「やっぱり、こっちも暑いんだなあ」
ホームに降り立ち、高志(タカシ)は照りつける太陽を恨めしそうに見上げてみた。
都心から在来線を乗り継ぎ、約2時間の終着駅は、予報とはケタはずれな暑さだった。
同僚たちより早めの夏季休暇を申請したのは、一刻も早く妻の顔が見たかったからに違いない。
高志の妻 夏美(ナツミ)がこの小都市(まち)の大学の助手に採用されたのは、今年の2月だった。
夏美は都内の公立高校の教壇に立っていたが、教師の在り方に憤りを感じ、専業主婦に戻ったのは結婚5年目の30歳の時。
あれから5年、今年35歳の夏美が再び教育の世界に戻ろうとしたのは、間違いなく堂島泰三(ドウジマ タイゾウ)の影響を受けたからだ。
都内で堂島学園なる高校を運営する堂島泰三が、この小都市(まち)の経営破たん寸前の大学に手を差し伸べた新聞記事を、高志は何年か前に読んだ記憶があった。
まさかその時は、自分の妻がその大学に勤める事になるとは夢にも思わなかったのだが。
「さて、タクシー乗り場はこっちだな」
想像していたよりかは賑わいを見せる駅のロータリーで、高志はキャリーバックを片手にタクシーを待つ列へと進んだ。
すぐに回ってきたタクシーの後部座席で、フーッと息を吐き、無意識に汗をぬぐった。
「堂島学園大学まで」
高志の声に初老の運転手は、ニコリとうなずいた。
繁華街らしき街並みが終わると、いきなり新緑の景色が広がった。
「やっぱり田舎だな」
ひとり言に運転手は笑っていた。運転席の社員証の顔写真とそっくりな笑みだ。
名前の欄には、大山大介(オオヤマ ダイスケ)とある。
「大学へは御商売か何かですか?」
運転手の言葉に、高志は苦笑いした。確かに商社に勤めてはいるのだが。
「いえ、大学に妻が勤めていましてね」
「あらら・・そうでしたか。ではご主人は?」
「へへ、私は東京で一人暮らしです」
「と言う事は、奥様が単身赴任?」
「はい、そうなりますね」
「あらら・・それは寂しいですね。じゃあ夏休みで」
「はい、そうです」
そう言ってミラー越しに初老の運転手に微笑んで、高志は遠くの山々に目を移し、そして妻の顔を思い浮かべた。
高志と夏美が知り合ったのは大学4年の時。
しっかりした女(こ)だな、それが高志の第一印象だった。
その印象は付き合いが始まって確かなものになり、結婚してからは自然な事だった。
結婚は互いが25歳の時。
高志は商社勤め、夏美は高校教師だった。
結婚後も2人は一緒に音楽を聴いたり、映画を見て感想を語り合ったり、互いの気付かない点を発見しあうのが楽しみ・・・そんな夫婦だった。
いってみれば人生のパートナー。間違っても相手を“食わしてやっている” そんな意識はなかった。
「もう着きますよ」
運転手の声に、ハッと顔が上がった。
車は大きな橋に入るところだった。
川を渡るとそれらしい建物が見えてきた。
「あの大きな建物が校舎、その横が教職員の宿舎、あっちの白い建物は理事長のお屋敷です」
「理事長といいますと・・・」
「堂島泰三です」
「堂島さんは、こちらに住んでいるのですか?」
「ええ、そうですよ。東京の高校も経営してますが、元々この町の出身ですから。だから、この大学の経営がおかしくなった時も、生まれ故郷の為にと言う考えがあったのだと思いますよ」
高志は黙ったまま大きくうなづいた。
「ただねえ・・・」
運転手のため息交じりの声と同時に、車は大きな門の中へと滑り込んでいった。
料金を払い、軽く会釈をしてキャリーバックを持ち上げた。
中には一週間分の着替えや荷物が入っている。もちろん土産も。
高志は携帯電話を取り出したが、約束の時間には早い事に気づき、大学の構内を見て回る事にした。
守衛らしき男に挨拶をして中へと進む。
