小説本文



何十段という石段を登り切って、高志は流れ落ちる汗を拭(ぬぐ)うとグーッと大きく伸びをした。
 目の前には見事な絶景が広がっていた。
 遠くの山々と町の景色をしばらく見下ろして、古ぼけた石のベンチに腰を下ろした。
 汗の掻いた身体は爽快なはずだが、心には“シコリ”があった。
 先ほどまでの大山の話が絡み、イヤでも妻の事を考えずにはいられなかった。

 
 『~何て言えばいいんでしょうか・・・・とにかく違うんですよ・・・“クセ”というか・・・』
 大山が言った言葉に、昨晩の妻の肢体が思い浮かんだ。
 今まで夏美が行為の最中に、高志の背中に爪をたてた事など一度もなかった。
 それに首筋に噛みつくような口付け・・・。そして膣の中のあの感触。
 その後の悲しげな『御免なさい』・・・あの響きは。


 「そして今朝のタバコか・・・」
 ポツリと言葉がこぼれ落ちた。


 その時。
 「こんにちは」
 不意の声に飛び上がりながら振り向いた。


 「あれ!? 君は・・・」
 「夏川です…夏川弥生です」


 白いポロシャツに紺色のジーンズ、そしてスニーカー。
 昨日とは違う格好で夏川弥生が立っていた。


 「どうしたんですか? こんな所で」
 「い いや、この神社が有名らしくて・・」


 高志の言葉に弥生がクスッと笑い。
 「そう言えばこの神社って、有名らしいですね」
 落ちついた声に、高志は改めて目の前の女子学生を美人だと思った。


 「・・・ところで弥生ちゃんは、どうしてここに?」
 「へへ、私 イヤな事や悩み事があると、よくここに来るんです。ここからの景色が好きなんですよ」
 そう言って弥生も伸びをした。


 「悩みって?」
 高志の問いに、弥生は黙ったまま石のベンチに腰をおろす。


 「ひょっとして昨日、一緒にいた彼氏の事かい? たしか太田新一君」
 「フルネームも聞いたんですね、夏美先生に」


 「あ・・うん」
 頷きながら高志も、弥生の隣に腰を下ろした。


 「オジサマ、夏美先生をしっかり“見張って”て下さいね」
 弥生が横目で悪戯っぽく高志を見つめてきた。


 「オ オジサマって・・・・それに“見張る”ってどういう意味だい?」
 「ん・・夏美先生ってほら、美人でしょ。だから男子学生に結構人気があるから」


 「人気があるったってもう35のオバサンだぜ。学生とは一回り以上も歳が離れてるんだよ」
 「でも最近の男の子は“草食系”だから、大人の女性に憧れるんですよ」


 やはり弥生は、彼氏が夏美に夢中に成らないか、あるいは成っていないかを心配しているのだ。
 高志は小さく頷いて。
 「大丈夫だよ夏美は。もしも新一君が言い寄ってきたとしても、年下には興味はないよ。それに何より人妻だからね」
 「・・・・・・・・・・・」
 高志の言葉にも、弥生は納得のいかない表情(かお)だ。

 
 「オジサマは夏美先生と会うのは半年ぶりぐらいなんでしょ?」
 「ああ そうだよ」


 「じゃあこの何か月の夏美先生の様子は分からないでしょ?」
 「え! まあ・・そうだな」


 「・・・・・・・・・」
 「じゃあ弥生ちゃん、君は夏美の事が分かってるのかい?」


 「・・・・・それは知らないけど」
 (・・・・・・・・・・)


 「私ね・・・・ほら、新一と付き合ってるでしょ。でも何か月も前から何だか様子がおかしいの。それで新一をよく観察してるとね、夏美先生を見る時の顔つきが違うの。他の女の人と話す時の目と、夏美先生を見る時の目が全然違うんですよ」
 「でも、それは気のせいというか、考えすぎじゃないのかい?」


 「そうだといいんですけど・・・一度問い詰めたけどあっさり否定するし・・・・・それでこの頃は私と会おうとしないんですよ、『忙しい』の一点張りで。それで昨日は中庭で待ち伏せしたんです」
 「なるほど・・・・そこで俺と会ったって訳だ」
 「はい・・・・」


 この二人はもう、“深い仲”なんだと、高志は直感で感じていた。
 “新一”の名前を口にする時の弥生の表情が妙に艶がかっていたからだ。


 「オジサマ!」
 弥生が一際(ひときわ)強い口調で。
 「お願い!私は新一を監視しますから。オジサマは夏美先生を監視してください!」
 (カンシ?・・・監視?・・・)


 “監視”・・・よく考えてみれば、それは高志にとって願ってもない申し出かも知れなかった。
 昨晩の疑惑は、弥生の話の最中も頭にあったのだが、その原因が“年下の男子学生”だとは思えない。
 だが、どちらにしても夏美を監視すれば・・・・。
 結局、高志は目の前の女子学生に切っ掛けをもらったのだ。
 タクシーの中での大山の話にもあった『とにかく自分で調べてみようと思ったんです。証拠を見つけようと思いながらも、証拠が見つからなければ思い過ごしだって~』


 「よし、わかった!。俺がここにいる間は夏美を監視してみるよ」
 「はい!」


 「まあ何もないと思うけど、万が一夏美と新一君が会うような事でもあれば君に連絡するよ」
 「はい、お願いします。私も何かあれば連絡しますね」
 そうして2人は携帯電話の番号とメールアドレスの交換をした。


 弥生の話に乗ったのは“ゲーム”の感覚があったが、それでも “新一”を切っ掛けに昨晩の夏美の疑惑が解明できれば・・・。
 高志の気持ちがほんの少し軽くなっていた。


 「ところで弥生ちゃん」
 「はい?」
 「この境内から夏美の住んでる職員寮は見えるのかい?」
 「はい、こっちです」


 高志は弥生に案内され、境内の端から鉄柵伝いに裏手の方角に向かった。
 そこから下を覗きこむと、眼下にいくつかの建物の姿が見る事ができた。


 「向こうの白い建物が職員寮です。そしてこの大きなお屋敷が理事長先生のお宅です。そしてあっちが学生寮です」
 弥生の説明に高志が頷いていた。
 この場所からは、夏美が住む部屋の玄関までは見る事は出来ないが、白く塗り直された建物が見え、一番身近には大きな屋敷の姿を見る事が出来た。
 

 「しかし でかい屋敷だな」
 高志の目には屋敷の2階の大きなバルコニーと、そのバルコニーの出入り口になる大きな窓ガラスがよく見えた。
 屋敷の掃出し窓には暗い膜が掛かっているようで、中の様子は分からない。
 理事長の手伝いは研究室か、この屋敷でだと夏美は言っていた。
 眼下の屋敷の様子からは、今日はもう帰ったのか、あるいは研修室での仕事だったのか・・・・。


 「あれ? もうこんな時間だ」
 話に夢中になってしまっていた高志は、時間をみた。


 そして高志は弥生と挨拶を交わすと、小走りに階段をかけ降りて行った・・・・・・。

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