小説本文



「ねえ、大丈夫?」


声が聞こえる。
妻の声だ。
俺に声をかけてくれているのか。
俺を心配してくれているのか。
辛いことの連続で心が折れかけている俺に安らぎを与えてくれる声。
俺は妻を俺の人生の付属品のように考えていた気がする。
妻は俺のパートナーだから俺だけに尽くしてくれる。
でもそうではなかったという現実を突きつけられ、俺は動転している。
そんな中俺を気遣ってくれる妻の声に安らぎを感じる。


体を揺すられ意識が戻り始める。
でも体は動かない。
感覚もない。
目も開かない。
俺はまだ意識を失っているのか。
目が覚めることを拒否しているのか。
夢なのか現実なのか区別が付かない。
出口のないこの夢の中をずっとループし続けるしかないのか。


リビングに倒れ、意識を失っている俺。
そしてその状況を利用するかのように台所で妻を犯す男達。
旦那である俺がいるにも関わらず喘ぎ声をあげ、ただ快楽にのに身を委ねる妻。
妻は俺を気遣ってくれていたのでは・・・?
それが俺の意識の中で見た幻想だったことに気づく。
俺の希望する幻想。
DVDを見て何が起こっているか覚悟はできていたはずだ。
ただの浮気ではなく、どんどんエスカレートしているものとはわかっていた。
しかし今、目の前に現れた現実は想像を遥かに超えていた。
妻はもう俺の知っている妻ではないのか。
何をすればいいのかわからない。
いや、何からすべきなのかを考えることができない。
混乱?知ることへの恐怖?現実を見つめることから逃げている?
頭の回転を俺自身が拒否していた。
手足も動かない。
男達は俺がそこにいないかのように妻を弄ぶ。
何もできずにただ見ているだけ。
まるで俺の意識だけがそこにあるかのように。


妻がいつも俺や子供達に料理を作っていたその場所で、システムキッチンに手を付き、後ろから男に犯されている。
それを舐め回すかのように撮影する男。
そこで料理を作り、テーブルで家族4人で食事をしていた頃。
それが果てしなく遠い昔のことのように感じられた。
今、妻はその場所で男達に犯されている。
何もできない俺をあざ笑っているのだろうか。
妻の胸を揉みしだきながら腰を動かす男。
男の荒々しい息遣いが聞こえてくる。
旦那と住んでいる家で人妻を犯すこと、そしてそれを撮影していることに興奮しているのか。
その息遣いをかき消すように喘ぎ声をあげる妻・・・。
そこに倒れている俺は完全な傍観者。
ただそこにある家具と同じ存在。
俺の家のはずなのに・・・。
このまま・・・ずっとこのまま目を覚ましたくない。
俺はそこまで強い人間じゃない。
どんどん意識がマイナスな思考に囚われる。
消えそうになる意識を呼び戻すかのように大きくなる妻の喘ぎ声。
俺以外の男にあんな風に・・・。
妻は何を思っているのだろうか。
俺を見ているのか。
俺の存在をしっているのか。
今どんな表情でどこを見ているのか。
どれくらいの時間こんなことをしているんだろう。
子供達はまだ帰ってないのかな。
子供達は・・・。
今帰ってきたら子供達は・・・。






意識が戻り始めるのがわかった。
何も聞こえない。
目を開けると探偵が俺を揺すっている。
何が起きたんだ?
今のは夢か?
一抹の期待を感じながらも、探偵がいるこの家を見渡すとそんな期待も打ちひしがれる。
やっぱり現実か。。。


「大丈夫ですか?」


探偵の声がはっきり聞こえる。
どうやらソファに寝せられていたらしい。


「俺、気を失っていたのか?」


だんだんと意識がはっきりしてきた。


「ええ、男達に殴られて・・・。1,2分ほどですが。救急車を呼ぼうかと考えていたところですよ。」


「そうか、やつらは?」


「今去っていきました。」


「妻は?」


探偵の顔を見る。
探偵は俺の目を見て、テーブルのほうを指さした。
探偵の指す先を見る。
テーブルの横に妻が立っていた。



まだ重い頭を振り払うかのように立ち上がり、妻の方を向く。
出て行った男たちに対する怒りや理不尽さを感じ憤る自分。
それを抑えるように妻に問う。


「どういうことだ。」


これを言うのが精一杯だった。
怒ればいいのか悲しめばいいのかわからない。
客観的に見て怒るところなのだろう。
しかし今起きているこの非現実的なことに頭が慣れない。


