小説本文



 
 敏男が内緒で、優作の家の周辺を見に来たのは2回目だった。本人がパトロール気分なのは、4日前に予備校で聞いた早苗とヌケサク先生の事が気になっていたからだった。
 なぜ、友人の母親の事がこれほど気になるのかといえば、幼い頃に離婚して家を出ていった母親のせいに違いなかった。敏男は父親と祖母に育てられたからか、小学生の頃から早苗に淡い想いを抱いていた。
 高校受験の時も、優作と同じ所に入れば早苗の近くにいれるのでは、というのが選択の一番の理由だった。そんな憧れを知っていて、優作は時に喧嘩をしたり、時にバカをやりながらも優しく接してくれる。敏男はそれが嬉しかった。


 「さて、今夜はもういいかな」
 声に出して呟いてみて、敏男は自転車を自宅の方に向けようとした。見る者が見ればストーカーと間違えられるかも知れないが、浪人が決まってからはおちおちと遊びに行けないと思っていたところで聞いた優作の話。ソレを口実にして、この辺りを自転車で走っていたのだ。


 敏男は帰ろうとして、もう一度家を見上げてみた。優作の部屋はとっくに明かりが消えている。予備校に入ってから規則正しくすると宣言していた優作の言葉が、本当なんだなと改めて思った。それに比べて俺は…と思いながらも、ペダルに掛かる足に力を入れようとした時だった。玄関のカチャっという鍵の音に、瞬時に緊張を覚えた。そして、自動販売機の横に自転車ごと身を寄せた。


 (・・・・・・・)
 優作だったら驚かせてやろうと思った考えも、直ぐに消えて無くなっていた。鍵の閉まる音がして、電灯の明かりに浮かび上がったのが優作の母:早苗だったからだ…。


 まさかこんな時間に、ジョギングかウォーキングかと頭に浮かんだ考えは、その服装に一瞬のうちに消えてしまっていた。けれど歩き出したスピードはジョギングと変わらないのではと、敏男は暗闇に消えて行く後ろ姿に呆気に取られていた。
 優作にメールを…と、考えて。しかしその考えも瞬時に打ち消して、敏男はペダルを踏み込んだ。


 声を掛けようかな…と、一瞬迷いながらも、敏男は前を行くシルエットを微妙な距離をとって追いかけた。
 暗がりの中でも左肩に掛けられたバッグが、歩幅に合わせて揺れているのがよくわかる。その下の方では豊満な臀部も揺れている。


 気が付けば馴染みのある道に出ていた。
 「この先は学校じゃないか」
 早苗の歩く先からは、敏男と優作が通った小学校の姿が現れた。
 早苗は迷う事なく校門に続く横断歩道を渡っている。
 どこでもそうだが、学校にまつわる怪談話というのがあって、この母校にも色々と語り継がれた怖い話があったなと、敏男の身体は霊気のようなものを感じていた。まさか早苗が、誰もいないであろう校舎の中に入って行くのかと……そう怖じけを覚えた時、そのシルエットは校門の前を素通りして交差点の方へと向かった。
 ふ~っと一息吐いて、敏男は追いかけた。信号を左に曲がった所で見えたのは、コンビニエンスストアの大きな駐車場だった。


 早苗の身体は店の入口に向かう気配など全くなく。端っこにポツンと1台駐まっている車に向かっているようだ。
 早苗の姿が助手席に乗るのを見届けて、敏男はペダルを止め、遠目からその車を見つめてみた。しばらくその場でじっとしていたが、エンジンの掛かる気配がない様子に、取り敢えず、店内に入ってみる事にした。


 雑誌コーナーの前に立つと、その車の後ろ姿がよく見える。けれど狙いが甘かったのか、ここからでは車中の様子までは分からない。しかし敏男は、そこで様子を見る事にした。
 陳列棚の右端、ATMコーナーの横には成人雑誌・・18才未満禁止のいわゆるエロ本が並べられている。
 【人妻浴場  中出しSEX】
 【エロ尻熟女】
 【おばさんは僕らのいいなり】
 【四十路 五十路 濃密淫交】
 いつもの事だが“熟女”、 “人妻”、 “不倫”それに“母”…そんなタイトルに目がいってしまう。敏男の頭の中に、数ヵ月前の今でも鮮明に思い出せる“ソノ”出来事が浮かび出てきた…。


 あれは2月ーー。
 大学受験の発表を終えて、落ち込んでいる時だった。半ば自棄(やけ)になって面白い事がないかと、ある繁華街を歩いていた時だった。優作を呼び出し、慰めあった後にカラオケでうっぷん晴らしでも…と、思ったところで用事があると断られ。それでも取りあえず来てみた所で、珍しい奴にあってしまったのだった。珍しいといっても向こうからすれば、俺がこんな所にいる事の方がよっぽど珍しいのだろうと思ったが。
 そいつーー上野重幸(ウエノ シゲユキ)は、中年の女性と腕を絡めていた。


 『・・・う、上野…』
 『ん?…大久保か』
 言葉に困る、目のやり場に困るとはまさにこの事かと、敏男は目の前の二人と目を合わせないように曖昧に返事をした。当の二人、特に上野は制服を着ていた時と全く変わらず、ひょうひょうと何を考えているのか分からない。そんな高校時代の雰囲気のままそこにいた。違うのは、隣にどう見ても母親ほどの歳の女性を連れている事だった。


 『何やってんだ』聞いたのは上野の方だった。
 『いや…その…ほら…』
 目の前の奇妙な組み合わせに気圧され、敏男は口ごもった。
 『ん~コレ?』
 上野が顎でしゃくった先、その女性の横顔が俯いた。
 『もうバイバイするところだからよ』
 聞いてもいないのにそう答えて、上野は視線一つで女を遠ざける。
 それから、この大した付き合いのなかった元クラスメイトと酒を飲む事になるとは、想定外の事だった。


