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第12話
私は駅の改札の前に来ると、キョロキョロと首を振りながら売店の横に移動した。
土曜のこの時間は凄い人波だ。目の前を通り過ぎていく人々が私の顔を見れば、どう思うだろう。きっと青白い顔の病人がいると思うのではないだろうか。
その時。
「寺田先生」
後ろから声を掛けられた。振り向けば渋谷君だ。
何日ぶりかに見る彼の顔にも、緊張が窺えた。やはり妻の疑惑は確信に変わってしまったのか。
彼は私を見るなり「先生、お疲れ様です。近くに空いてるカフェがあるので、そこで話を…」と、先を促す感じだ。
私は足早に歩き始めた彼の姿を見失わないように続いた。その彼がここにいると言う事は、妻はもう“事”を終えたと言う事か。それはやはり“秘め事”だったのか。
渋谷君が入ったのは、良く聞く名前のカフェだった。
店内は彼が言った通り、比較的空いている。これなら、秘密の話に適してるかもしれない。
渋谷君が二人分のコーヒーを持って来る。彼が座るのを待って、乗り出すようにして訊いてみた。
「あの、妻を見つけたんだね。それで妻に“何か”あったんだね…」
私の言葉に真剣な表情を浮かべる渋谷君。彼は小さく頷いて、同じように身を乗り出して来た。
「…先生、辛いと思いますけど、見た事を正直に話しますので聞いて下さい。よろしいですか」
緊張が高まる自分を自覚して、恐々と頷いた。ここはもう、腹を括るしかないのだ。
「実は奥様を運良く見付ける事が出来まして、売店の横から見張ってたんです。暫くすると、中年の男が奥様に声を掛けて来たんですよ。あの時の雰囲気は、時間に遅れてゴメンって慣れた感じでしたね」
あぁ、心の中にやはり“男”だったのかと、何とも言えない感情が立ち込めてくる。
「女子高生の事が頭にあったので意外な気がしました。でも、二人が自然と並んで歩き出したんで、慌てて後を追いかけました」
あぁ、今度は嘆きのような想いが立ち込めてきた。
「二人を尾(つ)けて行ったら、ちょうどココ…」と云って、彼がテーブルを指さす。
「…この店に入りまして、その席に」と、隣の席に視線を向ける。
「奥様と男がそこに座って、遅れて入った僕はこの席に座ったんです」
彼がもう一度このテーブルを指差して、頷き掛けて来た。私の方は生めかしさを感じて、身体を震わせている。
暫く私の様子を心配げに観(み)ていた彼だが、何かを計ったように頷いた。
「…僕はここに座って、二人の会話を聞き取ろうと集中しました。今思えば、ボイスレコーダーでも用意しておけば良かったのですが…」
「あぁ…」私の口からはタメ息が落ちていく。
「その時はもう少し混んでまして、聞き取りにくかったのですが、会話の内容は何となく分かったつもりです」
今度は、ウウッと覚悟を示す呻き声が落ちて行く。
彼の目を見れば、続けてよろしいですか、と問われてる気がする。私は恐々と頷くだけだ。
「はい。男の方は見た感じ結構な歳上で、奥様はずっと『です、ます』と敬語を使ってました」
「………」
「男の口調は『どうだ、どうなんだ、どうしたい』って詰問調が多くて、奥様は俯きながら小声で『はい』とか『いいえ』とか首を振る感じでした」
「………」
「そうしたら男が、『じゃあ確認の電話を入れてくる』って云って席を立って、1度外に出ていったんです。奥様はその間も俯いて座ってましたね」
「ああ…」
「男が戻って来ましたら『行くぞ』って一言云って、直ぐに奥様も立ち上がりました。結局この店にいたのは、30分位ですかね。僕も少し遅れて店を出る事にしました」
渋谷君が一息つけて、コーヒーカップを口に運んでいる。私の方は喉がカラカラだが、何も飲む気になれない。この展開は一体どういう事なのか。あまりにもハッキリと妻の疑惑が確定ではないか。
「寺田先生、よろしいでしょうか」
目を向ければ、渋谷君が哀れな私を見詰めている。
「外に出ますと、二人は南口の方に向かってまして…。この辺りの事は僕も良く知ってて、あっち側って怪しい所なんですよ」
「………」
「奥に行くと、古めかしいビルがたくさんあるんですけど、奥様達はその中の一つに入って行きまして…」