「ごめんなさい。」


妻が口を開く。


「浮気してたのか?いや、浮気どころの話じゃない。お前AV会社で働いてたのか?AV女優として。」


この言葉を口に出すことが凄く躊躇われた。
あの男たちの言ったことが本当なのかどうなのかわからない。
言葉に出し妻の返事を聞くことで、もう戻れないところにいってしまうような気がした。
もう今の混乱から抜け出したい。
それが一番の本音だった。
だからこそ妻の口から聞きたくない。
だがもう逃げ場は無い。
そう自分に言い聞かせる。


「あの人達の言うことは・・・」


妻が自分で言葉に出すのを恐れているのがわかった。
口を動かし、なんどもしゃべろうとするが言葉が出てこない。
耐え難い沈黙だった。
しかし必要な沈黙・・・。
迷いながら、目線を部屋の隅に移したり俺を見たりと覚悟が決まらない妻だった。
その迷いがその空間の空気を更に重くしていく。
妻は意を決した様子で俺の目を見た。。


「事実です。」


妻は認めた。
目に涙を一杯に溜め、今にも零れ落ちそうな状態で。
何で泣くんだ。
怒りが襲ってくると思っていた俺の中には喪失感しかなかった。
なぜ怒れない。
怒らなきゃ、妻を大切に思ってるのなら怒らなきゃ。
もう妻への感情は怒りすら通り越しているのだろうか。


妻は涙声で言う。


「謝るしかないです。私みたいな人間にあなたと話をする資格も何もありません。」


敬語でそう話す妻。
どんどん妻との関係が開いていく気がした。
妻は脅されていたのかもしれない、何か弱みを握られていたのかもしれない。
しかし今、そういう擁護の気持ちが湧かない。
冷静なのか気力がないのかわからない、ただ淡々と聞いた。


「資格とかどうでもいい。すべてをお前の言葉で話してくれ。なぜAVなんかに出た。金か?」


「お金じゃないです。」


相変わらず泣きながら話す妻。


「お金じゃないのなら何だ。弱みでも握られたのか、ただの浮気か?」


だんだんと今話していることが現実だということに慣れ始めたのか、頭が回るようになってきた。


「違う。。。浮気なんかじゃ・・・あなたや子供達を大切に思ってたのに・・ぃ・・」


どんどん感情が溢れ出す妻。


「取りあえず落ち着け。椅子に座れ。」


そう言って妻を座らせる。
俺もテーブルを挟んで逆側の椅子に座る。
探偵にはソファーに座ってもらった。


まずは落ち着くまで待たなければならない。
それから5分ほど、妻が泣きやむまで待っていた。


落ち着いた妻は話し始めた。


「何を言っても私のやったことの言い訳にしかならないし謝る以外何もできないです。でも・・・」


妻の話を遮るように言った。


「それはもうわかったから事の成り行きを詳しく教えてくれ。言い訳でも何でもいいからお前の思うとおりに話してくれ。なぜこうなった?」


妻自ら選んだことなのか無理やりこんな状態になったのかはわからない。
ただ今は妻の立場になって聞くしかなかった。
妻は答え始める。


「AVに出たつもりも浮気したつもりもない。前の会社にいる時に取引先の人に飲みに誘われて・・・断ったんだけど・・・しつこく誘われて・・・。」


飲みに誘われた?さっきの男達が言っていたSという男か?


「その取引先の男との飲みにいったのが始まりか?」


「はい、その取引先の担当者が横暴な人で、私が断るたびに機嫌損ねて、、会社の取引にまで関係して競うになって・・・。」


「それで?」


「飲みに行くのを断ったくらいで取引に影響したら私にも責任が出てきちゃうと思って怖くて・・・あなたにとっては全部言い訳に聞こえるだろうけど、私・・怖くて・・・。」


「だから言い訳でもいいからすべてありのままに話せ!その担当者はお前が結婚してるのは知らなかったのか?なぜそんな非常識な誘いにのったんだ!」


「ごめんなさい、、その人も結婚してるのは知ってたよ。。それでも誘われて、もうどうしようもなくて・・・飲みに行ったの。」


「そこで大人の関係になったということか?」


「1回飲みに行くだけだって言われたからついていったんだけど、その後も何回も誘われて数回のみに行ったの。そして・・そういう関係になった。」


そういう関係。俺の前で他の男と関係したと改めて口に出されるとショックを受けると思っていた。
しかし何も感じなかった。
ただ脱力するだけ。
既にDVDを見ているからだろうか。