 敏男は居酒屋にいた。上野が慣れた仕草でビールとツマミを頼む。
 『お、お前…よく来るの?』と敏男。
 『ん~ココは初めてかな。けど、この辺ではよく飲むよ』
 まるで一人言でも言ってる感じで、まして未成年の分際で淡々とグラスにビールを、しかも自分のグラスにだけ注(つ)ぐ上野。そして、乾杯の発声もないままにソレを飲み干す様子を、相変わらず変な奴だと思いながら見つめていた。


 『ああ~旨い、特に“一発”やった後はよう』
 敏男はそう口にした上野を、もう一度変な奴だと思って『お、おい…一発って…さっきの女の人と関係あるのかよ…』
 『ん~当たり前だろ』
 あっさりと言ったその口元に、この男は笑っているんだと気がついた。
 『そんな事より飲めよ。ん?お前…飲めないの』
 敏男は首を振って一気に飲み干してみせた。が、酒の経験は大してなかった。だから、酔いが回るのは当然の事だった。


 いつしか敏男は饒舌になっていた。
 『お前、大学に受かってたんだ』
 『ああ、何とか1つ引っ掛かった』
 『そうか…どこでも引っ掛かったなら良かったじゃん』
 『まぁな』
 さほどどうでもいいような口振りに、けど敏男は羨ましそうに眺めてみた。そして改めて、同じくクラスにいて殆ど口を聞かなかったコイツと酒を飲んでいる事が不思議でしょうがなかった。
 『ところでさぁ』
 大学の話題を変えたくて、口に出してみた。
 『…あの女性(ひと)はなんなの』
 『ん~アレ?さっきの?』
 『…うん』
 『アレは…俺らの同級生の母ちゃんだよ』
 『ええっ!!』
 『と言うのは半分冗談だけどよ。…でもアイツ、俺らと同じ歳の子供がいるんだぜ』
 『…………』
 酔いが一瞬のうちに覚めていく感覚を覚えながら、敏男はそのまん丸な目で相手の目を見つめた。


 『・・・・・・・』
 『なんだ大久保、あの女、気に入ったのかよ』
 上野が何気といった感じで聞いてくる。
 『あれ~お前ひょっとして…童貞?』
 今度は面白げに聞いてきた。
 あ、当たり前だろ、と心の中で答えて、そして頷いた・・ぎこちなくだ。


 『そうかよ。それなら…ん~どうしようかな』
 『・・・・・・・』
 『チョッと待っとけや』
 そう言って上野はスマホを取り出し、チャチャっと操作しながら店の外へと出ていってしまう。敏男は、何を考えてるんだアイツはと…ただ思考はそれ以上の事は思い付かなかったが…。


 店の裏通りに出て、そこから何処をどう歩いたか、10分ほど歩いたそこには、薄汚れたビルがあった。敏男は上野に誘われるまま、店を後にしていた。
 上野に対する好奇心は酔いが覚めるにつれて、警戒心へと変わっていた。同じ歳とはいえ同じ歳とは思えないその雰囲気は、不気味という言葉に置き換えられていた。
 『お…おい、なんだよココは』
 『コレか。この中にレンタルルームがあるんだ。俺はプレイルームって呼んでるんだけどな』
 『レンタルルーム?…で、何でこんな所に』
 『まぁいいじゃないか、俺のおごりだから気にするな』
 『バ、バカ。そういう事じゃないだろ…』
『ん~あまり深く考えるな。1時間もすれば、来てよかったって思うんだからよ』
 『だ、だからそうじゃなくて…
 『ん~難しいやつだな。お前が受験に失敗して落ち込んでるみたいだからよ』
 『なっ…う、嘘つけ』
 『ふふ、まぁいいだろ。お前は熟女好きの年増好き・・・だろ?』
 そう言って上野は、敏男の背中を押すように目の前のビルへと入って行ったのだった…。


 その部屋はやけに暑かった。僅か3畳か4畳の部屋は、しっかり暖房が効いている。酔いはすっかり覚めているが、思考は今一でこれから何が起こるか想像すら出来ない。上野は『俺は今日は充分だから、外で待ってるわ』と、そう言ってどこかへ行ってしまっている。不思議と心細さは湧かないのだが、息苦しさが無くなる事はない。
 その時だった。


 いきなりガチャっと音がして『こんばんは』
 入ってきたのは、綺麗な中年の女性だった。
 『あっ』と、強ばりながらその女性(ひと)の顔を見た。ごく普通のワンピースに茶色が軽く混ざった髪。髪型も詳しくないが、どっからどう見ても何処かのお母さんの様に見える。
 『おばさんでごめんなさいね』
 敏男の表情を読み取って、その女性が優しく微笑んだ。微かに見えた八重歯が、チャーミングに見える。
 『あ、あの…一体』
 『うふ、上野さんからよろしく言わてます…』
 『ああ、なんて…』
 『ん?アナタに…うふ、天国を見せてあげてって』
 『……………』
 『アナタ、初めてなんですって。うふふ…オマンコの穴でもお尻の穴でも、どっちでもいいわよ』
 『あっ!…ああ…』
 息を飲んだ瞬間には、目の前に朱(あか)い口唇が近づいていた…。


 その時。
 は!!っと目の端で光が瞬いた。目を向けると例の車がエンジンをかけている。
 敏男は頭を一振りして、店の外へと駆け出した。
 一旦バックした車は、ゆっくり向きを変えている。敏男は助手席に座る早苗を確認して、隣の運転席も見ようとした。けれど、“男”…それだけ認識出来た時には、車は走り出していた…。