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第32話
住宅街の中のある一軒家。
早苗はその家の前に立っていた。
ここが、上野から指示のあった場所。
その家の表札を目にした時から、早苗の中には、まさかの思いが沸き立っていた。
不意にその家のドアが開いた。
早苗の目に映ったのは、どこからどう見ても大塚の妻の真知子だった。真知子は普通の主婦といった感じで、優しげに声を掛けてきた。
「こんにちは、早苗さん。よくいらっしゃいました」
「あぁ、真知子さん…ここはやっぱり、大塚先生のお宅だったのね…」
「ええそうよ。でも、そんな事はいいから、さぁ入って。彼氏がお待ちかねよ」
真知子の何とも言えない嬉しそうな声に、早苗の顔が緊張の影に覆われていく。
「どうしたの早苗さん、さぁどうぞ」
強張っている早苗の腕を取って、真知子が家へと誘う。早苗は諦めたように俯いて、中へと足を踏み入れた。
リビングに通された早苗。
その早苗に真知子が、意味深に話し掛けてきた。
「早苗さん…ふふふ、昨日の貴女の様子は、色々と聞かせて貰いましたよ。上野君の誘いで敏男君と素晴らしい時間を過ごしたんですって」
いきなり告げられたその事実にも、早苗には覚悟があった。しかし、唇を結んで目を伏せてしまう。
「敏男君はどうだった?彼、なかなかやるわよね。彼と…ふふ、エッチしたって事は、アタシと早苗さんは姉妹になるのかな」
その言葉に、えっと顔が跳ね上がった。早苗は真知子を見つめた。先日、敏男が由美と関係を持っていた事は聞かされたが、まさか目の前の真知子ともそう言う仲だったのかと知って絶句したのだ。
「何を驚いているの。…それでね、今日は昨日の敏男君との続きをここで見せてくれるんでしょ」
「ええっ!きょ、今日は上野さんだけじゃないんですか」
「あら嫌だ。上野君は勿論だけど、敏男君も来てるのよ」
「あぁ…」
「うふふ…早苗さん、貴女がアタシ達の仲間に相応しいって事はもう分かってるんですからね。だから今日は遠慮せず…あ、今日もか」
告げ終えた真知子の表情(かお)には、妖しい笑みが漂っている。
もう既に変態チックな性癖を曝す事にも、戸惑いを失いつつある早苗だったが、流石に緊張の色は隠せない。
と、その時、廊下の方から人の気配がした。
現れた二人の姿に、早苗の身体がギュっと固まった。
「へへ、いらっしゃい」
上野がいつもの感じで近づいて来た。
「オバサン、今日は俺一人だけだと思ってたんだ」
そう言ってから上野が、後ろをチラリと覗きみる。
「うんうん、分かる分かる。けどね、今日の相手もこの大久保敏男君なんよ。そう、息子君の親友のね」
あぁ…っと早苗の眉根に嘆きの皺が寄った。そんな早苗の様子を眺めながら、敏男の方は自分を落ち着かせようと静かに呼吸を繰り返す。
敏男は早苗の声を聞いた時から、昨日の事が夢でなかったと実感していた。その敏男の喉から、ゴクリと唾を呑み込む音が聞こえた。
「あら嫌だ」真知子が敏男の様子に笑いをたてる。
「真知子さん、旦那さんはそろそろでしょ」
上野の呼び掛けに真知子が「ええ、そうね。アタシ達もそろそろ準備かな」と頷き返す。
早苗は目の前のやり取りを聞きながらも、やはり抵抗があった。身体の奥に巣食った欲望の痼は疼き始めているが、この場所の雰囲気…かつての同僚の自宅で、しかもその夫婦の目の前で肌を曝すのかと思うと脅えが湧いてくる。思えば自分は、大塚夫婦の恥態を目の辺りにした。しかし今日は、こちらの浅ましい姿を見せる事になるのかと…しかも息子の友人を相手に…。早苗の顔がまたも俯いた。
「どうしたのよオバサ~ン、黙り込んじゃって。大丈夫だよ、服を脱いでさ、下着姿になったらスイッチが入るんだから。今日もエッチなやつを着てきたんでしょ」
「あぁん」小さな唸りを落として、早苗の顔が恨めしそうに声の方を向く。しかし、早苗の中の火種は、上野の言葉で燻り始めている。
「さてと、それじゃあ準備に入るか」
思い出したように上野が、指示を出し始めた。
「真知子さんは、その辺りに布団を置いといてくれる。大久保、俺達はあっちの部屋に行くぞ。あ、オバサンもね」
上野が真知子に目配せしながら、廊下へ向かう。その後ろを追いかけようとして、敏男は振り向き、早苗の顔を覗き込んだ。そして、耳元に囁いた。
「オバサン、今日も可愛がってあげるね。昨日の俺、結構良かったでしょ。オバサンもヒーヒー喜んでたもんね」
「あっ、イャンっ」
