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第34話
そして又一つ、夏が近づいた。
試験を終えた者から、待ちに待った長い休みに入って行く。
教授達はここからが大変で、採点にレポートチェックと忙しい日々が続いていく。
夏美は助手になって初めての体験を、慌ただしくもやり終えた。
やはり受け持つ講座の学生の成績は気になるところで、特に新一と弥生の事は心配であった。
それでも2人の成績はそれなりのもので、夏美は大きな安堵を覚えていた。
あの後も新一から話し掛けられる事はあったが、その様子はどこかあっさりしていて、拍子抜けの感があった。
ただ、弥生と歩く新一の姿を見る事は殆ど無く、一抹の不安を感じていた。
その日、夫の高志から電話があった。
既に蝉の鳴き声も聞こえていて、この地域特有の湿気を感じる夜。
ジットリ掻いた汗をシャワーで洗い流し、バスタオルを身体に捲いた時だった。
『夏美、俺』
「あ 貴方」
『大丈夫?今』
「ええ大丈夫よ。お風呂から出たところだから」
『うわっ、夏美の風呂上がり姿か』
「んもっ、なに?」
夫の感嘆の声に、夏美が戸惑いの様子で鼻を鳴らす。
『へへ、早く夏美を拝みたいね』
「・・・貴方どうしたの、何だか今日は浮かれてるみたい」
『そりゃそうさ。休みが決まったんだから』
「あ そ、そうなんだ」
『ん?あまり嬉しくないみたいだな』
「えっ そ そんな事ないわ。でもね・・・」
『・・・どうしたの?』
「うん…実は、貴方が来ている間もお仕事があるの」
『え!そうなのかい』
「うん。ゴメンね。色々と頼まれた仕事が残っていて・・・」
『そうか・・・でも、それも夏美が信頼されてるからだよ』
「・・・・・」
『まあ俺の自慢の夏美なんだから、仕方ないさ。それに全く一緒にいれない訳じゃないんだろ」
(・・・貴方・・・)
『ん?どうしたの夏美』
「・・あ な 何でもないわ」
『とにかく行く日が決まったら、電話かメールするよ』
(・・・・・・・・)
切れた携帯電話を握りながら、夏美はしばらくうなだれていた。
ちょうど一年程前、社会復帰に遠いこの大学を選んだ時も、快く送り出してくれた夫。
頭の中に浮かぶ“男”の姿は幻影だと、夏美はそれを振り払おうと夫の事を考えようとする。
夫の好物を思い出し、献立を考えようする。
しかし、身体の奥からは疼きの予兆が、今夜も湧き上がってくる。
蒸し暑さが湧き上がり始めた初夏の夜。
夏美は寝汗を掻きながら、淫夢に魘(うな)されていた・・・・。
「夏美先生・・・」
「えっ」
夏美が振り返ったそこには、弥生が立っていた。
いつもと違う感じがしたのは、スカート姿だったからだ。
「弥生さん・・」
「へへ、どうですかこのスカート?」
「・・・・・う うん、とっても似合ってるわ」
弥生のはにかんだ様子に、夏美は口元を惹き付らせる。
「ありがとうございます。でも・・夏美先生には負けるけど」
「そ そんな事ないわよ…」
「・・・今度、先生にお化粧の仕方も教えてもらおうかな」
「え!な 何?・・弥生さん・・・貴女 そんな化粧なんかしなくても綺麗だし。それに健康的だし」
「へへ、でも、もうすぐ二十歳(ハタチ)なのに子供っぽいって言われるし・・・」
そう言って、弥生が軽く唇を噛んだ様子を夏美は見逃さなかった。
弥生は何か言いたそう、いや、聞きたそうな雰囲気なのが伺える。
2人はしばらく黙り込んでいたが。
「先生、夏休みは東京へ帰るんですか」
「えっ ええ そうね、直ぐじゃないけど・・」
「そうなんですか・・・じゃあ、まだしばらくコッチにいるんだ」
弥生の心の中の気持ちは、分かるつもりだった。
2人の前に自分が現れたバッカリにと。
「先生は長い事、ご主人に会えなくて寂しかったですか?」
「え!そ それはそうよ…」
「・・・そうなんですか・・・・」
「・・・・・」
(ゴメンなさいね、弥生さん)
今の自分に出きる事は、頭を下げる事だけなんだと、夏美は心の中で誤り、弥生に背を向け歩き出した。
夏美と弥生・・・別れた2人をあの男、沖田が校舎の影から見つめていた。
そして沖田の後ろからは、新一が3人の様子を見つめている。
「あ あの~ 弥生に何かようでしたか?」
恐々沖田に近づき、口に出来たのはそんな言葉だった。
「・・・・・」
沖田が黙ったまま振り向き、ギロリと向けてきた視線の冷たさに、新一はゾクッとした。
「あ ああ いや、あの すいません。あの な 夏川弥生さんとは はい、良い仲でして。それで はい、あの “そちら”が弥生の姿をじっと見てたので・・はい」
「・・・・・・」
当然新一が悪さをしていた訳では無いし、目の前のプロレスラーのような体格に脅迫された訳でもなかった。
それでも、新一は自分がここにいる言い訳を探すように、何とか喋り終えた。
「ククッ、夏川弥生の“彼氏”ですか・・なるほど」
「・・・・」
静かに沈黙を演出しながら、沖田はしばらく新一を値踏みするように見つめていて。
「そろそろあの娘(こ)も“軟弱”な男には嫌気がさしてくる頃でしょう」
(えっ?)