「………」
「…でも、そのビル、偶然なんですけど、よく知ってるビルだったんです」
「えっ!?」
「はい。実はそのビルの中に、神田先生が借りてる部屋がありまして…」
神田先生…久しぶりに聞く名前だ。
「その部屋って、神田先生の別の“仕事”の事務所になってるんですよ。それで、中がチョッと面白い造りになってましてね」
「面白い造り?」
「ええ、事務所の奥にもう一つ別の部屋がありまして…」
「そ、そこは何なんですか…」
「はい、マジックミラーって分かりますよね?」
あぁッ!今度は大きな声が上がってしまった。
マジックミラー…勿論それは知っている。実際に見た事はないが、エロ動画で視たりSMチックな寝取られ小説に出て来たヤツだ。まさかそこに妻が登場してしまうのか…。
「それで、そのマジックミラーの部屋って、時間貸ししてるんですよ」
「時間貸し?」
「はい、変態趣味の人達にレンタルルームとして貸し出ししてるんです」
そこで彼が、今日初めて意味深な笑みを浮かべた。こっちは恐怖が高まるばかりだ。
それでも私は、自分の気持ちを落ち着かせて訊いてみた。
「で、でも、そのビルに妻が入ったからといって、神田先生のその事務所に…ましてマジックミラーの部屋を利用したとは限りませんよね」
緊張のあまりか、さっきから敬語になっている私だ。渋谷君はそんな私の顔を見ると、静かに頷いた。
「それでも僕は、嫌な予感がして直ぐにその場から神田先生に電話を入れました。事務所に入っていいですかと、お願いしてみたんです」
「………」
「先生は僕の説明をシッカリ聞いてくれました。内緒で尾行の仕事を請けた事には小言を言われましたが、神田先生も“嫌い”じゃないですからね」と彼の顔には不敵な笑みが浮かんでいる。
「結果的に寺田先生に事実を伝える為なら仕方ないじゃないかと、中に入る事を許してくれました。受付の者には直ぐに連絡しておくからと仰って」
「じゃっ、じゃあ…妻はその部屋に入っていたって事ですね!」
震えた私の言葉に、渋谷君の唇が先ほど以上に歪んだ。そして軽く頷いた。
「僕の方は少し遅れて、部屋に行きました」
うううっ、私の胸が締め付けられていく。
「その事務所に入ったのは久しぶりでした。でも、直ぐに受付の野郎が“聞いてるよ”って目配せしてきて、僕も迷う事なく奥の一角に進みました」
いつの間にか、渋谷君の目には妖しい光が宿ってみえる。私の方は、その目に見入れらて瞬きさえ許されない感じだ。
「最初のドアを開けると、既に部屋の中が透けて見えてましてね…。先生なら分かりますよね」
あぁ…エロ小説で読んだ場面が浮かんでしまう。部屋の中では、全裸の男女が鏡に写る自分達の姿を見つめている。そして、その姿は外側からシッカリと覗かれるのだ。
そんな光景を思い浮かべたところで「それで妻は…」と震える声で問い掛けた。
「僕はよく見えるように前まで行きました。中では男女が抱き合ってました。…はい、奥様と中年の男です」
「あぁっ」
私は呻き声を発した。その後は身体の力が抜けて行く。
「し、渋谷君…」
「…先生、どうしますか。続けますか」
頭の中に複雑な感情が渦巻いて来る。
エロ小説を読むようになって知った“寝取られ”。妻の浮気や妻が他人に抱かれる姿に興奮を覚えて、進んで妻を他の男に抱かす男達の話だ。読んだ時は自分の中にも似たような癖があったのかと、そんな気にもなったりした。
しかし…。
それが現実の我が身に起こったとなると…。
渋谷君の方は、私への遠慮を封印したように淡々と話しを続ける。
「お二人はエロドラマのワンシーンと同じでした。唇を離すと、男が奥様の胸元に手をやりましてね、ゆっくり服を脱がせにかかりました」
「………」
「奥様の下着は白が多いですかね?」
予期せぬ言葉にドキリとした。先日のホテルでの久美子のランジェリー姿が自然と浮かんでくる。私は黙ったまま小さく頷いている。
彼は2、3度頷いて周りを見渡した。いつの間にか店内は客でいっぱいだ。
「男が奥様の背中を押すようにして鏡の前に連れて来ましてね」
頭の中にはそのシーンも浮かんでしまう。
久美子は部屋の中から、鏡に映る自分達の姿を見詰めるのだ。そして、渋谷君は外側から二人を盗撮者の気分で覗くのだ。
