小説本文



梅雨が空けると、学生たちは試験勉強に向かう。
 だからではないだろうが、新一からの誘いも無くなっている。
 あの夜、新一が口にした“噂”の事も、今のところ耳にする事はない。
 堂島からの呼び出し・・と言ってもまともな仕事なのだが・・は、続いている。
 この日も卑猥な下着を身に付け、スカート姿で参じるのだが。


 夕べは夫の高志から電話があった。
 今日から又、海外に短期の出張だと言っていた。
 『今年の夏休みは早めに取れそうだから、そっちに遊びに行くよ』
 耳には夫の優しい響きが残っている。


 『行ってらっしゃい。気をつけてね』
 ジワリと涙が滲んできた。
 申し訳のない気持ちは、いつも湧いてくるのだが・・・。


 夏美は学内での仕事を終えると部屋へと戻った。
 一度シャワーを浴び、屋敷に向かう為に。


 屋敷の入り口で一人の女性とすれ違った。
 「あ・・・」
 しばらく女性の後ろ姿を見送っていると、いつもの声が聞こえてきた。
 「夏美さん、いらっしゃい」
 清楚な夏服を着た幸恵だった。


 「今の方は?・・」
 「ふふ、気になる?」
 幸恵の嬉しそうな声だ。


 「大丈夫よ。あの女(ヒト)は、ただのパートさん。ご主人様の好みじゃないから安心しなさい」
 「・・そんな、私は別に・・」
 「・・・・・」


 幸恵が静かに見つめていて。
 「さあ、行きましょうか。ご主人様がお待ちよ」
 「はい」
 夏美は小さく頷いた。

  
 この日通された部屋は、クーラーが効いていた。
 清涼感のある作務衣(サムイ)の衣装が振り向いた。


 「もう夏じゃな」
 「・・・・・」
 「夏美先生、夏休みの事だが」
 「・・・・・」
 「東京に帰るのは後の方にしてくれるかな」
 「え?!」
 「儂も東京に行く用事があってな。貴女にもご一緒してもらおうと思っておる」
 「そっ それはどういう事でしょうか?」
 「んん、・・まあ、それは楽しみにしておきなさい。どちらにしても例の大学の買収に絡んだ話しじゃ」
 「はあ・・」
 夏美は困惑気味に小さく頷いた。


 「だから前半は仕事をしてもらうぞ」
 「はい・・それでその事ですが・・主人が・・」
 「んん?」
 「主人がこちらに遊びに来るんです」
 「・・・・・・・ふふ、そうか、なる程・・」
 「?・・・」
 「クク、では“演出”でも考えておくか」
 堂島の小さな呟きの言葉も、夏美の耳はしっかり聞き取っていた。


 「ところで、最近の太田新一の様子はどうじゃ?」
 「あ、いえ・・・」
 「んん、何じゃ、最近はセックスしておらんのか」
 「なっ!!!・・・・・」
 「んん、なんじゃその顔は?儂が知らんとでも思っとったか。沖田が普段からパトロールをしておるんじゃよ。昔、この地域で土砂崩れがあってな。だから雨続きの季節は見回りを強化しておる・・・」
 「・・・・・」
 「夜中に若い男が“女”の部屋からコソコソと出てくれば、想像がつくわい」
 「・・・・・」
 「それでどうじゃった」
 「え?」
 「ん、若い男じゃよ。若い男は上手かったのか?したんじゃろセックスを」
 「!・・・・・」
 夏美の足元が崩れ落ちそうになっている。


 「これ、顔を上げなさい」
 「・・・ああ・・・」
 小さな呻きを上げながら夏美が顔を上げると、細い目が見つめていた。
 しかしその目は、いつもの冷たいものではない。
 “儂に任せておけ”・・・・どこからともなく、そんな声が聞こえきた。


 「んん、それでどうじゃったのだ若い男の身体は」
 堂島が嬉しそうに見つめている。
 「・・・ああ、それは・・」
 “素直になりなさい” ・・・・と、今度はその言葉が頭の中に広がってきた。


 「・・・・何も・・・・感じませんでした・・」
 (えっ?・・)


 「んん?」
 「いえ、少しは感じました。でも・・・・・」
 (あ・・アタシ今なんて・・・)