敏男の囁きより更に小さい声が、朱い唇から嘆き落ちていく。その早苗の臀部に、大きな掌がスッと添えられた。そしてグイっと割れ目を持ち上げるように、滑り込んだ。
「ハァんっ」
色づいた声が上がった。上野が振り返って、ニヤリと笑う。
「フッ、行くぞ大久保、早苗を連れて来いよ」
名前を呼びすてにされ、服従の気配を纏って早苗が歩き出す。敏男が早苗の臀に手を当てたまま臭いを嗅ぐように鼻を首筋に近づけてきた。そして二人は、上野に続いてシドシドと歩き出した。
三人が入った部屋は、廊下の奥の洋間だった。
おそらく来客用の部屋で、マットレスだけが乗ったベッドが1台あるだけだ。リビングからは離れているせいか、向こうの音は聞こえない。
ベッドに腰かけた二人。
「大久保よぉ、先にコレ渡しとくわ」
いつの間にか上野の手には黒い物が握られている。敏男は受け取り、広げてみた。
「あ、ゼントウマスクだっけ」
「ああ。けど、前のにチョッと改良を加えてみたんだわ」
その言葉に敏男は広げたソレを丁寧に見直した。
「あれ?!」
「そうそう、目の所をそのまま見れるように穴を開けたんよ」
「あぁなるほど。これなら優…」
と言った瞬間、上野が慌てて敏男の口を手で塞いできた。そして、睨み付けた。
敏男はアッ!と気づいて早苗を探る。早苗には優作が来るのは内緒なんだと思い出して、ふぅっと息を吐いた。
「ええっと、オバサンのヤツは昨日と一緒ね」
場の空気を戻そうと、上野が声を掛けている。早苗は二人の様子に気づかなかったのか、黙って俯いたままだ。
「オバサン、もし素顔でもいいんだったらそうするけど」
そんな冗談か本気か分からないような上野の声にも、早苗は反応を示さない。
「ん~と大久保よぉ…なんか早苗も緊張してるみたいだから、ウォーミングアップでもしとくか」
「へっ?!」
黒マスクを弄っていた敏男の顔が、上野に向く。
「ほら、今日はギャラリーも多いし、お前も緊張してるんだったらリラックス出来るように、どうよ」
ギャラリーと言う言葉に敏男は、早苗の表情を覗き込んだ。
困り顔の早苗を認めると、敏男の中からサディスティックな癖が顔を出してきた。
「へへ…じゃあねぇ…」
瞳が俄に拡がっていき、ランランと輝きを増す。敏男の口元は歪んでいく。
「うん、ストリップでもやって貰おうかな」
「………」
「オバサン、ストリップだってよ」
あっさりとした上野の声に「あぁッ」と、早苗の身体がビクっと跳ねおきた。
その頃ー。
ファミレスから殆ど黙ったままで、優作は大塚の背中に引きずられるように歩いていた。頭の中では、大塚が云った言葉の意味を考えていた。
今日は敏男の事での相談であったが、話しの中には母親の名前まで出てきた。最近の母親には不穏な何かを感じていたので、一石二鳥で悩みが解決に向かえば良かったのだが、大塚の口から出た『本質、資質』、『交わり』、『コラボ』、そんな言葉に翻弄されている自分がいる。そして今、大塚は何処に向かっているのか。
その時、前を行く足がピタリと止まった。
「優作君、ここだよ」
我に返って顔を上げた優作の視線の先には一軒家。
「ここが僕の家」
「えっ!?」
思わず声が上がって、優作は何の変哲もない2階建てに目をやった。
「…先生、なんでまた自宅で…」
と言いかけた優作に、大塚が顔を近づけてきた。その鈍よりとした眼差しに、優作の背筋に冷たいものが走った。そこに感じたのは、聖職者の臭いではない。
「………」
「どうしたんだい優作君」
「い、いえ…。あの、なんで先生の家なんですか…」
「ん、だからコラボを見せてあげるって言わなかったっけ」
(いえ…み、見せてあげるとは…)
気後れに黙り込む優作だったが、苦しげに口を開いた。
「あぁ…ひょっとして敏男が…敏男がいるんですか」
「ふふ、いいからいいから。君の心配は敏男君の事だよね。そこに上野君も絡んでいて…。それにお母さんの事でも気になる事があるんだよね」
引きずり込むような口調の大塚に、唾を飲み込む優作。昼間の住宅街の中、優作の身体が怖じけに小さくなっていく。
「………」
「ん?何を固くなってるんだい…。大丈夫、これからちゃんと君の悩みに何かしらの結論を与えてあげる事になってるからね」
(…事になってるからね…って)
どこか計画めいて聞こえた言葉に、優作の唇は緊張に震えている。
「さあ、行くよ」
そう云って、大塚の手が優作の腕を握ってきた。
一瞬、子供のように身体を竦めた優作。しかし、よろめきながらも足は進んだ。
家の中に入った優作。
現れた大塚の奥さん真知子。優作は大した挨拶も出来ず、身体を固くしたままだ。
