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第15話
「優作、体調はどう?明日は、試験だったわね」
金曜日の夕食。
料理皿をテーブルに置きながら、早苗が優しく声を掛ける。
優作は椅子をひきながら「体調は問題ないよ。勉強もそこそこ手応えあるし」と、余裕の表情をみせる。
二人は食事を始め、この日のニュースや早苗がやってる勉強会の事、それと明日の天気の話しをした。
明るさを取り戻している母の口は良く動き、優しげな瞳は楽しそうに瞬いた。
その母親の顔をそっと覗く。
ふと、目じりに小皺なんぞ見つけたりして、やっぱり俺が心配を掛けてるんだなと。
(母さんは幾つになったんだっけ…42…3?)
と、考えた。
優作は直ぐに勉強を頑張ろうと改まって、まずは明日の試験だと、気合いの入った顔を向けてみた。
そのタイミングで「何だか急に暑くなったわねぇ、今日も暑いのかしら」
そう呟いた早苗が、Tシャツの襟をパタパタと風を起こしたその胸元に、優作はドキリとした。
目のやり場に困った優作を横目に、早苗は立ち上がっている。
皿を重ねる母親。豊満な胸が弾んで見える。
食器を運ぶ後ろ姿。優作の目は、揺れる臀部に引き寄せられていく。
不意に昔の記憶が甦ってきた。
『お前の母ちゃんは“肉感的”』と揶揄されたてきた。最初は肉感の意味が分からなかった。それを本当に理解したのは、思春期に入って、女性に淡い興味を持つようになってからか。けれど、その意味が分かった時も悪い気はしなかった。
それは自分の好み?
自分の趣向?
それとも性癖?
何故か昔から好みの女子は、ポッチャリ系だった。
目に映る母の姿。
優作は気付かれないように、唾を飲み込んだ。
土曜日ーー。
「よし!」と、心の中で声が上がった。
さほど重要な試験じゃないと、そんな雰囲気が前からあったが、手応えを感じた時は思わずガッツポーズが出た。最後の試験の終わりのチャイムがなった時だった。
優作は立ち上がり、一つ大きな伸びをした。
校門を出ても何処か浮わついた気持ちがあった。そう言えば、今朝がた敏男から来たメール。
《具合悪いから、今日の試験はパスするわ》
淡泊なその文面を見た時は、しょうがない奴だと思ったが、今は敏男の事など全く頭に浮かばない。
優作がその駅で降りたのは、試験の手応えに久しぶりの褒美を自分に上げようと思ったからだった。
とは言ってもカフェでお茶を飲んで、チョッとした繁華街をプラプラしてから一人カラオケでも・・そんな可愛いものだった。それでも優作にとっては久しぶりの息抜きだった。
「あれ!?」
声に出たのは、居るはずのない男…。見間違えるはずのないその体型。今頃、家で大人しくしてるはずの悪友。優作の視線の先には、大久保敏男の巨漢があったからだった。
(何やってんだアイツは)
優作に背中を見らているとはこれっぽちも知らず、巨体は軽い足取りで人の波に乗って歩きながら、ある居酒屋に向かっていた。
それは誰もが知ってるチェーン店の居酒屋だった。
敏男は店内に入ると、寄って来た店員に待ち合わせである旨を告げて、キョロキョロうろつき始めた。
鼻唄まじりに歩く敏男。けれど、内心は軽い緊張を覚えていた。
「おい、大久保」
その声に敏男は振り向いた。見れば壁際の席から男が呼んでいる。
「おお、上野~」
一瞬にして頬が崩れる、何かに依存しているような声だった。
席に座った敏男は挨拶をそこそこに身を乗り出して。
「お…おい、何か良いアイデアは見つかったかい!」
その言葉に生ビールのジョッキから口を離し「先に何か頼めよ」と、飄々(ひょうひょう)とした相変わらずの声が返って来た。
生ビールをグイグイとやって一息ついて、上野は徐にスマホを手に取った。敏男は枝豆を2、3個口に放り込んで、上野の様子を探る。
「ん、なに見てるん…あ、俺が送ったオバサンの写真!」
「・・・・・・・」
スイスイと動く上野の指先。敏男はその手元を見ながら又一つ枝豆を口に運んだ。
「ん~大久保よぉ、この写真の女(ひと)…本当に渋谷の母ちゃんかよ、間違いないか?」
さほど、どうでもいいような…いや、珍しく落ち着いてる声だと敏男は感じながら頷いた。
「ふ~ん、なるほどねぇ」
「なあ、綺麗だろ。おまけに器量もよくて、優しくて。それに…へへっ、プ、プロポーションもいいんだぜ。お前、知ってる?」
鼻から荒い息を吐きながら、敏男は思い出すように頬を緩めて。
「体育祭とか文化祭があったろ。その時、オバサンが来てて、学年の連中で評判に成ったんだぜ、すんげぇ美人じゃんって」
「ふ~ん、俺とした事が見過ごしてたか」
上野はそう言ったものの、敏男は胸の中で、どうせ保健室かどっかで寝てたんだろうと毒づいてみた。
「で、で、ねぇ…それで何かいいアイデアは浮かんだ?」
「う~ん…この間も聞いたけどよ、まさかお前、金を揺すろうとかそんな気はないよな?」
