小説本文



 学部長の所に顔を出したのは、午前の授業が終わる頃だった。
 本格的な授業が始まるのはもう少し先で、キャンパスはオリエンテーションに歩き回る学生の姿で溢れていた。
 夏美は夕べのあの程度の寝酒で二日酔いにでもなったかの様に、重い足取りで学部長の部屋を訪れた。


 「やあ、夏美先生。理事長から話は聞いてますよ」
 そう言って頭の薄いその男は、ニコニコしながら夏美に着座を勧め、そして簡単な挨拶を終えると早速要点を話し始めた。
 いくつかの問答を続けながらも、夏美の頭は揺れが収まらず、言葉だけが通り過ぎて行く感じだった。


 夏美は、まさかこんなに早く講座を持てるとは思ってもいなかった。
 3,4年は何人かの教授の下について、勉強と研究を続けながら、ゆくゆくは助教授にと思っていた。
 それをこんなに早く。


 本来なら喜ばしい事だが、どうしても昨夜の堂島の言葉が浮かんでくる。
 『貴女の身体とバーターした訳ではない、その所はハッキリ言っておく~』


 採用試験の結果については、何人かの先生方から“優秀”だと伝えられていて。
 自分なりに手応えも感じていた。
 しかし、それも堂島の思惑によるものかと、どこかでそんな意識が沸いてきて。
 バーターではないと言いながらも、結局は身体と引き換えにと・・・・。


 「 ・・・ 夏美先生、ところで貴女は、理事長のお仕事の手伝いもされるようですね」
 頭の中には、堂島の事が無意識の内に浮かんでいたが、男の言葉にハッと我に返った。


 「え!? あの・・学部長、今、何と仰られましたか?」
 「あ、いえいえ、夏美先生が優秀なので、理事長もご自身の仕事の手伝いを頼んだのかなと思いましてね・・・」
 何気ない話題に夏美の反応が大きかったのか、男は少し驚きながら答えていた。
 夏美は微かに俯き、男に気づかれぬよう息を吐いた。


 男は夏美の様子をどこか心配げに眺めて、そして話題を変えようとして。
 「・・・それと貴女もご存知かと思いますが、今、ある東北の大学から相談を受けていましてね・・・・」
 「・・・・・・・・・」


 「ある財政難の大学に出資を考えてまして・・・まあ、出資と言っても実際は買収です」
 「・・・・・・・・・」
 「理事長はその件でも、向こうの幹部や有力者、それに銀行とも打ち合わせが頻繁にありましてね・・・」
 「・・・・・・・・・」
 「こちらはなるべく良い条件で買収したい訳ですから、理事長も裏から手を回すではないですが、いろいろ接待なんかもやられてるみたいで・・・」


 夏美は息を整え、目の前の男を見つめていた。
 なぜ自分にこんな話を? ・・と思いながらも心のどこかで、この男も理事長の機嫌を取りたいのだろうか?と、そんな考えが浮かんでいた。


 「・・・という訳で理事長も何かと忙しいので、夏美先生も大変でしょうが、お手伝いの方もしっかりお願いしますね」
 男は言い終えると最後にニコリと笑い、そこで打ち合わせはすべて終了した。
 夏美は深く頭を下げると部屋を後にした。


 校舎を出ると食堂に向かう学生の集団に遭遇した。
 その若さに懐かしい気持ちと、羨ましい気持ちが沸いてきたが。
 それでも先ほど学部長が言った言葉を思い出すと、どうしても堂島の事を考えてしまう。
 “仕事の手伝い”と言ったのは、間違いなく自分を屋敷や、あるいは研究室に呼びつける為の口実だろうと推測できた。
 (でもまさか、研究室はないだろう、いくら何でも校内では・・・)
 夏美は小さく頭を振っていた・・・・。


 控室に一旦戻ってみた。
 助教授になれば個室を与えてもらえるらしいと聞いていたが。
 今は取りあえず担当する事になった“講座”を最大のモチベーションにするのだと、早速資料を開こうとした。
 その時、一枚のメモが目に付いた・・・・。




 次の日。
 夏美は重い足取りでキャンパスを歩いていた。
 行先はいくつかある校舎の中でも一番遠くにある建物、その最上階、堂島の研究室だった。
 
 昨日の昼間、控室の自分の机にあったメモ。
 ≪明日の1時 堂島理事長の研究室に行ってください≫
 メールアドレスを知らない堂島が、誰かに頼んで置かせたのだろうか。


 夏美は歩きながら、もう一度堂島の意図を推測した。
 まさか神聖な校舎の中で、あるまじき行為を行うとは思えない。
 と、言う事は… 真面目な話し?
 しかし、すぐに良からぬ考えが思い浮かんだ。
 (ビデオ!)


 堂島は自分にDVDを見せようと考えているのではないか?
 あの夜の恥ずかしい姿を・・・・。


 気付けば、夏美はその部屋の前にたどり着いていた。
 ドアの前に立つと自然と背筋が伸び、無意識に洋服の乱れを直す夏美がいた。
 憎き男に会うこの瞬間にも昔から身についた習性が現れ、夏美は小さくため息をついた。
 

 夏美はもう一度息を吐き、そしてドアをノックした。
 しばらくして皺がれた声で「どうぞ」と返事が返ってきて。
 夏美は重い声で「失礼します」とゆっくりドアを押し開けた。


 その部屋は天井が高く、窓の大きな明るい部屋だった。
 それ以上に夏美の目に付いたのは、壁を埋め尽くした書籍の数と山積みされた書類だった。


 首を振ると大きなソファーに腰を掛け、夏美を黙ったまま見据える堂島の姿が目に付いた。
 堂島はまっすぐに夏美を見据えていて。
 その眼は観察するように、そして値踏みするようで、夏美の視線は自然と足元へと落ちて行った。


 「これ、顔を上げなさい」
 その重い声に顔は上がったが、夏美の視線は早くも落ち着きを失っている。


 数瞬して、それまでニコリともしなかった堂島の口元が微笑んだ。
 「うんうん、スカートか、良い心掛けじゃ」
 「・・・・・・・・・・」


 「んん、何じゃ、震えておるのか?」
 「・・・・・・・・・・」


 「・・・ところで昨日は学部長の所に行ったのだろ? 講義はどうだ? ・・・・貴女の事だから心配よりもやる気の方が大きいだろうが」
 「・・・・・・・・・・」
 夏美は黙ったまま、立ち尽くしている。


 「夏美先生、学生達は数週間は体験授業の期間じゃ。貴女の講座は確か50人定員の小規模なものだ。さて・・・何人くらい集まるか楽しみじゃな」
 夏美は小さく頷いた。
 そこまで話し終えて、堂島がソファーから立ち上がると、夏美の身体はビクンと強張った。


 堂島は夏美の背中を通り、窓際に行き、又振り返りながら。
 「・・・・・教室には一番前の席で目を輝かせながらしっかり話を聞く者・・・後ろの席で最初から最後まで寝てる者・・・色々おるわ」
 「・・・・・・・・・」
 「・・・・学生に問題があるのは勿論じゃ。しかし、教える側にも課題はある」
 「・・・・・・・・・」


 「儂はその辺りも、夏美先生には期待しておる」
 そう言って堂島が再び背中を通ると、夏美は更に身体を硬くした。


 「とは言っても、気合を入れ過ぎると空回りするのが落ちじゃ。まあ、気を楽にして頑張りなさい」
 「あ、ありがとうございます」
 夏美はぎこちなく頭を下げた。


 「さて・・・」
 その声が耳元で聞こえた瞬間、夏美は後ろからガチリと抱きしめられていた・・・・・。

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