小説本文



誘いを受けたあとはもんもんとしていたが、その日の夜はなぜか気分が楽だった。
夕飯を食べ終わってくつろぐ夫と自分の部屋に戻る子供達。
いつもの光景だけど、昨日までと比べるとなんだか気持ちが軽い。
憂鬱の原因がなくなったわけではない。
それでももう少し我慢すれば終わりだという気持ちから心なしか楽だった。
でも家族にはなんて言おう。友達と食事って言うしかないかな。
友達と会うのはほとんどお昼だけに言いづらい。
でも・・・。


「ねぇ、今度の金曜飲みにいってきていい?」


思い切って旦那に言ってみた。
夫はは不思議そうな顔をして答えた。


「え?会社の飲み会か何か?珍しいね」


男と2人で飲みに行くなんて言えない。
吹っ切って典子は言った。


「今学生時代の友達が帰ってきてるからみんなで集まるから」


夫は「うん、あんまり飲み過ぎないようにね~」と気さくに言ってくれた。
罪悪感はあまり感じない。
だけどどうでもいいようなことで家族にこんな嘘をつくことがバカバカしく思えた。
これからじわじわと罪悪感が湧いてくるのかもしれない。
でも今は気分を楽にしたかった。
それが問題の解決ではなく、ただの逃げだと心の中ではわかっていた。


金曜日、仕事が終わると一旦家に帰り、夕飯の準備をして、車を置いて近所のバス停から繁華街へと向かった。
夫はまだ帰宅していないが、子供達は家にいる。
男と2人で飲みに行く。
このことを今更ながら重く感じるようになってきた。
罪悪感で気分がひどく落ち込んだ。

前向きとは違うが、仕事のためだ。割り切って。。。
まさかそのまま夜のほうに誘われたりはしないよね。。
今更ながら後悔の念が襲ってくる。
男をよく知らない自分は今危ないことをしているんではないだろうか。
でも飲みに行くだけだ。
それだけだ。
そう自分に言い聞かせていた。
でもいったい何を話せばいいんだろう。
ここでへんなことを言って機嫌を損ねたら全部が無駄になる。
適当にたわいもない話をして済ませよう。


時間10分前に、待ち合わせの駅前についた。
酒井はまだ来ていない。
これだけ人が多いとお互いを探すのも大変だ。
そう思っていたとき、肩を叩かれた。
そこには酒井が仕事終わりにそのままのスーツ姿で立っていた。

そのまま近くの飲み屋に2人で入って行った。
バーにでも連れて行かれるのかと思っていたら、おしゃれな居酒屋だ。
この人はあんまり女性の扱いに慣れてないのかな。
そう思いながら店内の席に座る。

それから1時間弱ほど飲んだ。
典子は酎杯を1杯しか飲んでないが、酒井はビールを4杯は飲んでいる。
お互い会社の話をするだけでプライベートなことはほとんど話さない。
話したことといえば家族構成くらいで、あとはお互いの会社のこと。
酔いが回るにつれて仕事の話ばかりしてくる酒井に飽き飽きしていた。
思っていたよりも恐さを感じず、こんなもんなのかと安心し始めていた。
もうそろそろ帰っていいかな。
8時に店に入って、もう今は9時半だ。
そう思い、そろそろ帰りますね。と言った。





「来週もここで飲もうね」


酒井の酔っぱらった気分のよさそうな声が聞こえた。
予想できなくはなかったが、やっぱり一回でも飲みにきたのが失敗だったのかな。
困った表情をしている典子に酒井は言った。


「接待もできないんじゃ、取り引きやめてもいいんだよ?」


目の前が暗くなってきた、腹が立つを通り越して絶望みたいなものを感じていた。
典子は今にも泣きそうな顔だった。
それから数十秒が経ち、だんだんと苛立ちを感じてきた。
でも今機嫌を損ねたら会社に迷惑がかかる。
会社にそれほど思いいれがあるわけではない。
しかし周りがあれだけ自分に気を使ってくれている。
それなら自分はこの問題を自分で解決しよう。
そう思っていたが、やっぱり無理なのか。
自分の、そして女の無力さを痛感し、悔しさでいっぱいだった。

悔しさや苛立ちで胸がいっぱいで、断ることができなかった。というよりも断る勇気がなかった。

一言、断りの声を出す気力がなかった。

タイトルとURLをコピーしました