小説本文



 「フーッ」
 ブザーに反応が無い事は、ある程度覚悟していた事だったが・・・。


 「さて・・」
 高志は屋敷の前から離れ、神社の側へと回った。
 何十段の階段にめげる事無く境内にたどり着き、屋敷の2階のバルコニー辺りを注視してみた。
 その大きな窓の部屋側には、この日は一寸の光を遮断するかのようにカーテンが引かれている。


 「またか」
 そんな言葉が口に付き、しばらく屋敷を眺めてはいたが、すぐに階段を降りる事にした。
 夏美は堂島泰三の手伝いは屋敷か研究室でだと言っていたが、その“手伝い”も今となってはどこか怪しい気がしている。
 高志は大学へ向かってみる事にした。


 教務課に顔を出し事務員と話してみたが、今 どこの教室で何が行われているか、誰が使用しているのか・・・留守番の事務員は把握していなかった。
 まして、理事長自らの“仕事”であれば尚更かも知れない。


 「そうですか、じゃあ一応校舎の中を歩かせて頂きます」
 「ええ、それはご自由にどうぞ」
 事務員の言葉が終わる前に高志は、歩き出していた。


 夏休みで静かな校舎の教室を一つ一つ見て回ってみたが、結局 それらしい姿を見つける事は出来なかった。
 堂島の研究室も見つける事が出来たが、そこも鍵が掛けられていた。
 歩きながら汗を拭い、時折 思い出したように携帯を見るが、着信は一つもない。
 又、こちらからの発信も繋がる事は無かった。


 高志は当着した日に夏美と待ち合わせたあの中庭へと出て、その時と同じベンチに腰を下ろした。
 あの時は斜め前のベンチには、弥生と新一が座っていた・・・のだが。
 (新一君は大丈夫かな?)
 ふと、新一の顔が浮かんだが、すぐに妻の顔に消されていく。

 
 高志は又、吹き出る汗を拭った。
 (ひょっとしたら・・・・・)
 案外夜になると、夏美は何気に帰ってくるのじゃないか?そして説明、いや、懺悔があるのではないか?
 そんな安易な考えが浮かんでしまうのもこの暑さが原因か。
 高志は一度頭を大きく振って、立ち上がった。


 「くそっ」
 と、叫ぶと同時に、頭の奥に“ピリッ”とした痛みを感じた・・が又歩き出した。
 昔から“待つ”のが苦手だった。
 考えるよりは、まず行動だった。
 だから又歩き出した・・次は夏美の部屋だ。
 ひょっとしたら部屋に帰っているかも・・・そんな淡い期待を持ちながらも、部屋の様子は昨晩から何も変わらない。
 水を一口飲んで、高志は出発した。
 次は又屋敷だ。


 屋敷の様子も又、何一つ変わらなかった。
 気が付けば、辺り一帯に夕暮れが近付いている。
 再び神社の境内に向かって階段を上っている時だった。
 (なんか・・やばいな・・・・)
 咽喉が渇き、頭痛、軽い吐き気・・・・階段を上りきった時には眩暈(めまい)までがしていた。
 日陰のベンチを探し、そこに倒れこむように座ると首から背中にかけて不快な汗が流れおちた。
 

 その時だった。
 胸ポケットに入れていた携帯電話が震え出した。
 微かな悪寒が指先に伝わったが、その指で電話を開いてみた。
 

 『もしもしオジサマ?』
 「ああ・・弥生ちゃんか」
 『・・・・オジサマ大丈夫ですか・・・・元気がないみたいですけど・・・』
 「ああ・・ちょっと疲れて・・・」
 『大丈夫? 熱中症?』
 「い いや、大丈夫だから・・・・それより新一君の事かい?」
 『はいそうなんです。さっき新一が目を覚まして、昨夜の事を教えてくれたんです』
 「そうか・・・それで・・・・」
 『はい。新一を殴った相手ですが・・・沖田って言う理事長のお屋敷に住んでいる人なんです』
 「何だって!」
 高志の頭の中にもう一度“ピリッ”とした痛みが走り抜けた。


『でも・・・・』
 弥生の声が一瞬沈んだ。


 『先に手を出したのは新一の方らしいんです』
 「え…どういう事・・・弥生ちゃん」


 『夕べ、川の土手の近くで“いざこざ”があったみたいで、新一が先に沖田さんを殴ったみたいです』
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 『それで、沖田さんは一方的に殴られていたらしいのですが、最後に一発ドカンと・・・』
 「・・最後にカウンターパンチでももらったのか・・・」


 『はい。それで土手の上から下に転げ落ちて・・・・その時、石に頭や首をぶつけて・・・・』
 「ムチ打ちか・・でも、なぜ新一君が暴力を・・・・」


 『そうなんです、そこなんです。・・・・・・でも、その理由については何も話してくれないんです。何回も聞いたんですけど“そのところ”は黙ったままで』
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 『・・・・・・・・・・・・・』
 「・・・・・・・・・・・・・」


 『・・・・オジサマ聞こえてますか?』
 「・・・・あっ ああ 聞いてる」
 高志の瞼(まぶた)が重くなっていた。
 暑さと疲労から軽い脱水症状を起こしていたのだ。


 『オジサマ・・・アタシ これから御屋敷に行って沖田さんに会ってみようと思うの・・・それで新一と殴り合いになった理由を・・・』
 弥生の声は、遠くから聞こえるようだった。
 (屋敷は・・・・・・)
 ・・・・その声は言葉にならなかった。
 高志の身体はゆっくり崩れ落ちていった・・・・・・。




 

 弥生は病院を出て、タクシーで大学の方角へと向かっていた。
 今朝、新一と電話で話し、そして土手の所まで自転車を飛ばしたのだった。
 土手から救急車を呼び、それに乗って病院へ向かった。
 どちらにしても、土手に置きっぱなしになった自転車を取りに行かなければならなかったのだが。


 弥生は土手に着くと自転車に乗り、堂島泰三の屋敷へと向かった。
 沖田という男がこの屋敷で堂島泰三の世話をしている事は知っていた。
 その風貌から堂島の“用心棒”  “ボディガード” と学生の間で話をする事もあった。
 そんなゴリラの様な男に、どちらかというとあの大人しそうな新一が先に手を出したという事は、よっぽどの事があったのに違いない。
 聞いて教えてくれる保証はなかったが、弥生は聞かずにはいられなかった。


 屋敷の玄関の前に立つと、弥生は勇気を出してブザーを押してみた。
 しかし・・・数回の試みにも反応はない。
 又 今度の機会に・・・・そんな考えがよぎり、歩き出した弥生の後ろで、大きな門の横の勝手口の扉がスッと開き、中から“その人物”が姿を現した。
 その影が音もなく弥生に近づくと、その背中に・・・・・・。