小説本文



ベットリ首回りに付いた寝汗を手の甲で拭いながら、夏美は起き上がった。 
 そしてそのままの姿勢で、壁に掛けられたカレンダーの日付けをしばらくぼんやり見つめてみた。
 今日の日付が黒丸で囲まれている。夏美が自ら付けた印、夫の高志がやって来る日だった。


 頭の中に、夕べのメールにあった到着の時刻が浮かび上がってくる。
 今日の午前中は堂島の屋敷で、仕事の予定だった。


 この日の朝食はなかなかノドを通らない。
 普段から朝は軽い物で済ますのが通例であったが。
 片付けを終え、新聞を読み、テレビを点ける。
 そろそろ身支度をと思い、ふと、ボードの奥の小さな箱が目に付いた。
 口の中に苦味が広がる感覚を思い出すと、堂島の顔が浮かび上がってきた。 


 夏美はそばにあった100円ライターを引き出しに仕舞い、タバコの箱を持ってキッチンへ向かう。
 冷蔵庫の横の半透明の袋に押し込んで、ギュッと締め直し、そして寝室に戻った。


 洋服ダンスを開け、いつからだろうかと考えた。
 『儂に呼ばれた日は、必ずスカートを穿いて来るのじゃ』と、もう一度堂島の顔が浮かびながらも、手は紺色のジーンズを掴んでいた。
 続けて引き出しを開けて、右端に目をやった。
 清楚な下着の奥には際どい物が、そして更にその奥には淫靡な性具が隠し置かれている。


 それからしばらくして屋敷の前には、ボロシャツにジーンズ姿の夏美がいた。
 この日も門扉を開けたのは幸恵で、夏美の格好に“オヤッと”表情を崩したが。


 この日の仕事は手に着かなかった。
 堂島がいない事をいい事に、夏美は何度も時計に目をやりながらため息を吐いていた。


 夫は今頃どこら辺りを走っているのだろうか。
 久し振りの再会で自分は、平静を保てるのだろうかと不安が過ぎってくる。
 自分は変わってしまった。変えられてしまった。
 髪型や体系こそ変わらないだろうが、内面の変化は滲み出るものなのだろうか。


 堂島は『抱かれなさい』と言ってたが、夫の方から求めてくるハズだ。
 自分は夫を受け入れ、応えなければいけない。
 その時・・・・・自分は一体何を感じるのだろうか?


 夏美はマウスに手を置いたまま、パソコンの変わらぬ画面を見つめている。
 ガチャっと音がして、部屋の扉が開かれた。
 「・・・夏美先生、仕事ははかどっておるかな」 
 堂島が夏美のジーンズ姿を興味深く見てニコリと微笑んだ。
 「ふふ、ジーンズか・・・・貴女らしいな。その姿も、よう似あっておるわ」
 静かな語りと冷たい視線は、この日もいつも通りだった。


 「んん?どうした、旦那の事を考えておったのか?今夜は2人で、愛情を確認しあうのかな」
 「・・・・・」
 「でも、どうじゃろうな・・・・・」
 「・・・・・・・・」
 「貴女は既に儂の“コレ”から離れられなくなっておるしな・・」
 「“ツッ”・・・・」
 「貴女の性格では、夫を裏切った自分自身を許せるのかな?」
 堂島の勝ち誇ったような滲み出るオーラも、いつものものだった。


 冷炎な光で、堂島は静かに見つめている。
 「まあ、夏美先生、この間も言ったが今夜はしっかり抱かれてみるんじゃな」
 「・・・・・・」
 「その時・・・・何を感じるか・・・」
 夏美は更に俯いた。


 「・・・己の本心に問いかけてみるのじゃ・・・」
 「・・・・・・」
 「・・・そして明日ここに来る時・・・」
 「・・・・・・」
 「・・・儂に・・××××××なら・・・」
 「・・・・・・」
 「白いスカートじゃ」
 「・・・・・・」
 「分かったかな?」
 その冷たい問いかけに、夏美は・・・・・コクリと頷いた。
 それからしばらくして夏美は屋敷を後にした。