「男は鏡の向こうから誰かが覗いてるのを想像でもしたんでしょうね。焦らすように奥様を下着姿にしたんです」
「あ、まさか男にそんな趣味があったんでしょうか」
「どうでしょうか。でも、そういう癖を持った人達はいますよね。それに、そこの部屋を利用する人達の中には覗き趣味の連中を呼んで、自分達の絡みを見せ付けたりする事もあるみたいですよ」
「ああっ」まさにこれまで視てきたエロ動画や寝取られ小説の世界と一緒ではないか。しかし彼の話はフィクションではない。真実の話なのだ。
「奥様達は以前からその部屋を利用してたんでしょうね。そんな気がします。男が後ろから抱きしめながら舌を奥様の唇に差し入れるんですよ。そして、キスしたまま鏡に向かせるんです。奥様は抵抗するんですけど、あれは“嫌よ嫌よ”の素振りですよね」
あぁ…『嫌よ嫌よ』その意味は私だって承知している。妻はもう男と“阿吽”の呼吸なのか。
「キスをしながら胸を揉まれて、ブラを脱がされましてね。次に下を脱がされますと、奥様の眉間にシワが寄ったのが分かりました。嘆きの皺ってヤツですかね。でも、あの表情(かお)も慣れたものって感じでした」
彼の表現に呻きを繰り返すだけの私だ。それに“嘆きの皺”ーーその表情も頭に浮かんでしまう。
「奥様ってマゾっけがありますよね。あの“歳の差夫婦”の奈美子にやっぱり似てますよ」
「ウウッ」
「男は奥様を素っ裸にした後はお決まりでしたね。しゃがませてアレをシャブらせましたよ。先生も頭に浮かびますよね、ショートボブの髪をかき分けて…」
その姿も頭に浮かんでしまう。先日のホテルで私もやっているのだ。姿見の前で、妻のシャブる口元を鏡越しに見ていたのだ。
「その後もお決まりでした。鏡に手を付いて“立ちバック”ですよ」
あぁ、それも分かる。久美子は鏡に映る自分の“逝き顔“を見るのだ。
「先生もご存知のように、向こうの声は聞こえない造りなんですよ。でもね、奥様と男の口元を見てますと何となく分かりますよね、何を云ってるか」
「あぁっ」
「ええ、再現すると、ーーほら、久美子の膣(なか)に何が入ってんだよ。どこが気持ちいいか言ってみろよ。ーーこんな感じですかね」
あぁ、その通りだ。それを続けるとしたら、ーーチンポです。御主人様のチンポが久美子のオマンコに入って気持ちいいんです!ーーこんな感じなのだ。
顔を上げれば、渋谷君がニヤニヤ笑っている。彼自身も語る事でサディスティックな喜びを感じているのか。
「ああ、それと言い忘れてましたけど男はコンドームを着けていませんでしたね。奥様もすんなり受け入れてましたから、合意の上なんでしょうね」
と言う事はどういうい事だ。二人の仲に歴史があると確定ではないか。久美子は早くから私を欺いていたのだ。
そこまで考えた私の中に、ジワジワと哀しみが沸いて来た。その私の表情を読み取ったか、渋谷君が頷く。
「先生にはショックかも知れませんが、僕も二人の関係が長い事続いてるんだと思いました。奥様も男の責めに“嫌よ嫌よ”の姿を晒しながらも、次の責めを心待ちにしてる感じでした。それに、鏡に映る自分の姿にも興奮を覚えていたと思います。表情がだんだんと牝(メス)の貌になって行きましたから」
「んぐぐっ!」
頭の中で妻の恥態が回る。
あぁ、どうすればいいのだろうか。
と、気づけば渋谷君が何かを堪えている。唇を噛み結んで何かを我慢している。
「渋谷君、どうかしたのかい」
「いや、先生、顔が真剣です」と彼が笑う。
「だってそれは、あれだから…」
「いえいえ。実はですね、嘘なんです」
「………」
「すいません。神田先生の事務所があって、マジックミラーの部屋があるのも本当の事なんですけど、それ以外のところは僕の造り話なんですよ」
「ええっ!?」
「はい、駅で奥様を見付ける事は出来なかったんですよ。それで直ぐに諦めて、この店に来て一人でお茶してまして。その時に今の話を思いついて、これを先生に話したら喜ぶかなって考えてたら丁度メールが来て、駅にいるからなんて書いてたから…へへへ」
「ああっ!」
彼の意外な言葉に、私の目はこれでもかと拡がっていた。そして、ジワジワと話の筋が読めてきた。そういう事だったのか…。