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二日目の朝。
 肌寒さに目を覚ました。
 ずり落ちた毛布を引き吊り上げて肩をくるむように整える。
 カーテンの隙間から見える外の様子は靄(もや)が掛かって見えるが、天気は間違いないようだ。

 時刻を確認すれば、朝の6時。
 朝食は7時半と聞いていた。
 天井を向いて、点いたままの小さな灯りを見つめてみる。
 その灯りの中から夕べの出来事が、幻のごとく蘇ってくる。
 あの時、間違いなく光の中から現れたのは、幸恵だった。
 この部屋にも備え付けられているお揃いのガウンを纏った姿で、目の前に近づいて来て‥‥‥。


 そこまで思い出して、夏美はもう一度記憶を整理しようとする。
 幸恵の背中・・・部屋の中からは間違いなく女の喘ぎ声が聞こえていて。
 そして、幸恵と堂島の情交とばかり思っていたあの声の主は‥‥。


 気が付けば夏美はベットから起き上がっていた。
 そして、ガウンを纏って部屋を出た。
 勿論、音を立てず息を殺して。
 廊下を進んでその部屋の前まで来ると、微かな緊張が湧いてきたが、夕べの事は夢ではなかったと認識し直した。
 目を凝らせ顔を近づければ、ドアの隙間が開いている。
 夏美は後ろを振り返った。
 シーンとした空気に唾を飲み込んで、ドアノブに手をやった。
 音を立てぬよう静かに中を覗き込む。


 誰もいないその部屋は夏美の部屋の2倍程の大きさがあり、天井の高さも夏美の部屋を凌ぐものだった。
 その天井には何故か昔ながらの小さなミラーボールがあり、部屋の隅にはミニキッチンが備え付けられている。
 (・・・カラオケルーム?・・・・娯楽室?・・・)


 片側の壁には80インチ程の大きなテレビが設置されていて、いくつもの一人掛けのソファーがそのテレビに向いて置かれてある。
 そして何故か、床には所狭しと敷き布団が敷かれてある。
 夏美はしばらくその部屋の様子を眺めていたが、足はそれ以上踏み出す事はない。


 そしてゆっくり後ろを振り返り、誰にも見られていない事に吐息を吐いて自分の部屋へと足を進めた。
 夕べはあの部屋の中に足を踏み入れる事無く、幸恵に促されこの廊下を戻り歩いたのだ。
 その時幸恵が言った言葉を思い出した。


 『‥貴女・・・明日の夜ね‥‥』




 朝食は静かだった。
 管理人の男が自分の食事の合間に、時々調理室を行き来する位だ。
 堂島が時折り隣に話し掛ける事もあったが、幸恵はどこか寝不足の気配で受け答えしている。
 他の3人・・教授らしき男に顎髭の男、それに髪を七三に分けた男も黙ったまま黙々と箸を進めていた。


 この日は、新たに東京から数名が来ることになっていて、沖田が駅まで車を走らせているとの事だった。
 沖田の到着を待って、夏美達一向は昨日と同じように大学へと出掛けた。
 沖田が新たに連れてきたのは2人。
 その者達に大学側の人間を加えたそれなりの数で、教室を使いミーティングを行った。
 夏美は秘書のように堂島の横でメモを執ることに専念したが、この場を主導する堂島の意見は説得力のあるものだと思えた。


 ミーティングは昼食を挟み2時頃に終えた。
 一向は大学側の人間と別れ、呼んであったタクシーといつの間にか来ていた沖田の車に分かれて町へ出た。
 沖田の横に幸恵、後部座席は堂島と夏美であった。
 町へ向かう目的は駅からの通学路の事であったり、環境調査のようであった。
 車の中の幸恵の様子は大人しく、時折り堂島から意見を求められる事はあったが、オブザーバーに徹している感じだった。
 夕方近くには保養所に戻り、再びミーティングが始まった。


 夕食はミーティングを兼ねながら始まり、夏美にとって活発な議論の時間はどこか心地よいものだった。
 教授らしき男も七三の男も顎髭の男も、それと今日合流した比較的若そうな2人の男達も、それぞれが意見を交わしていた。
 幸恵と沖田も食事が用意されてからずっと同席していたが、耳を傾けている様子で物静かにわきまえている感じだった。 


 夕食の後、夏美はこの日も部屋の浴室で汗を流した。
 身体を清め風呂から上がり、着替えの下着に手を伸ばした時、思い出したように不安な気持ちが湧いてきた。


 堂島からの呼び出しは、夕べはなかった。
 では今夜は?
 持参した下着は、ほとんどが堂島の好みの物。
 夏美は迷ったすえ“それ”を身に付けた。
 部屋の備え付けのベージュ色のガウンを羽織って、一息付いた時だった。


