美子はイヤな素振りを見せながらも、自分から男が喜ぶ格好を披露したのではないか。


 頭の中に黒い雲が降りて来る。
 目を瞑れば声が聴こえる。


 ーーまるで 恋をしたことのない生娘のような反応。
 ーー知らぬが損というもの。
 ーー楽しむ事 それが女の本性。


 久美子…私の唇が小さな声でそう呟いた。
 その時「あなた」
 ハッとして目を向ければ妻の久美子が立っていた。


 「あなた、大丈夫ですか。なんだかお疲れのようですけど」
 妻が心配そうな顔で覗き込んでいた。
 「あ、いや、大丈夫だよ」
 私は軽く首を振ってから彼女を席に促した。
 目の前に座った妻の顔をじっと見つめる。手前みそかも知れないが、彼女は以前から美人と言われる事が多かった。私もそう想っている。今夜のその服の下に隠された肉体だって37歳になった今でも素晴らしいのだ。子供を産んでいない事、若い頃に体操をやっていた事がその要因かも知れない。
 そんな妻は、昔から今も私の事を“あなた”と呼ぶ。そう、結婚してからずっと彼女はそう呼ぶのだ。
 それともう一つ、彼女は夫の私にも“です、ます”と、いつも丁寧な言葉を使うのだ。それも結婚してからずっとだ。私としては嬉しく感じる反面、仰々(ぎょうぎょう)しくて肩が凝る事もある。


 「あなた、今日のお仕事はどうでしたか。疲れました?」
 不意を付く彼女の問いに一瞬ドキっとした。
 そうだった。今日は神田先生に会うのに“仕事”と云って家を出ていたのだ。


 「ああ、そうだね、仕事と言っても大した事じゃなかったし無事に終わったよ。久美子の方はどうだったの?確か今日は昔の教え子と約束があったとか」
 「ええ、そうなんですよ。その子…もう、高校生になるんですけど色々と難しい時期も重なって…」


 妻には昔から人を放っておけないところがある。今の教え子の話も半年ほど前に駅で偶然に会って、そこから相談に乗るようになったとか。
 同じ教師として妻の姿勢は尊重できる。私もくたびれてはいるが、一応教師だからそれは分かる。
 しかし…。
 妻の真面目な性格と付き合っていると、ヤキモキする事があるのも事実だ。
 そして、その妻の変貌に期待をしてしまう私がいるわけだ。或いはそんな妻が裏では変質的な性癖を隠し持っている。既にソレを実行しているーーなんて妄想を立ててしまう変質者がここにいる…。


 「あなた…あなた、やっぱりお疲れじゃないんですか」
 声に顔を上げれば彼女が乗り出すように、こちらを見つめている。その不安げな表情(かお)に、ぎこちなく笑ってみせる私。


 暫く心配そうな顔をしていた彼女だったが「ああ、そうですわ。聞いてくれますか」と、何かを思い出したようだ。
 彼女が声を落として顔を寄せて来る。
 「乗ってきた電車なんですけどね…。アタシ…痴漢にあっちゃったんです」
 エエッ!!驚くほどの声が出てしまった。その声に周りの視線が一斉にこちらを向く。
 私は慌てて俯いてしまった。
 そして「あのさぁ…痴漢って云ったよね」囁くように尋ねてみた。
 「…はい、云いました。痴漢にあったんですよアタシ」返ってきたのは私より小さな声だ。


 コホン、軽く咳払いして周りを見てから身体を乗り出した。
 「ど、どういう事?」
 「は、話すんですか…」
 「あ、ああ…頼む」
 「…じゃあ、話しますわ…」
 「…うん」


 ーー妻の痴漢の話は私の脳に強い刺激を与えた。
 その電車はかなり混雑していたらしい。普段バス通勤の彼女にとっては特にキツかった事と思う。しかしそんな同情よりも、満員電車のその場面に妄想を膨らませてしまう私がいる。


 「…はい、最初は太腿の辺りに感じてたんですよ…。暫くすると、それがお尻の間にスルっと入り込んで来たんです。そこで初めて痴漢だって気が付いたんです」
 「……」
 「…それまで生徒には痴漢にあったら勇気を出してって言ってたんですけど…。自分がそんな場面に合いますと身体が硬直して声なんか出せませんでしたわ」
 「…い、いや、そんな事よりさ、ど、…どんな感じに触られたんだろうか」
 「…あなた、変な事訊きますわね…あぁ、スルっと入って来たって言ったじゃないですか…」
 困惑気味の妻の様子は分かるが、私の歪んだ精神は止まりそうにない。
 「いや、その手はどうなったの…お、お尻を触っておしまいなのかい」
 「あぁ…っ、その手ですか…ええ、それが奥の方へと…はいお尻の、その…割れ目を拡げるように進んで来たんですわ」
 「んぐっ…で、その後は…」
 「あぁんっ。…アタシは何とかお尻を振って、その手をどっかにやろうとしました…けど、なかなか…。そうしたら相手は、大胆になって来まして…」
 「そ、それで」
 「ええ…今度は前の方にと…手を回して来たんです」
 その時、私は思わずテーブルの下を覗きそうになっていた。妻の股間の辺りを観(み)たくなってしまったのだ。


 「そ、それでどうしたの。…どうなったの」
 「あぁ、はい。アタシのショーツの端まで手が寄ってきて、そして遂に…」
 ンググ!喉が唸ってしまった。目もこれでもかと拡がっている。
 「それで中まで入って来たんです。…はい、それがアソコまで…」
 アソコ…私は声こそ我慢したが奇妙な音を立てていた。腹の中に何かが落ちていく感じだ。
 「あぁ、アソコ…って」
 そう呟いた声は妻には聞こえなかったと思う。妻は頬を朱(あか)くして俯いている。


 頭の中に妄想が湧き立ってくる。
 清楚な女の口から隠語4文字を吐き出させるのだ。
 さぁ久美子、オ、マ、ン、コ、と…。
 しかし…。
 「あ、あなた、周りの人が…」
 私にだけ聞こえる小さな声がした。チラリと周りを見れば人妻風の二人連れに気が付いた。ずっとこちらを観(み)ている。
 私は彼女達の視線に心臓が萎縮していくのが分かった。私こそ痴漢の気分だ。そんな私はトイレにと呟いて、逃げるように席を立ってしまった。
 ああ、どうしようもない意気地無しがいたのだ。


 トイレに逃げ込んだ私は、用もないのに個室に入ってタメ息と共に俯いた。
 情けないーーそんな言葉を自分に向けて、もう一度タメ息を吐き出した。
 今日、渋谷君から聞かされた痴漢の話。
 それが頭にあったから妻の話に異様な興奮を覚えたに違いない。
 それにしても、久美子はもう少しであの4文字“オ×××”を口にしたのではないのか。そんな事を考えながら何とか弱気な自分を消して、変質者の私を呼び起こそうとしている。
 あぁ…久美子、早くその“淫語”を聞かせてくれ。