小説本文



 時刻は夜の10時だった。
 昼間の大学で新一から渡されたメモには『今夜絶対連絡を下さい!!!』と書かれていた。
 夏美は風呂上がりのパジャマ姿で、ダイニングの椅子に座り、ボーッと携帯電話を見つめていた。
 先ほど降り出した雨が、少しずつ勢いを増している。
 その時、耳の片隅で“トントン”と小さな物音を感じ取った。


 雨?・・・。
 目を向けると、今度は玄関の方からその音がハッキリと聞こえてきた。
 誰!・・・。
 夏美はパジャマの胸元に手を当てながら立ち上がる。
 玄関扉に近づくと、雨音に混じって今度は人の呼ぶ声が聞こえてきた。


 夜中のこんな時間に誰かが、部屋を訪ねて来る事など一度もなかった。
 夏美は身構えながら、もう一歩玄関扉に近づいた。
 「せんせい」
 (・・・?)


 「新一君?・・新一君なの・・・」
 「はい」
 「ど どうしたのよ、こんな時間に」
 「先生が電話くれないから」
 降りつける雨音の中から、新一の息苦しそうな様子が伝わってくる。


 「それで来たんです。・・・先生、開けて下さい」
 「えっ・・」
 夏美は唇を噛み結んだ。
 確かに電話をすると言いながらも、しなかったのは自分なのだが。


 「先生!」
 先ほどより強い口調で声が聞こえてきた。 同時にドアがノックされた。


 「し 新一君、止めて。近所迷惑だから・・・」
 とっさに口からは、そんな言葉が飛び出したが、ノックの音は更に強くなっていく。


 「先生、開けてくれないと大声を出しますよ」
 「えっ、だ ダメよ」


 否定の言葉が口に付いたが、夏美は一番上のボタンをはめながら、自分の出で立ちを確かめた。
 雨・・・夜中・・・瞬時に連想された言葉に、誰にも見られないと判断したのか、夏美の手はドアノブを掴んでいた。


 「先生、お願いしますよ」
 再び新一の声が聞こえ、夏美の手は思わずドアを開けていた。
 その瞬間、開いた隙間から新一の身体が滑り込んできた。


 「キャッ!」
 「しっ!」
 今度は、新一が唇に指をあてていた。


 「先生、声が大きいですよ」
 鼻先に酒臭い息が降りかかる。
 「新一君・・・貴方 お酒を・・・」


 夏美の様子など気にせず、新一が靴を脱ぎ、上がり込もうとする。
 夏美は勢いに圧(お)されるように後ずさる。
 「ちょっと新一君、どういうつもりなの」
 「・・・どういうつもりって・・・先生が俺を無視したから・・」
 「無視だなんて・・そんなつもりは・・」
 と続けようとして黙り込んだ。


 「先生、そんな事より・・」
 「・・・・・・・・」
 こんな展開を覚悟していたのか、夏美は息を呑んで見つめている。


 「先生、その顔はもう、何を話すか分かってる顔だよね」
 酒の力を借りているからだろうか、新一の言葉にはトゲトゲしい響きが混ざっている。


 「新一君・・・とりあえず貴方の話しを聞くわ。でも、夜も遅いし静かにね」
 夏美は覚悟を決めて、新一を部屋の中へと招き入れた。
 「へへ、分かってますよ」
 新一はそう言って、夏美の横を抜けるとダイニングの椅子にドカリと腰を降ろす。
 夏美は大きく溜息を吐くと、観念したように新一の目の前の椅子に腰を降ろした。
 ここに来た新一の目的は間違いなく分かっていて、それを伝えるにも酒の力を借りたのかと、夏美は不安げに目を向けた。
 新一の顔をよく見ると、頬は赤く、やはり酔っているのだと、夏美は次に掛ける言葉を無意識に探そうとする。


 「新一君・・・・」
 何とか自分のペースにと思うのだが、その後の言葉が続かない。


 「へ、へへ・・夏美先生って見た目によらずエッチだったんだね」
 (!・・・)