「草食系の男は、年上の女を追いかけ回すのが忙しいらしいし」
(なっ!!)
「君の“ある部分”の勇気・・・・と言うか無鉄砲な所は興味も持ったが」
(?・・・・)
「どちらにしても弱い男には、それなりの居場所に落ち着いてもらうのが一番いい」
(・・・・・・)
「私も人間ウォッチングが好きでね。パトロールの合間に色んな“モノ”を見せて貰ってます」
沖田は最後にそう言うとニコリともせず、その場を後にした。
気づけば夏美の姿も弥生の姿も消えている。
心に広がった不安が、苦いものに変わっていくのを自覚しながら、新一は沖田の背中が小さくなるまでジッと見つめていた・・・・。
その携帯電話の震えに気づいたのは、仕事が一段落した時だった。
この日も堂島の屋敷で“真面目”な調べものを終えた頃、夏美は愛用のそれを手に取った。
画面に見えた“高志”の文字にこっそり振り向いた。
堂島は相変わらず、パソコンに目を向けている。
夏美は手元でそのメールを隠すように広げてみた。
<7月○日○時○分 ○駅到着予定>
<迎えは結構。自分で学校に向かいます>
<どこか良い待ち合わせ場所はある?>
メールを読み終えると、直ぐにそれを仕舞いながら目を閉じた。
(貴方・・)
と、心の中で呟いた・・・・時。
「ところで夏美先生、ご主人がこちらに来る日は決まったのかな?」
堂島の声に背筋が跳ね上がった。
夏美は震えながら立ち上がると、ゆっくり振り向いた。
瞼が震え、何故か涙が零れ落ちそうだった。
口元まで震えが広がり、頷いた。
『儂に任せておけ』と、堂島の瞳が優しく語りかけている。
夏美の意識がサワサワと沸いた白い霧に包まれていき、その瞬間、堂島の細い目がクワッと広がった。
鋭い刃(やいば)が胸を抉る感触に、頭の中から子宮の奥まで痺れが走り抜けた。
試験を終えた者から、待ちに待った長い休みに入って行く。
教授達はここからが大変で、採点にレポートチェックと忙しい日々が続いていく。
夏美は助手になって初めての体験を、慌ただしくもやり終えた。
やはり受け持つ講座の学生の成績は気になるところで、特に新一と弥生の事は心配であった。
それでも2人の成績はそれなりのもので、夏美は大きな安堵を覚えていた。
あの後も新一から話し掛けられる事はあったが、その様子はどこかあっさりしていて、拍子抜けの感があった。
ただ、弥生と歩く新一の姿を見る事は殆ど無く、一抹の不安を感じていた。
その日、夫の高志から電話があった。
既に蝉の鳴き声も聞こえていて、この地域特有の湿気を感じる夜。
ジットリ掻いた汗をシャワーで洗い流し、バスタオルを身体に捲いた時だった。
『夏美、俺』
「あ 貴方」
『大丈夫?今』
「ええ大丈夫よ。お風呂から出たところだから」
『うわっ、夏美の風呂上がり姿か』
「んもっ、なに?」
夫の感嘆の声に、夏美が戸惑いの様子で鼻を鳴らす。
『へへ、早く夏美を拝みたいね』
「・・・貴方どうしたの、何だか今日は浮かれてるみたい」
『そりゃそうさ。休みが決まったんだから』
「あ そ、そうなんだ」
『ん?あまり嬉しくないみたいだな』
「えっ そ そんな事ないわ。でもね・・・」
『・・・どうしたの?』
「うん…実は、貴方が来ている間もお仕事があるの」
『え!そうなのかい』
「うん。ゴメンね。色々と頼まれた仕事が残っていて・・・」
『そうか・・・でも、それも夏美が信頼されてるからだよ』
「・・・・・」
『まあ俺の自慢の夏美なんだから、仕方ないさ。それに全く一緒にいれない訳じゃないんだろ」
(・・・貴方・・・)
『ん?どうしたの夏美』
「・・あ な 何でもないわ」
『とにかく行く日が決まったら、電話かメールするよ』
(・・・・・・・・)
切れた携帯電話を握りながら、夏美はしばらくうなだれていた。
ちょうど一年程前、社会復帰に遠いこの大学を選んだ時も、快く送り出してくれた夫。
頭の中に浮かぶ“男”の姿は幻影だと、夏美はそれを振り払おうと夫の事を考えようとする。
夫の好物を思い出し、献立を考えようする。
しかし、身体の奥からは疼きの予兆が、今夜も湧き上がってくる。
蒸し暑さが湧き上がり始めた初夏の夜。
夏美は寝汗を掻きながら、淫夢に魘(うな)されていた・・・・。
「夏美先生・・・」
「えっ」
夏美が振り返ったそこには、弥生が立っていた。