「真知子、準備はいいかな」
「ええ」
大塚は真知子が頷いたのを確認してから、優作に声を掛けた。
「さぁ、一旦上に行くよ」
優作は“一旦”の意味も特に考えられず、重い空気を感じたまま付いて行った。
真知子が二人の背中を見送って、遅れて廊下に出る。向かったのは廊下の端の部屋。
コツコツと小さくドアをノックした。音もなく開いて、上野が顔を出す。
二人が囁き声で喋り出した。
「来たわよ、もう一人の主役が」
「へへ、真知子さんも嬉しそうだね」
「あぁん、そりゃそうよ。アタシ“アッチ”も好き者だけど、真面目そうな女の人の本性を露にするのも、なんだか興奮するのよね」
「うん、分かる分かる。真知子さんって、SとMが同居してるんだよ」
「んもう、上野君はお見通しね。でも言う通りよ。アタシの性癖も神田先生に見抜かれて、今はこの通りよ」そう云って真知子が笑う。
「それで、そっちの準備は良いの?」
「ああ、大丈夫っすよ。ほら」
上野がドアをもう少し開けて、真知子に目配せした。
そこを覗いた真知子の表情(かお)が嫌らしそうに歪んだ。
部屋の中には上下紫色の下着を身に着けた女がいる。顔には黒マスク。
「へへ、今、ストリップをやらせてたんだよ」
「あぁ…素敵…」
「一回素っ裸にして、今、下着を着けさせたところ」
「ねぇ、早苗さんのマスク、目は見えるの」
「ああ少しだけね、うっすらと見えるんよ」
「へ~そうなんだ。なんか扇情的ね」
真知子の瞳にも、妖しい火が灯り始めていた。早苗にも真知子の囁き声が伝わっているのか、肢体が艶かしく揺れている。
「あぁ…早苗さん、もう準備万端じゃないの」
「そうなんだよ真知子さん。もうすぐ“本番”だしね。じゃあ、合図の方よろしくね」
上野の声に頷いて、真知子が背を向け部屋を後にした。
2階の部屋。
優作は部屋に入って、黙ったまま思考を巡らせていた。
その時「先生、今、下で男の声がしませんでしたか。やっぱり敏男がいるんじゃないんですか」
「ん、いいからいいから」と云って、大塚がスマホを取り出した。
メールだろうか、パッと覗いて直ぐに切る。
「うん、じゃあそろそろ下に行こうか」
大塚の声に優作の顔がパッと上がり、意を決したように云う。
「せ、先生、やっぱり何か変ですよ」
「ん、何が」
「何がって全部。何だか先生もおかしいし、この家の雰囲気も変ですよ」
「ふふふ、だから大丈夫だって。君も近いうちにこの“雰囲気”が好きになるよ」
「………」
「それでね、今日これから下で見る景色は、最初君にはショックだと思う。けどね、それも現実であり、人間のどうしようもない本性の現れなんだよ。その真実を迎え入れたら君は、その抱えてる悩み…敏男君の事や早苗さんの事も納得出来るようになるから」
「………」
何かに取り憑かれたような大塚の言葉。優作は心の中を悪魔に覗かれるような恐怖を感じてきた。
「さぁ行くよ」
大塚が腰を上げて、優作の腕を掴む。半ば強引に立たせて、優作は背中を押されるように部屋を後にした。
リビングに降りて、通されたのは続き間の部屋。
大塚が引き戸を閉めながら、部屋の電気を点けた。
「優作君、いいかい。暫く君には、一人でこの部屋にいてもらう。もう直ぐ隣で“ある”人物が人間の本性を曝すから、その様子を最後までシッカリ見るんだ、いいね」
「………」
「この扉を…」
大塚が扉に手を掛ける。
「…こうやって、この細い隙間から“覗く”んだ」
「………」
「それと、声は絶対に出しちゃダメだよ」
そこまで黙っていた優作が、心細そうに顔を向けた。
「い、いったい何が始まるんですか」
「知りたいかい?…そうだねぇ、不道徳なショー、とでも言っておこうか」
(ええっ!!)
高揚のないボソリと吐かれた言葉に、優作の表情(かお)が青ざめていく。
「資質を解放した大人と思春期の悩みを持つ若者が、今から交わるんだ」
(ウウウ…アアア…)
「君は知るんだよ、人間の心の奥に潜む真理を。それを理解出来て一歩踏み出せば優作君、君の悩みは解決する」
部屋の中は、ジットリとした暑さが沸いたようで、優作は息苦しさを感じている。告げ終えた大塚の顔には笑みさえ浮かんでいる。
と、遠くの方で雷が鳴った。
「ん、一雨来るかな」
ポツリと零れた大塚の言葉。その時、激しい雨音が聞こえてきた。
「凄い雨だね。でも、雨の音なんか気にしないで集中してな」
そう云って大塚が部屋を出ようとする。
「おっと、電気は消しといて、と」
スイッチを切って、大塚が部屋を後にした…。