 夏美が部屋を出ると直ぐに、幸恵が現れた。
 「ご主人様」
 「幸恵か、どうしたのじゃその顔は?夏美が儂の物になるか心配しておるのか」
 「んもぅ、ご主人様、違いますわ」
 「・・・・・」
 「ライバルが増えるのを心配しているんですわ」
 「んん、・・そうか、そう言う事か」
 そう言って堂島が笑った。




 夏美は溢れ出る汗を拭いながら、校舎の方へと歩いていた。
 吹き出る汗には冷たいものも混じり、猛暑の中でも時折り武者震いが続く。
 目の前に緑が広がり、夏美は息を呑んだ。 間違いなく夫の姿を見つけながらも、その横には新一と弥生がいるではないか。 


 夏美は静かに高志に近づいた。
 久し振りにみる夫の顔にも、懐かしさよりも緊張が湧き上がってくる。
 新一が良からぬ事を口にしていないかと、恐々と足を忍ばせた。
 そして・・・。
 「あなた・・」
 その声に皆なが振り向いた。


 「夏美先生のご主人だったんだ・・・」
 弥生の声の横で、一瞬唖然とした新一だが、「夏美先生、こんにちは」と、直ぐに落ち着いた声が聞こえてきた。
 夏美の頬には玉の様な汗が流れ落ちている。


 半年ぶりの夫との再会には、余裕など無かった。
 そして緊張しながら、2人で部屋まで歩いた。
 途中で高志が新一や弥生の事を聞いてきたが、返したのは生返事だった気がする。


 部屋に入ると少しだけ、本の少しだけ落ち着きが戻ってくる。
 高志がシャワーを浴びに行く後姿に、いつかの夫婦の日常が蘇ってきた。
 交代で浴室に入り、大きな姿見に身体を映し見た。
 (・・・・・・・・・・)


 浴室を出ると高志の手が肩に触れてきた・・・・が、身体が小さな抵抗を示した。


 そして夜がやって来た・・・・。
 予定していた食事は、愛情込めて作った・・・・つもりだった。
 高志が嬉しそうに食べる様子を、どこか懐かしそうに見守った。
 食事の後片付けが終わると、改まって2人の時間がやって来る。


 薄明かりの寝室こそ夫婦のものだった・・・・と、夏美は思い出していた。
 久し振りのキスに涙が零れそうになる。
 身に纏っていた物を全て脱ぎ終えると、熱いものが湧き上がってきた。


 (・・あなた・・・)


 夫の舌が “女”に触れると、緊張が高まっていき。
 そして“夫”を受け入れた。


 (!?・・・・)


 しかし・・・・。
 夏美の中に広がったものは・・・・空虚・・・・。
 哀しさだった・・・・・。
 微かに感じる性感は、虚しいものだった・・・。


 高志の重みが増すたびに、腰が激しくぶつかるたびに、夏美の思考は更に深い悲しみに沈んでいく。
 やがて夏美の肢体は独りでに蠢き始め、覆い被さる夫に叱咤の動きを求めていた。
 無意識に爪がたち、唇は首筋に嘆きの跡を付けていた。
 再奥の疼きを静める為に膣穴は収縮を繰り返したが、それは夫の高鳴りを速めるだけだった。
 高志の射精を感じると同時に、夏美は哀しみの深さを意識した。


 高志の姿が部屋から消えた瞬間、一滴の涙が頬を伝い。それを小指でぬぐい去った。
 夏美はゆっくり身体を起こし、両手で己を抱きしめた。


 (・・ああ・・なんで・・・)


 夏美は目を閉じ、浅く息を吐き出した。
 暗がりの一点を見つめるように、高志の姿を待っていた。
 言葉は口に付くのか・・・。
 付くとすればどのような言葉が。
 しばらくして、高志が戻ってきた・・・・・・・。


 「・・あなた・・・ごめんなさい・・わたし・・」


 暑い暑い夜だった・・・・・・。