 「憧れの夏美先生が、まさかあんな事をしてたなんてね~」
 酔った勢いをそのままに、新一の口からは下品な響きが溢れ出た。


 「しかも相手が、あんな老人とはねえ~」
 そう言いながら、新一が胸のポケットから煙草を取り出した。
 下顎を突き出しながら咥えタバコに火をつける様子は、間違いなく朦朧としているようで、夏美は居すわられたこの状況がどうなる事かと不安が過(よ)ぎっていく。


 「へへ、夏美先生・・あの理事長の研究室でエッチしてたでしょ。俺、扉の前まで来てノブを掴んだら変な声が聞こえてきたからビックリしちゃったよ」
 「!・・・・・・・」
 「いきなりドアを開けたら中の人が困るだろうと思って、しばらく収まるまで待ってたんだぜ。偉いだろ?」
 「・・・・・・・・・・」
 「まさかと思ったけど、部屋に入ってみたら本当に夏美先生がいたからもう一度ビックリしたよ」
 「・・・・・・・・・・」
 「先生は、俺が気付いてないって思って安心したんでしょうけどね。俺も表情に出さない様に気を使ってたんだよ」
 「・・・・・・・・・・」
 「帰る時にソファーの下にパンティーを発見しちゃって、又ビックリしたんだけど・・・」


 そこまでまくし立てて、新一は大きなゲップをしながら椅子の背にもたれかかった。
 夏美は、先程から俯いて黙り込んでいる。


 数瞬してタバコを灰皿代わりのコーヒー缶に捨て、新一の目が上目づかいに向かってきた。
 その眼は“据(す)わって”いて、夏美は思わず椅子から立ち上がりそうになる。
 新一の右腕がいきなり、グイッと伸びてきて。


 「ど、どうしたの?」
 夏美の声は、戸惑いに上擦った。


 後ずさった夏美は、新一の視線の先・・自分の胸元を覗いてみた。
 先ほど、留めたと思っていた、一番上のボタンが外れている。


 「・・・先生・・」
 

 新一が立ち上がり、回り込む様に夏美を追い詰めてくる。
 夏美が首を振るとベットが目に付いた。
 迂闊にも寝室の扉を閉め忘れていた・・・そんな事が頭を過(よ)ぎった瞬間、パチンと小さな音と同時に、室内は闇に包まれた。


 「なっ!?」
 夏美の口から小さな躊躇いが吐き出され・・。
 その時・・。


 「いやっ!!」
 腰の辺りに乗りかかってくる重さを抱きとめる形になって、夏美は一気に寄り切られるようにベットの上まで運ばれていく。


 「し、しんい・・・」
 言葉が半ばで途切れ、唇が奪われる。


 「・・・・っ!」
 新一は両腕で夏美の身体をきつく抱いて、己の身体を摺り寄せてくる。
 ゴツゴツとした重みとタバコの香り。そして確かな“牡”の息遣い。
 暴れる両脚の間から股間の膨らみを圧しつけられ、夏美は懸命に新一の肩を押しやった。


 「クッ、し 新一くん・・・止めて・・」
 新一が僅かに顔を上げたが、二人の顔は乱れた息の掛かる距離にある。


 「せ、先生・・・いいでしょ?」
 掠れた声は先程までの荒々しい物ではない。
 それは甘く媚びた切なさを含んだものだった。
 そしてパジャマの股間が、もう一度一押しされ、夏美の中の“雌”が刺激された。


 「・・だめよ・・新一くん・・・」
 夏美がすすり泣くような声で、そう訴えた。
 しかし、新一は強く夏美の身体を抱きしめると、己の口を目の前の唇に圧し付けた。
 

 「うっ!」
 口腔に滑り込んできた唾液は、“あの男”・・堂島と同じ味だった。
 夏美の脳髄に痺れが走り、身体からは力が抜けていった。


 夏美の様子をどう合点したのか、新一は身体を起こすと呼吸を貪りながら、着ている服を性急に脱ぎ始めた。
 一気に裸になった新一は、横たわる夏美のパジャマに指を掛け・・・・・。


 ・・・・・いつの間にか雨音は止み、カーテンの小さな隙間から月明かりが射し込んでいる。
 夏美は汗の掻いた身体に、一瞬冷んやりするものを感じた。
 

 夏美の素肌に、新一が覆い被さった・・・・・。