『そうですか、山中夏美先生のご主人ですか』・・男の笑顔に照れながら答えた・・・「いえ、まだ助手なのですが」
夏休みに入ったキャンパスは静かだった。
時折、運動部の学生など、数人の姿を見かける程度だ。
中庭に出ると、ベンチの一つに腰を下ろし汗をぬぐう。
斜め前のベンチには、若いカップルが座っている。
しばらくすると、カップルの話声が聞こえてきた。
どうやら男子学生の名前は新一(シンイチ)、女子学生の名前は弥生(ヤヨイ)というようだ。
「・・・新一は、やっぱり年上の女の人の方がいいんでしょ」
「何だよ、その“やっぱり”っていうのは?」
「だって・・・」
その言葉の後の沈黙に、どことなくバツが悪そうな二つの顔がこちらを振り向いた。
2人は、高志の存在に気づいていなかったようだ。
「あ・・・えっと、ゴメンゴメン。別に盗み聞きしていたわけじゃないんだ」
言い訳をする必要もなかったのだが、若い2人の世界を覗いてしまった事を負い目に感じたのか、そんな言葉が自然と口についた。
高志の言葉に男の子は苦笑い、女の子は彼氏の横顔をまだ睨んでいる。
よく見ると新一という学生はソコソコの美男子だ。
女の子は・・・ピッと伸びた鼻筋に大きな瞳、薄く茶色掛かったストレートの髪が肩のあたりに掛かっている。
ハッキリ言って美人だ・・・と、高志は思った。
その時、「あっ」と 新一の表情が弾け、つられて弥生が視線の先に目を向けた。
高志の胸が躍った。
(夏美だ・・)
近づいてきた夏美の「あなた」の声に2人の学生は驚いた。
「夏美先生のご主人だったんだ・・」
弥生の声の横で、新一の視線は夏美の横顔を黙ったまま見つめている。
「夏美先生、こんにちは」
新一の声に、夏美は軽く返事をする。
弥生の瞳には険しい色が浮かんでくる。
そしてその視線は夏美へ・・・そして新一へと・・・・。
暑い太陽の下、高志は流れる汗を拭うのも忘れ、若い2人の視線に引き込まれていた。
ホームに降り立ち、高志(タカシ)は照りつける太陽を恨めしそうに見上げてみた。
都心から在来線を乗り継ぎ、約2時間の終着駅は、予報とはケタはずれな暑さだった。
同僚たちより早めの夏季休暇を申請したのは、一刻も早く妻の顔が見たかったからに違いない。
高志の妻 夏美(ナツミ)がこの小都市(まち)の大学の助手に採用されたのは、今年の2月だった。
夏美は都内の公立高校の教壇に立っていたが、教師の在り方に憤りを感じ、専業主婦に戻ったのは結婚5年目の30歳の時。
あれから5年、今年35歳の夏美が再び教育の世界に戻ろうとしたのは、間違いなく堂島泰三(ドウジマ タイゾウ)の影響を受けたからだ。
都内で堂島学園なる高校を運営する堂島泰三が、この小都市(まち)の経営破たん寸前の大学に手を差し伸べた新聞記事を、高志は何年か前に読んだ記憶があった。
まさかその時は、自分の妻がその大学に勤める事になるとは夢にも思わなかったのだが。
「さて、タクシー乗り場はこっちだな」
想像していたよりかは賑わいを見せる駅のロータリーで、高志はキャリーバックを片手にタクシーを待つ列へと進んだ。
すぐに回ってきたタクシーの後部座席で、フーッと息を吐き、無意識に汗をぬぐった。
「堂島学園大学まで」
高志の声に初老の運転手は、ニコリとうなずいた。
繁華街らしき街並みが終わると、いきなり新緑の景色が広がった。
「やっぱり田舎だな」
ひとり言に運転手は笑っていた。運転席の社員証の顔写真とそっくりな笑みだ。
名前の欄には、大山大介(オオヤマ ダイスケ)とある。
「大学へは御商売か何かですか?」
運転手の言葉に、高志は苦笑いした。確かに商社に勤めてはいるのだが。
「いえ、大学に妻が勤めていましてね」
「あらら・・そうでしたか。ではご主人は?」
「へへ、私は東京で一人暮らしです」
「と言う事は、奥様が単身赴任?」