いつもと違う感じがしたのは、スカート姿だったからだ。
「弥生さん・・」
「へへ、どうですかこのスカート?」
「・・・・・う うん、とっても似合ってるわ」
弥生のはにかんだ様子に、夏美は口元を惹き付らせる。
「ありがとうございます。でも・・夏美先生には負けるけど」
「そ そんな事ないわよ…」
「・・・今度、先生にお化粧の仕方も教えてもらおうかな」
「え!な 何?・・弥生さん・・・貴女 そんな化粧なんかしなくても綺麗だし。それに健康的だし」
「へへ、でも、もうすぐ二十歳(ハタチ)なのに子供っぽいって言われるし・・・」
そう言って、弥生が軽く唇を噛んだ様子を夏美は見逃さなかった。
弥生は何か言いたそう、いや、聞きたそうな雰囲気なのが伺える。
2人はしばらく黙り込んでいたが。
「先生、夏休みは東京へ帰るんですか」
「えっ ええ そうね、直ぐじゃないけど・・」
「そうなんですか・・・じゃあ、まだしばらくコッチにいるんだ」
弥生の心の中の気持ちは、分かるつもりだった。
2人の前に自分が現れたバッカリにと。
「先生は長い事、ご主人に会えなくて寂しかったですか?」
「え!そ それはそうよ…」
「・・・そうなんですか・・・・」
「・・・・・」
(ゴメンなさいね、弥生さん)
今の自分に出きる事は、頭を下げる事だけなんだと、夏美は心の中で誤り、弥生に背を向け歩き出した。
夏美と弥生・・・別れた2人をあの男、沖田が校舎の影から見つめていた。
そして沖田の後ろからは、新一が3人の様子を見つめている。
「あ あの~ 弥生に何かようでしたか?」
恐々沖田に近づき、口に出来たのはそんな言葉だった。
「・・・・・」
沖田が黙ったまま振り向き、ギロリと向けてきた視線の冷たさに、新一はゾクッとした。
「あ ああ いや、あの すいません。あの な 夏川弥生さんとは はい、良い仲でして。それで はい、あの “そちら”が弥生の姿をじっと見てたので・・はい」
「・・・・・・」
当然新一が悪さをしていた訳では無いし、目の前のプロレスラーのような体格に脅迫された訳でもなかった。
それでも、新一は自分がここにいる言い訳を探すように、何とか喋り終えた。
「ククッ、夏川弥生の“彼氏”ですか・・なるほど」
「・・・・」
静かに沈黙を演出しながら、沖田はしばらく新一を値踏みするように見つめていて。
「そろそろあの娘(こ)も“軟弱”な男には嫌気がさしてくる頃でしょう」
(えっ?)
「草食系の男は、年上の女を追いかけ回すのが忙しいらしいし」
(なっ!!)
「君の“ある部分”の勇気・・・・と言うか無鉄砲な所は興味も持ったが」
(?・・・・)
「どちらにしても弱い男には、それなりの居場所に落ち着いてもらうのが一番いい」
(・・・・・・)
「私も人間ウォッチングが好きでね。パトロールの合間に色んな“モノ”を見せて貰ってます」
沖田は最後にそう言うとニコリともせず、その場を後にした。
気づけば夏美の姿も弥生の姿も消えている。
心に広がった不安が、苦いものに変わっていくのを自覚しながら、新一は沖田の背中が小さくなるまでジッと見つめていた・・・・。
その携帯電話の震えに気づいたのは、仕事が一段落した時だった。
この日も堂島の屋敷で“真面目”な調べものを終えた頃、夏美は愛用のそれを手に取った。
画面に見えた“高志”の文字にこっそり振り向いた。
堂島は相変わらず、パソコンに目を向けている。
夏美は手元でそのメールを隠すように広げてみた。
<7月○日○時○分 ○駅到着予定>
<迎えは結構。自分で学校に向かいます>
<どこか良い待ち合わせ場所はある?>
メールを読み終えると、直ぐにそれを仕舞いながら目を閉じた。
(貴方・・)
と、心の中で呟いた・・・・時。
「ところで夏美先生、ご主人がこちらに来る日は決まったのかな?」
堂島の声に背筋が跳ね上がった。
夏美は震えながら立ち上がると、ゆっくり振り向いた。
瞼が震え、何故か涙が零れ落ちそうだった。
口元まで震えが広がり、頷いた。
『儂に任せておけ』と、堂島の瞳が優しく語りかけている。
夏美の意識がサワサワと沸いた白い霧に包まれていき、その瞬間、堂島の細い目がクワッと広がった。
鋭い刃(やいば)が胸を抉る感触に、頭の中から子宮の奥まで痺れが走り抜けた。