小説本文



翌日の月曜、有給を取り、ある場所へ向かった。
そう大きくはないマンションを見上げる。
マンスリーマンションとのことだ。
中に人がいるのかどうかすらわからない。
ただここに来なければ何も進まない。

付き添ってもらっている探偵には十分な証拠を持ってきてもらっている。
もちろんDVDのことは言っていない。
探偵と共にマンションの205号室へ向かう。
角部屋のようだった。
部屋のドアの前に立つ。
もしかしたらここに妻がいるのかもしれない。
そう大きな部屋ではないはずだ。
外観の大きさを見てもワンルームマンションのような感じだろう。


ドアを開こうとドアノブに手を掛ける。
音を立てないようにドアを開け、一気に中に入り込むつもりだった。
インターホンを鳴らす気など無い。
インターホンを押して事情を説明しろだの、宅配便の振りをして中の様子を伺えなどの探偵の助言もあった。
だが何も考えず、ただ中に突入することしか考えていなかった。

ドアノブを動かし手前に引こうとしたとき、中からかすかな声が聞こえてきた。
女の声だ。
まさか、妻か?
耳をすまし、音を聞き入る。
明らかな女性の淫音だった。
自分の心の中に動揺があるのは事実だった。
妻がこの中でDVDのようなことをしている可能性もある。
それでもそれをぶち壊すために自分はここにきたのではないか。
考えるほど動揺が増すばかりなのはわかっていた。
その動揺が大きくなる前にドアを開ける。
音を立てないように手前に引く。
ドアノブを握る自分の手に汗が噴き出しているのがわかる。
ドアが開き、少しずつなかの様子が見えはじめる。
鍵は掛かっていない。
中を見る限りチェーンのようなものもしていない。
中から響く女性の声がはっきりと聞こえる。
10cmほど開けたドアから中を見る。
ワンルームの部屋、バスルームらしき場所、キッチンらしき場所、その奥にドアがあった。
玄関には靴が5足あった。
男ものが3足に女物が2足。
この家の借主の靴が何足かあるはずだ。
中に何人がいるのかはわからない。
ただ男一人と女一人は確実にいるだろう。

自分の心音が自分で聞こえる。
全身が脈打ち、もう前に進むしかない状況だった。
後ろにいる探偵の顔を見る。
探偵は真剣なまなざしで自分を見ている。
事前に、自分が中に入るから探偵は外で待っていてくれとお願いしておいた。
探偵はちゃんとインターホンを鳴らして話をするべきだと言ったが、それは拒否した。
今までの状況がわかっていないやつが何を言っているんだ。
一般的に考えたら探偵がつけた目星というだけで突然ドアを開け、突然中に突入したらどう考えても犯罪だろう。
だが自分にとってはそんなことはどうでもよかった。
考えることによって自分の今の気持ちが削がれる要素、それはすべて遮断した。

探偵の顔を見ながら頷くように今から行くと合図をする。
探偵も覚悟をしたかのように頷き返す。
視線を部屋の中に戻す。
中からは相変わらず女性の声が聞こえている。
妻をあんな風にした男達。
原因は自分にもあるのかもしれない。
だが今はそんなことは考える気は無かった。
すべてあの男達が仕組み、自分の家庭を半ば崩壊状態へと持ち込んだのだ。
ただ平凡な幸せがあったはずの自分の築いてきた家庭。
それを弄ぶように壊しにかかってきている敵。
守るべき娘、息子、そして妻。
自分は今自分の家族3人の為に戦う。
中で何が起きようと、自分がどうなろうと、守るべきものの為に動く。


ドアノブを一気に引き、中へと入る。
玄関にある靴を踏み、土足で上がりこむ。
3mほどの距離、電気がついておらず、窓も無く薄暗い空間のその奥にあるドアに向かって歩く。
まだ玄関のドアは閉まっておらず、ドアの閉まる音もしていない。
音がしないようゆっくりと閉まるタイプのドアだった。
まだ中のやつらも俺の存在には気付いてないだろう。
2秒もかからないほどの時間だっただろう。
奥のドアノブに手を掛ける。
その時ようやく玄関のドアが閉まる音がした。
中の奴らももう誰かが中に入ってきたことは気付いただろう。
それと同時にドアを開ける。

ここを開けたらどんな光景が待っているのかわからない。
少なくとも女の淫らな声が聞こえていることから想像はつく。
もちろん中で何を話すかなんて何も考えていない。
ただ勢いで中に突入するだけだった。
開くドアがスローモーションのように感じる。
中は外光が差し込んでいるらしく、その光が薄暗い玄関の方を照らし出す。
まるで自分を照らし出すかのように。
覚悟は決まってる。