「はい、そうなりますね」
「あらら・・それは寂しいですね。じゃあ夏休みで」
「はい、そうです」
そう言ってミラー越しに初老の運転手に微笑んで、高志は遠くの山々に目を移し、そして妻の顔を思い浮かべた。
高志と夏美が知り合ったのは大学4年の時。
しっかりした女(こ)だな、それが高志の第一印象だった。
その印象は付き合いが始まって確かなものになり、結婚してからは自然な事だった。
結婚は互いが25歳の時。
高志は商社勤め、夏美は高校教師だった。
結婚後も2人は一緒に音楽を聴いたり、映画を見て感想を語り合ったり、互いの気付かない点を発見しあうのが楽しみ・・・そんな夫婦だった。
いってみれば人生のパートナー。間違っても相手を“食わしてやっている” そんな意識はなかった。
「もう着きますよ」
運転手の声に、ハッと顔が上がった。
車は大きな橋に入るところだった。
川を渡るとそれらしい建物が見えてきた。
「あの大きな建物が校舎、その横が教職員の宿舎、あっちの白い建物は理事長のお屋敷です」
「理事長といいますと・・・」
「堂島泰三です」
「堂島さんは、こちらに住んでいるのですか?」
「ええ、そうですよ。東京の高校も経営してますが、元々この町の出身ですから。だから、この大学の経営がおかしくなった時も、生まれ故郷の為にと言う考えがあったのだと思いますよ」
高志は黙ったまま大きくうなづいた。
「ただねえ・・・」
運転手のため息交じりの声と同時に、車は大きな門の中へと滑り込んでいった。
料金を払い、軽く会釈をしてキャリーバックを持ち上げた。
中には一週間分の着替えや荷物が入っている。もちろん土産も。
高志は携帯電話を取り出したが、約束の時間には早い事に気づき、大学の構内を見て回る事にした。
守衛らしき男に挨拶をして中へと進む。
『そうですか、山中夏美先生のご主人ですか』・・男の笑顔に照れながら答えた・・・「いえ、まだ助手なのですが」
夏休みに入ったキャンパスは静かだった。
時折、運動部の学生など、数人の姿を見かける程度だ。
中庭に出ると、ベンチの一つに腰を下ろし汗をぬぐう。
斜め前のベンチには、若いカップルが座っている。
しばらくすると、カップルの話声が聞こえてきた。
どうやら男子学生の名前は新一(シンイチ)、女子学生の名前は弥生(ヤヨイ)というようだ。
「・・・新一は、やっぱり年上の女の人の方がいいんでしょ」
「何だよ、その“やっぱり”っていうのは?」
「だって・・・」
その言葉の後の沈黙に、どことなくバツが悪そうな二つの顔がこちらを振り向いた。
2人は、高志の存在に気づいていなかったようだ。
「あ・・・えっと、ゴメンゴメン。別に盗み聞きしていたわけじゃないんだ」
言い訳をする必要もなかったのだが、若い2人の世界を覗いてしまった事を負い目に感じたのか、そんな言葉が自然と口についた。
高志の言葉に男の子は苦笑い、女の子は彼氏の横顔をまだ睨んでいる。
よく見ると新一という学生はソコソコの美男子だ。
女の子は・・・ピッと伸びた鼻筋に大きな瞳、薄く茶色掛かったストレートの髪が肩のあたりに掛かっている。
ハッキリ言って美人だ・・・と、高志は思った。
その時、「あっ」と 新一の表情が弾け、つられて弥生が視線の先に目を向けた。
高志の胸が躍った。
(夏美だ・・)
近づいてきた夏美の「あなた」の声に2人の学生は驚いた。
「夏美先生のご主人だったんだ・・」
弥生の声の横で、新一の視線は夏美の横顔を黙ったまま見つめている。
「夏美先生、こんにちは」
新一の声に、夏美は軽く返事をする。
弥生の瞳には険しい色が浮かんでくる。
そしてその視線は夏美へ・・・そして新一へと・・・・。
暑い太陽の下、高志は流れる汗を拭うのも忘れ、若い2人の視線に引き込まれていた。