小説本文



着替えを終えた私達。私と妻はホテルの浴衣を着ています。
 堀田さん達…旦那さん方3人は黒、赤、紫、3人三様の男性用Tバックショーツを身に着け、裸の上半身には法被(はっぴ)を羽織っただけの滑稽な格好です。
 紀美子さん達、奥様方は、下半身はノーパンに黒、赤、紫のガーターベルトで、上半身は裸でその上からやはり法被を羽織った滑稽ですがエロチックな格好です。


 着替えの時も誰の口にも文句の言葉が付くでもなく、決まりきった事をただ淡々と進めたような感じでした。それだけで彼らが何度と、この場に来ている事が分かった気がしました。また、皆さんの表情には、怯えの色も見えませんし、だからといってもちろん高揚感もありません。無表情に近い感じで着替えを済ませたのでした。


 部屋を出ますと山本さん夫婦を先頭に暗い廊下を進みました。
 前を歩く男性陣の後ろ姿は、短い法被に丸出しの中年男の尻です。奥様方の短い法被の裾下からは、剥き身の熟尻と原色のガーターベルトが艶(なまめ)かしく揺れて見えます。


 廊下の角を曲がった時です。見覚えのある男が立っていました。あの日、妻を凌辱した男の一人です。
 男の前を横切りながら、部屋の中へ入ろうとする堀田さん達の後ろに着いて行こうとして、私の肩が大きな手に押さえられました。
 「あんたらはこっちからだ」
 男の声に身体が強張ります。


 私と妻は恐々男の背中に着いて歩きました。
 暗い廊下は時おり、ミシリと鈍い床音を鳴らします。


 男が立ち止まり振り返ったそこは、紙張り障子の引き戸扉の前でした。頭の中には、先程から淫靡な和室の様子が浮かび上がっておりました。


 「あんたらの席は一番後ろだからな」
 男がそう言いながら、障子を静かに引きました。中から漏れたのは、裸電球の弱々しい灯りと、いくつもの暗い眼差しでした。
 カビ臭い畳部屋には所狭しと、男達が思い思いに腰を下ろしていたのです。
 部屋は二十畳…いや、もう少しあるでしょうか?
 私と妻は、男に背中を押されるように、部屋の端を身を縮めるように一番奥に進みました。そして首を竦(すく)めるように腰を下ろしたのです。


 しばらくして部屋の暗さに慣れ、幾分か落ち着いてきますと、私の視線はユックリ辺りを見渡しました。隣の妻は息を殺して小さくなっています。それもそのはず、この部屋で女は妻だけなのです。


 座っている男達はざっと10人ほどでしょうか。皆、私と同じ浴衣を着ています。
 男達は隣の者と顔を寄せ合い、小声で囁きあっています。口元は歪み、白い歯が覗きます。いかにも卑猥な会話を楽しんでいるようです。皆、年齢的には30代から50半ばといったところでしょうか。
 時おり後ろを振り返り、私達夫婦の様子を伺います。私達の顔を覗き、前を向き直って隣と二言三事喋って、又私達を見る。そんな事を繰り返します。
 それからすぐに、又扉が開きました。入ってきたのは清水とその仲間の一人でした。


 清水が頭を軽く下げると座っている男達から声が上がりました。
 「やあやあ、待ちくたびれたよ」
 「清水さん、今日も頼むよ」
 そんな男どもの声に、清水の口元が歪みました。逆に私達の身体はキュット縮み上がります。


 「お客様方、今日もありがとうございますね」
 清水は『お客様』と言いましたが、その響きには同類に対する親しみが溢れています。


 「清水さん、今日の夫婦はこの間と一緒かい?」
 客座の一人が身を乗り出しながら聞いています。
 清水は嬉しそうに声の方を向きます。
 「ふふ……。今日は2号と4号、それに5号です」
 その言葉に所々で嬉しそうな声が上がりました。


 私は清水と男達のやり取りを聞きながらも、客座の端から端に目を走らせていました。男達に知った顔がないかもう一度確認するためです。小心者の私ですから、知り合いにこのような場所で「もしも」と、想像すると生きた心地が致しません。
 一通り見渡し、小さな安堵を覚えた時は妻の手を握っていました。


 それから直ぐに、清水の目配せに手下の一人が扉を開けます。
 「では、変態夫婦に入場頂きましょう」
 清水の声に山本さん夫婦が先頭に、落合さん夫婦、堀田さん夫婦と3組のご夫婦が部屋の中に入って来ました。
 3組は清水の横に等間隔で並ぶとゆっくり客座の方に向き直ります。私から見ると、一番左に山本さん夫婦。真ん中に落合さん夫婦。そして一番右端が堀田さん夫婦です。


 「お前たち、もう少し顔を上げて貰おうか」
 清水の落ち着いた口調に3組の顔が静かに上がりました。その表情は暗い照明(あかり)のせいでしょうか、私の目には“死に体”のようにも映ります。


 その時「今日は剥き出しの下半身に法被か。それにしても卑猥な格好だね」と、客座の中から陰湿な声が飛びました。
 そんな声にも堀田さん達は誰一人表情を変えません。まさに“死に体”です。