「はー・・・それで不倫関係になったということか。」


「違う。お酒も飲まされて酔った状態で・・・私だってあんな人とは・・・」


再び妻の目から涙が溢れる。
妻はそのまま話し続ける。


「でもどんどん私のやっていることが会社やあなたにばれるのが怖くて言いなりになるしかなくて・・・会うようになった。」


Sという男の卑屈なやり方に怒りを感じる。
弱みに付け込んで脅しているのと同じじゃないか。
それでも冷静を装って聞く。


「そしてその男がAV会社にお前を紹介したということか?」


「私だってAV会社だって認識はなかった。ただ、もう戻れないところまで行ってしまって。」


認識はなかった?
どういうことだ。
妻がそのまま話始める。


「さっきの男の人を連れてこられて、関係させられた。それまで撮られてた写真や映像をネタに脅迫されて、もう会うしかなくて。」


「そしてそのまま撮影してたってことか?」


「撮影だなんて。。。売られてるなんて知らなかった。さっき初めて聞いたの。」


「お前車の中にあったDVD見たよ。あんな感じで撮影させられてるのに知らなかったと言えるのか?」


「ごめんなさい。でも本当に知らなくて、今の会社に転職したのだってさっきの男達に言われて。。それでも事務の仕事してるの。だからAV女優なんかじゃない!」


妻に驚きの反応はなかった。やっぱり俺がDVDを見ていることは知らされているのか。
それに事務の仕事をしている?
ますます混乱が深まり始める。
たった数分の話では理解できないほど根深く行き渡ったものなのだろうか。


「そもそもなんで転職までする必要があるんだ!」


「怖くて・・・」


妻は完全に泣いていた。
会社を移れと言われたのか?
話だけを聞くと妻は完全な被害者じゃないのか?
こんなにボロボロに泣くほど辛い思いをしてきたんじゃないのか?



「なぜ言わなかった!」


「言えないわよ!あなただってDVDを見たんでしょう?あんな状態の私を見て誰が私を庇ってくれるの・・・誰にも相談する事もできない。。何もできないじゃない・・・」


感情を表に出し始める妻。
今まで我慢していたものが一気に噴出したかのようだった。
警察が相手にしてくれるかそうでないかの話じゃない。
証拠云々の話じゃない。
男達のやっていることは犯罪だ。


「今から警察に連絡する」


俺は妻に言った。
すると予想外の返事が返ってきた。


「やめて!これ以上傷つきたくない。。。」


まだ男達を庇っているのか?


「犯罪に巻き込まれておいて警察に言わないってどういうことだ!」


「警察に言ったら・・・私どうすれば・・・」


DVDを見られることを心配しているのだろうか。
確かにあのDVDは証拠品になるかもしれない。
しかし妻がDVDの存在を認めなければ何も意味を持たない。
それ以外に証拠なんて無い。
妻がDVDを認め、その上で証拠として出すしかない。
しばらくの沈黙の後、探偵が口を開いた。
2人っきりの話でそこに探偵がいることを忘れていた自分に気づく。


「あの、奥さんの気持ちもわかります。
職業柄いろんな人と話をする機会があるのですが、特にレイプ被害者なんかは警察に言わずに泣き寝入るする女性も多いようです。
それは警察に話をすることでレイプされたという現実を認めることになる、また事情聴取ですべてを話さなければならないなど女性にとってはとても敷居の高いものだからだそうです。
奥さんもそれと同じ風に考えてもいいのではないでしょうか?
もちろん奥さんの意思でやっていたのではないとわかった今、やつらのやっていたことは犯罪なのでそのままにしておけるわけがありません。
しかし今一番に考えるべきは奥さんのことじゃないですか?」


探偵は妻を心配してくれていたのだろう。
しかしその言葉が俺にとっては男達を庇う言葉にしか聞こえなかった。


「じゃあこのまま何も無かったことにしろっていうのか?お前はやつらの味方か!」


荒い口調で探偵に吐き捨てるように言う。


「そういうことではないんです。 それで傷つくのは奥さんですよ。それに男達の言っていたようにまず奥さんが被害者だということを訴えなければどうしようもありません。」


何もできないこの状態にイライラが募る。


「今からお前の会社に行く。男達と話をつける。もう2度とお前に接触させない。そしてお前の映像を渡してもらう。」


妻は俯いたまま口を開く。


「あの人たちは会社にはいない。あの会社の社員じゃないの。会社は普通の映像製作会社。社長が仲間内で個人的にやってるだけだから他の社員も何も知らない。」


社員じゃない?
どういうことだ?
社長の個人的趣味で妻が遊ばれていたということか?
でも男達はビジネスだと言っていた。
下っ端には何も知らせずにやっていたということか!
とにかく男達と話をしなければ何も始まらない。


「じゃあ電話をかけろ!」


妻はしばらく俺の目を見たまま動かなかった。 電話をしたくないということなのだろうか。 それが男たちへの気持ちなのか俺への躊躇いなのかわからない。 俺はそのまま何も言わずに妻の目を見続けた。 30秒ほどだろうか固まった時間が終わり、妻は携帯を手にし、電話をかけ始めた。
妻を許せるのかそうでないかを考える余裕は無かった。
ただ男たちと妻の関係を切ること。
できるかできないかではなく行動し続けるしかなかった。

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