ドアを開け放ち中からの光がすべて自分へと引き付けられているような感覚がした。
全てが1秒もしない間のことだった。
それでもコマ送りのように鮮明に覚えている。
そしてその光の中、部屋の奥にある大きな窓が目に入る。
その視界の両端に人の気配を感じる。
右側は人間の肌の色が大きく見える。
おそらくベッドの上だろう。
視線を右下に移す。
妻だったら・・・妻だったらどうしよう。
左側に一人、ベッドの上に2人。
少なくとも3人はいる。
いや、ベッドの横、部屋の角にあたる場所にも一人座っているいるようだった。
4人。
妻ではないことを祈りながらベッドの上を見る。
男の背中が大きく見えた。
その下に女性がいるらしい。
女性の足が男の腰の辺りから見える。
視線を頭の方へ移す。
首から顎、唇、鼻・・・目・・・そして顔全体がはっきりと自分の目に映し出された。
心臓がはち切れそうだった。
他のものは何も目に入っていない。
他の3人よりも、その女性が妻なのかそうでないか。
それだけを確かめるべく、女性の顔を見た。
自分の頭の中で何度もその女性と、自分の知っている妻を重ね合わせる。
自分の妻が他の男と重なっているところなんて見たくはない。
そういうことが好きな男性もいるのは知っている。
だが自分の人生まで壊されかねない現状では、ただそれが妻ではないことを確かめるのが怖く、気が遠くなりそうな感覚だった。



男の下になっていた女性・・・それは妻ではなかった。
見たこともない女性。
妻なのかそうではないのかということだけにしか頭を使いきれていなかっただけに、妻ではない安堵よりも自分が何をしているのか分からなくなりそうだった。
妻ではない。
じゃあこの女性は・・・DVDに出てた他の女性?
その女性はようやく自分の存在に気付き、こっちを見ている。
その上を見ると男が驚いた顔で自分を見ていた。
窓の左側に立っていた男性もこっちを見ていた。
黒っぽいスーツを着ている男性。
ベッドで絡み合っている全裸の男女。
そして思い出したようにベッド側の部屋の角に座っている人を見る。
思わず声が出た。


「は・・・赤坂さん・・・」








妻の居場所らしきところがわかったという報告が探偵からあったのが昨日だった。
「どうやら奥さんの会社の社長名義で借りられているマンションが候補としてあがってます。」
それから今朝探偵に会い、直接根拠を見せてもらった。
写真で確認する限り、その部屋に届けられた郵便物の名義と、妻の会社社長の名義が同じだった。
そこに出入りする人の写真も見た。
そこに写っている女性、それが赤坂だった。



妻のDVDでの俺へのメッセージ、その中で妻は言った。

「探偵にも言ってるみたいだけどもうやめてください」

それを聞いた当初はその映像から受ける衝撃で何も考えられなかった。
妻が男に跨りながらDVDを通して俺への決別のメッセージを残している。
気が狂いそうなほどの衝撃、そして嫉妬、言葉に表すことのできないほどの感情が入り混じり、目の前が真っ暗に見えた。
そして妻からのメッセージが何度も頭の中を駆け巡った。
そして一つの疑問が浮かんだ。
なぜ妻は俺が探偵に依頼をしていることを知ってるんだ?
妻に男達が言わせてるとして、なぜ男達は探偵のことを知ってるんだ?
その疑問の答えを考える中、一つの糸のようなものが見え始めた。

探偵のことなど誰にも言っていない。
もちろん、こんなことを相談できる人などいない。
そして探偵の話を思い出した。

「一週間調査させていただきまして、同僚の方2人にもお話を伺ったのですが、奥さんは会社にも来ていないとのことで、居場所はわかりませんでした。」

同僚の方2人。
ということは、同僚2人は少なくとも妻のことで何かを聞かれたことは確かだ。
探偵に詳しい話を聞くと、自分が探偵だとを名乗ったわけではないから自分が探偵だとは気付かれていない、そして典子の直接的な関係がある人への聴取はその2人だけだとの話。
同僚2人がそれで探偵だと気付いたのかどうかは定かではないが、男達に探偵のことが知られているとしたらそこしかない。
そして同僚2人が聞かれたことを社内で誰かに話したとしたら、会社の人間は知っていることになる。

そして探偵に相談した。
これからは妻の会社の人間を張ってほしい。
今できる唯一の可能性はそこにしかなかった。
そしてその時点で自分ができる最大限のこと。
男達の警戒を解くために、探偵は今週いっぱいで止めるとの情報を赤坂に話した。
それで油断したのか、元々探偵に知られるのを警戒していなかったのかわからないが、すぐに繋がりがわかった。
会社から出てきた一人の女性が行った場所がそのマンスリーマンションだった。
そして同じマンションの住人の話によるとそのマンションから妻らしき女性が出てきたところを見たとのこと。
何も知らない住人の話がどれだけ信用できるかはわからない。
だがそこに何かがあることはわかった。
その報告があったのは昨日の夜だった。