上野がまたも、どうでも良いような感じで聞いてきた。
「あっ当たり前だろう」
敏男の言葉にふんふんと頷いて、上野がジョッキをテーブルに置いて。
「大久保は、その~なんだ…。要するに…」と酒臭い息を吐きながら顔を近づけてきて。
「渋谷の母ちゃんとオマンコさえ出来りゃ、それだけでいいんだったよな」
「!・・・・・」
改めて、心の奥底の願望をハッキリと指摘されて、敏男は息が止まるほどグキリとした。
少し沈黙があって、「あ、ああっ…」と低い呻きで肯定を示してしまっていた。
「へへへぇ」と目の前で歪んだ上野の口元に、自身の欲望の成功を託した事を一瞬に理解して。
「そ、それで具体的にはどんなやり方で…」
と、絞り出した自分の声は、見事に震えていた。
んんッと上野は嬉しそうに、頬を震わせ怪しい笑みを浮かべた。
「そうだなぁ…面白いと言うか、恐ろしい偶然と言うか…」
「・・・・・・・・」
「ヌケサクって言うお前らの担任だったオッサンも、渋谷の母ちゃんも、実はよおを」
と、上野が身を乗り出した時だった。
その気配に二人の会話は止まり、フッとそこを見上げた。
「ゆ、優作!」
敏男の斜め前に立って、冷たい眼差しを向けているのは、間違いなく親友の渋谷優作だった。
「・・・・・・・」
「あ、おお…ど、どうした…」
沈黙の後に出た敏男の言葉は、確実に震えが混ざっていた。敏男は突発的な遭遇に、助けを求めるように上野を見詰めた。その上野の顔は、なぜか嬉しそうにニヤついている。
敏男の視線の先、優作は初めてそこで上野の存在を認めて。
「ん、上野…?」と呟いた。
続けて「なんで」と優作の唇が動く様子を、敏男は見逃さなかった。
「あ、えっと…そこで偶然に会っちゃってさ」
敏男は同意を求めるように、もう一度上野に視線を投げ掛けた。しかし、優作はその態度に敏男の嘘に感づいた。
「えっと座る?」
バツが悪そうに敏男が言って、尻(けつ)を奥の席へ移動しようとする。
「いや…」と小さく優作の口が断りを示したように見えた…けど。
「久しぶり…座れば」
何処までもどうでもいいような、上野の高揚のない声がした。
敏男は顔をキョロキョロ、二人の間に視線を走らせる。
やがて「ああ…」と頷いて、優作が敏男の横へ身体を滑らせた。
優作は正面の上野に向けて「久しぶり」と声を掛けた。しかし、それ以上の言葉は続かない。
「ええっと、その…なんだ…みんな久しぶりなんだよな」
どちらにでもなく告げた敏男の言葉に、優作は隣を向いて何か言おうとした。
それより先に「ああ…寝てたら元気になっちゃってさ。ははっ」
苦し紛れに吐いた言葉は、優作の口を止めた。
「そうだ」
沈黙に口を挟んだのは上野で、舐めるような目で優作を見つめる。
「渋谷の母ちゃんって美人でモテモテなんだって」
「!?」
いきなりのその言葉に、優作と敏男は同時に息を止めて上野の顔を見返した。
「昔から人気で、凄いプロポーションなんだって」
どこか侮辱された気がして、優作は身を乗り出そうとした…その時。
「肉感的だって大久保から聞いたんよ」
その言葉に怒りの色を乗せた優作の目が、隣の敏男へと向き直した。
「おっ、お前!」
「いっ、いや…」
否定の言葉に、身体中に汗が湧き出る感触を自覚して、敏男は激しく首を振った。けれど…。
その後、上野は適当なタイミングで用事を思い出したと、札の一枚も渡さず店を後にした。
テーブルには冷たい空気が流れこむ。
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「なぁ敏男、あの…上野とそんなに仲良かったのか…そんな事ないよなぁ」
答を自分で打ち消し、同意を求めるように優作が聞いた。
「あっああ…。でも偶然に会って喋ったら面白そうな奴で」
「面白そうって、殆ど喋ってないんだろ」
どうでもいいような優作の言葉だ。
「あいつは現役で何処かに入ったの?」
「ああ…ええっと、◯◯商科大かな」
しばらく考えて「あの◯◯商科か」と優作が呟いた。
敏男は優作のその声の感じが、明かに見下した響きが含まれていると思った。そして、俺も世話になる大学になるかも知れないのに…と心で呟いた。
「優作…あの」
と、今の言葉に抵抗を示そうとしたその時、敏男のスマホが震えた。
「・・・・・・・」
「ん?…鳴ってるぞ、スマホが」
敏男は言葉を飲み込みながら、スマホを開いた。
見れば上野からのメールだ。
《短小包茎、おまけに童貞(たぶん)の渋谷優作君はまだいる?
今日の打ち合わせの続きは、又いつか。
心配するな、悪いようにはしない!
じっくり金とザーメンを溜めとけ》
どういう顔をすれば良いのか、敏男は何気ない仕草をしたつもりでメールを閉じた。
「敏男、あの…アイツは好かん。うん、上野とはあまり付き合うなよ!」
明らかに苛ついた優作の声。敏男は肯定も否定も出来ない、何とも言えない表情で、苦虫を潰した優作の顔を見つめるのだった…。