 それからしばらく、沈黙が続きました。“夫婦”の品評の時間です。3組の夫婦は、男達の粘着質な視線を、何一つ声を発せず黙ったまま受け止めたのです。


 「それではそろそろ、初めてのお客様もいらゃしゃいますから、“つがい達”に自己紹介をさせましょう」
 沈黙を破った清水の言葉に、私の身体は固まりました。私達も見せ物の一人、いえ、一組として“恥”をかくのではと緊張を覚えたからです。


 「2号」と清水が呼びました。
 その声に山本さん夫婦がスッと一歩前に出ます。まるで身に付いた所作をそのまま披露するようにです。
 妻が、先ほどから私の手を握っています。


 山本さん夫婦は二人とも、魂を抜かれたような表情(かお)です。
 そして、ご主人の口元が静かに動きました。
 「……皆さま、奴隷夫婦2号の山本と申します」
 「!!……」
 それは暗く、重苦しくも、はっきりとした響きでした。私はもう一度息を飲みました。


 「私の名前は山本浩、42歳です。都内の◯◯◯に住み、品川の◯◯◯に勤務しております」
 山本さんが口にしたのは日本で、いえ世界で知られている有名企業の名前ではありませんか。
 私の身体は本当に、本当に震えを起こしていました。


 客座からは「俺は、お前の会社の株を持ってるぞ」「そんな有名企業の中にも“好き者”がいるんだなあ」と、容赦のない声が飛び交います。
 山本さんは、そんな声にも表情を変えず、続けました。
 「……隣におりますのは妻の美代子、41歳、専業主婦をしております」
 ご主人の声に、妻の美代子さんの顔が少し頷いて見えました。
 一流企業に務め、“勝ち組”と言われるはずの夫婦が………まさか…。私の喉は益々カラカラになっていきました。


 「あんたら、子供はいたっけ?」
 又、陰湿な声が上がりました。


 「はい。……一人おります。」
 「…………」
 「…高校2年生の娘です」
 今度は美代子さんが答えます。


 私は身体の震えを止める事が出来ませんでした。それでいて、神経は耳に集中しているようで、心臓の音が耳元で聞こえています。


 「じゃあ、お見せして」
 清水がぶっきらぼうに言いました。
 その声にご主人の浩さんが、法被のポケットから何かを取り出しました。私は目を凝らします。


 清水がご主人の手から奪い取った小さな“ソレ”を客座の男に手渡します。男は確認すると隣の男から“ソレ”を順番に回して行きます。所々で「本物の◯◯◯の社員だ」とか「良い所に住んでるんだなあ」と遠慮のない声が飛びます。
 私の直ぐ前の男に“ソレ”が回ってきました。男が私にその2枚をチラリとかざして見せます。それは、どこからどう見ても、免許証と名刺ではありませんか…。


 一通り山本さんの免許証と名刺が回った所で、再び清水が口を開きました。
 「では、次は4号」
 その声に真ん中にいた落合さん夫婦が一歩前に出ました。

 「さあ、分かってるだろ、今度はアンタらの自己紹介だよ」
 清水の言葉に、落合さんご夫婦が恐々頷きます。


 「あの……落合康之と妻の弘子です。歳は二人とも40前半です…」
 「ふふ、それで仕事は何だっけ?」


 清水のその質問に私の胸の奥がキュッとなりました。いつかは私に向けられる質問なのだろうかと、瞬時にそんな考えが過(よぎ)ったのだと思います。


 「はい…私は都立◯◯高校で数学の教師をしております」
 客座の所々から「◯◯高校って知ってるぜ。それなりの進学校だよな」とか「進学校の先生も裏でこんな変態な事をしてるんだ」と好き勝手な言葉が飛び交います。


 「それで奥さんの方は、何をしてるんだい」
 続けて奥さんの弘子さんに声が向きます。妻の手を握る私の指には、力が入ります。
 いつかはこの妻も、あの奥様方と同じように…。


 「はい…わ、私も都内の◯◯◯中学で国語の教師をしています」
 「あれま、奥さんも変態教師かよ」
 男の嬉しそうな声です。


 「それではお前達」
 そう言って清水が落合さん達を顎でしゃくりました。


 落合さんがポケットに手をやり、小さなカードのような物を取り出しました。それはやはり免許証と、そして名刺でしょうか。
 清水は先程と同じように、それを客座の男達に回し見させていきます。
 私の直ぐ前の男が、又それを目の前でかざして見せます。免許証と私も名前だけは聞いた事がある校名が書かれた名刺でした。


 そして、次は堀田さん夫婦の番でした。
 清水に「5号」と番号で呼ばれると、堀田さん夫婦は同じように一歩前に出て自己紹介をしたのでした。3組の中では、一番オドオドした挨拶でした。場数の回数が、一番少ないという表れだったのでしょうか。
 そして同じように、免許証と名刺を回されたのです。
 私が目にしたその名刺には、これも又、誰もが知る上場企業の名がありました。そして、堀田さんは客座の好奇の目を、一気に浴びたのでした。


 堀田さん達が一歩下がった時でした。
 「それと、今日はゲストとして奴隷候補の“つがい”を呼んであります」


 一瞬にして私の心臓が縮み上がりました。気づけば仄暗い炎を灯した目が振り返り私達を見つめておりました……。