小説本文



高田典子が働いているのは教材販売会社、今年で39歳になる典子、下の子が中学生に上がった3年前から正社員として働いている。
女子社員は典子と事務員を含めて2人だけた。
社員数人の小さな会社だがアットホームな雰囲気で典子はそんな環境が気に入っていた。
その日がすべての始まりだった。
会社のインターホンが鳴る。
取引先の担当者、酒井だ。
3時からの商談に来たのだが、まだ商談担当の社員が出先から帰ってきていない。


「もうすぐ戻りますのでお待ちください」


事情を説明して、待ってもらった。


「高田さん、ちょっと痩せたね」


酒井が話しかけてきた。
典子がこの会社に入ったときからずっと同じ担当者であり、学校経営する法人、酒井自身はそこに所属している。
社員全員と顔見知りで話をする関係ではあるが、社員はみんなこの男には気を使って接するようにしている。
性格的にも短期で子供のような性格であり、すぐに機嫌をそこねるからだ。
しかし典子も女だ、痩せたと言われればそれは嬉しかった。
「そうですか?痩せたかな?」
気恥ずかしさを隠したいがどうしても顔に出てしまう。
酒井は恥ずかしがり屋の典子を微笑ましい視線で見ていた。


「高田さん、もしよかったら今度お酒でも飲みに行きません?」


典子は困惑した。
2人で飲みに行くってことだろうか、どういう意図でそんなことを言っているのだろう。


「じゃあ、週末にでもみんなで・・・」


典子が答えると、その言葉を遮るように酒井が言った。


「2人で飲みにいきません?」


典子は自分の体温が上がっていくのがわかった。
恥ずかしい。
2人でなんて飲みにいけるわけがない。
そもそも結婚して子供もいる私と2人で飲みになんて、常識のないこと言われても困る・・・。
典子は返答に困っていた。
しかし返事をしないわけにはいかない。
はっきり言わなければ・・・。


「ごめんなさい、2人はちょっと。。。」


典子は恥ずかしそうにそう返した。
しかし酒井はまだしつこく言い寄ってきた。


「別に変な意味じゃなくて、仕事の話もあるし、ただ高田さんと飲みに行きたいと思って」


もうそんなこと言わないで欲しい、そう思いながら典子はもう一度言った。


「ごめんなさい」


気まずい雰囲気が漂うなか、ドアが開き担当社員が帰ってきた。
よかった。なんで私なんかを誘うんだろう。
酒井は何もなかったかのように社員と話をはじめた。


夜、典子はぐったり疲れていた。
うぶな典子には大らかにやり過ごすことはできず、精神的な疲れがきていた。
旦那に相談できることでもなく、何事もなかったかのように過ごしていた。
人から誘われることに全くトキメキを感じないわけではない。
ただ酒井のような子供染みた性格の人間は典子のもっとも苦手とするタイプだった。
何より家族がいるのに仕事先の関係者とはいえ男と2人で飲みに行くなんて考えられなかった。
学生時代から男友達のいない典子にとっては男は苦手な存在でもあり、どう接していいかわからない部分もある。
恋愛も旦那と、学生時代に付き合った彼の2人だけで、奥手な典子だった。
女子高出身だから男友達がいないと思っていたが、大人になってもいまいち付き合い方がわからない。
でも今は幸せだ。2人の子供に恵まれ、子供達の成長を楽しみにしている。


次の日、典子は会社で上司に呼び出された。
そしてショックを受けた。
担当の酒井から電話があり、典子に恥をかかされたとクレームを付けてきたらしい。
事情を説明すると上司はわかってくれたが、問題はそれだけでは終わらないらしい。
上司は今の大きなプロジェクトを頓挫させるわけにはいかないと相手先に出向き謝罪に行ってくれた。
なぜこっちが謝らなければ・・・。
そう思いながらもそれが社会の理不尽さだと典子は我慢した。

酒井の気分を損ねるだけで会社に損害が出る。
まだ具体的に何かを言われたわけではないが、ねちねちと嫌がらせをしてくる人物だけにみんなで気を使ってやってきている取引先だ。

なんで誘いを断っただけで・・・。
今にも泣きそうな典子だったが、上司も他の社員も典子をかばってくれた。
みんなわかってくれている。慰めてくれる。
しかし、それだけに典子は罪悪感を感じてしまう。
今度来たときに謝ろう。

もう少しうまく断ればよかったのかな。でもどうやって。
飲みに行くくらいなら行くのが普通なのかな。。。
明日も商談で酒井が来る。この憂鬱な時間が早く過ぎ去って欲しい。
ただそれだけを考えた。他には何も考えたくなかった。
もくもくと仕事をすることでやりきれない思いを押し殺した。


次の日、担当の酒井が来た。
会社絡みのことだから一応謝っておかないと。。。
商談が終わり、帰り際に典子から言葉をかけようとしたが、逆に酒井に呼び出された。


「高田さん、ちょっといい?」


呼び出され、会社の玄関口で話をした。


「一回だけでいいから飲みにいけないかな?」


謝ってくれるのかもとほんの少し期待していただけにショックだった。
こんな状況で断るなんていえない。。。
なぜ断ってるのに誘ってくるのだろう。
あっちもやけになってるのかもしれない。
でもここで断ったら・・・飲みに行くだけなら。。。


「あの、この間はすみませんでした。飲みに行くだけなら」



典子は憂鬱な気分から抜け出したい一心で誘いを受けた。
一回飲みに付き合うだけで終わるのなら・・・。
待ち合わせ場所と時間を一方的に言い、酒井は帰っていった。
一言、「会社の人には内緒でね!」そう言い残して。