 携帯電話が震え始めた。
 夏美の直感は直ぐ相手の名前を告げていた。
 そして電話を手に取った。


 「・・もしもし・・・」
 『‥‥儂じゃ‥‥』


 短い沈黙の後、堂島が続ける。
 『・・10時に来なさい。場所は分かっておるな。貴女が夕べ覗きに行った部屋じゃ』
 「‥‥」


 堂島の言葉はあっさりとした響きだったが、身体の奥から武者震いが起こってきて。
 この緊張は遂に来たかという感じだった。
 覚悟はこの地に出発する時から出来ていたが、改めて堂島の声を聞いた時には、例えようのない高鳴りが身体の中から沸いてきた。
 それは間違いなく“負”の感情・・・・・の筈なのだが・・・・・。

  
 夜10時、夏美は時刻を確認して部屋を出た。
 ドアを閉めようとして、ノブに掛けられた小さな袋が目に付いた。
 はて?‥と思い、中を覗いて見れば2つ折りの紙切れと黒い布切れ。


 <この黒いマスクを着けて部屋に入りなさい>
 間違いなく幸恵であろう優しい字体で書かれた文字を見つめ、夏美は布切れを目の前で広げてみた。
 布切れと思えた黒いそれは、妖しげな仮面だった。
 昔、映画で見た怪傑ゾロのようなそのマスクは両端が鋭角に尖り、窪みを鼻骨にあてると見事夏美の顔幅にフィットした。
 夏美は俯きながら、廊下を早足で歩き進んだ。
 他の者達は既に自室で寛(くつろ)いでいるのか、物音は何一つ聞こえてこない。


 夏美は部屋の前にたどり着いた。
 ドアの隙間からは昨夜のような光が漏れる事は無く、また女の声が聞こえる事もない。


 ドアノブに触れようとした瞬間、向こう側から扉が開かれた。
 夏美は目の前に現れた山のような影に一瞬息を飲み込んだが、続けて聞こえた堂島の呼ぶ声に恐々足を踏み入れた。


 沖田の横を通り抜けると、夏美は声がした方向に顔を向ける。
 そこには同じ黒いマスクを着けた恰幅の良い男、堂島がソファーから見つめていた。
 部屋は薄暗く、微かにタバコの匂いが鼻に付く。
 夏美は堂島の視線に導かれ近づいた。
 腰を降ろした堂島の横、そのソファーは2人掛けのようだが、夏美の密着した身体は強張っている。


 沖田が静かにドアを閉めたのをマスク越しに確認して、夏美は息を殺して部屋の様子を伺った。
 薄暗い部屋の中を目を凝らしてみれば、生臭い息遣い聞こえてくる。
 ぼやけていた物影は徐々にその輪郭を現し、夏美は直ぐにそれが人だと認識が追いついた。


 夏美は息を呑み、身体は強張ったが、その身体は堂島の太い腕に抱き抱えられてしまった。
 「‥ふふ、大丈夫じゃ。心配する事はない」
 「‥‥‥」


 堂島に肩を抱かれ、震えながらも俯き気味にもう一度周りを見回してみれば。
 皆同じガウンに同じマスクを着けた男達ではないか。


 「‥ふふ、訳あって素性を証(あか)せぬ者達じゃ‥‥」 
 「‥‥」
 「‥と言っても、何となく分かるわな‥」


 耳元で囁かれた小さな声に、もう一度目を凝らして見れば、男達の素顔が頭の中に浮かび上がってくる。
 部屋の真ん中一面には敷き布団が敷かれていて、それを取り囲むように置かれた一人掛けのソファーに、仮面の男達は物静かに腰を掛けている。
 一番端に座るのは顎髭を蓄えた男。
 隣には髪を七三に分けた男。
 灰皿やアルコールのグラスが置かれた小さなテーブルを挟んで、教授らしき男がいる。
 対面には今日着いた若い2人が並んでいて、その隣にいるのは間違いなく管理人の男だ。
 そして中央の大型テレビの横にはゴリラのような男、沖田がいつの間にか移動してきている。


 「‥よし、始めろ‥」
 堂島の声に沖田がテレビにリモコンを向ける。
 続けて仮面の男達が、一斉に画面を覗き込む様に身を乗り出した。
 夏美がゴクリと唾を飲み込むと同時に、堂島の太い指が肩に食い込んだ。


 映像が始まったところで、直ぐ耳元で声がした。
 「沖田、今夜は夏美先生もいる事だし最初からじゃ」
 「・・・・・・・・・」


 夏美の“感”は、堂島の一言で確信を持ち。
 幸恵の事だと思っていた夕べの“声”の正体は、ビデオの中のものだと認識した。
 夕べはここにいる男達に幸恵を加えたメンバーで、アダルトビデオの鑑賞会をしていたのだと。


 沖田が操作を終えると直ぐに映像が始まった。
 しかし・・・・。


 『んあっーーーー!』
 と、始まったその第一声を聞いて夏美の身体に戦慄が走り抜けた。

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