 「・・・・・でも?」
 「理事長と比べると・・全く・・・・物足りませんでした」
 (ああ・・なんて事を・・・)


 「・・・そうじゃろうな」
 「・・・・・・・・」
 「と言う事は、貴女は欲求不満なのかな」
 「・・・・・・は…い」
 「ふむ。貴女はやはり儂のコレが欲しいのかな」
 堂島が作務依(サムイ)の上から膨らみを握っている。


 「んん、どうなんじゃ」
 「ああ・・・」
 (・・・は….い)


 「ほれ、言葉に出来んのか?」
 心の中にジワジワ広がった隷従(れいじゅう)の意識は支配を始め、夏美の口はゆっくり開き。
 「ああ・・・ほ、ほしぃ・・」
 堂島の細い目が更に細くなり、極上の笑みが広がった。


 「クク、貴女の心の中はよう分かっておる。・・・しかし・・・・・」
 「・・・・・」
 「今度ご主人が来られた時に・・・シッカリ抱かれてみるのじゃな。・・・良いかな」
 「・・・・・」
 「それで満たされなければ儂が抱いてやろう」
 「・・・・・」
 「もしもご主人に抱かれて満足がいくようなら、DVDは全て返す。・・・貴女は自由じゃ。但し、仕事はこれからも手伝ってもらうがな」
 そう言って、堂島は小さく笑った。


 「分かったかな?」
 夏美は黙ったまま頷いた。
 「良し!」
 その瞬間、頭の中でパチンと音が鳴り、夏美はハッと我に返った。


 その後、夏美は別室で大学の買収の為の資料作りのまとめの仕事を行った。
 今しがたの堂島との会話は耳に残っていたが、それは遠い世界で聞いたフワフワとした感じのものだった。


 資料を広げパソコンの画面が立ち上がると、夏美の意識は仕事の中へと入っていく。
 買収の為の融資が一つのポイントで、又、相手の大学の名物教授の引き留めも重要な案件だと思えた。
 『もう一息なんじゃが』
 堂島がいつか呟いた言葉が蘇ってきた。


 仕事を終え、屋敷を出ると直ぐに後ろから声を掛けられた。
 振り向けば、そこに新一がいた。


 「夏美先生、今日も理事長のお手伝いご苦労様でした」
 どこか馬鹿にした声質には、嫌みったらしい響きが混ざっていた。


 「新一くん・・」
 「夏っぽいスカートですね。中身は相変わらず卑猥な“アレ”ですか」
 「なっ?!」
 無遠慮な新一の言葉に一瞬辺りを見回した。
 どこか投げやりのその態度に、夏美は身構え、心は毅然とした態度を指示していた。


 「新一くん・・私はね、理事長とはお仕事だけのお付き合いよ」
 「・・・・・」
 「過ちもおかしたけど・・・今はもう上司と部下の仕事の関係だけよ」


 新一の表情(かお)が暗くなってくる。
 しかし夏美はその態度を貫いた。
 「お願い。勉強に関してはこれからも応援させてもらうけど。・・・・でも、それ以外の事は・・」
 新一が唇をギュッと噛みしめた。


 「新一くんも弥生さんを大切にしてあげて」
 そう言って、夏美はクルリと背を向ける。
 その背中に新一の声が聞こえてきた。
 「ちぇっ、勝手な事言って。何が『弥生を・・』だよ。大人はズルいんだから」


 黙ったまま夏美は歩き進む。
 そう・・・自分はズルい女になったのだ。
 いや、しかし、これが自分の奥底に眠っていた本性・・・・・。


 夏美の後ろ姿を見つめ続ける新一。
 そしてその2人の様子を、先程から神社の境内から弥生が見つめていた。
 弥生の表情(かお)は、暗い翳りに包まれている。


 そして・・・その弥生の横顔を境内の外れから、息を殺して見続けている男ーーー沖田。
 沖田は立ち去る夏美の後ろ姿、それを見送る新一、そしてその様子を見守る弥生、3人の姿を一通り見終えると、もう一度弥生の横顔に目を向けた。
 瞬き一つしなかった沖田の目が、弥生の横顔を見つめてピクリと歪み。
 ニュルッと舌が出ると、唇を一舐めした・・・・・。