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この土地に来ての2日目の夜は暑苦しかった。
 神社で弥生と別れ、夏美の部屋に戻ったのは何時頃だったか。
 部屋に入ってみると、その様子は出かけた時のまま、夏美は帰っていなかったのだ。
 胸騒ぎを覚え、携帯電話に何度か連絡してみたが、繋がる事は一度もない。
 そしてメールに返事が来る事もない・・・・・。


 「よし、理事長の屋敷まで行ってみるか」
 いつのまにか、外には暗闇が広がり始めている。
 何か嫌な感じがしながら、高志は部屋を出た。


 いかにも田舎の古ぼけた街灯を頼りに、高志は足早に目的地に向かった。
 生暖かい風を感じながら、しばらく歩くと前方の高台に神社の姿が現れ、その境内の生い茂った大木が、月夜の空に不気味なコントラストを描いている。
 息苦しさを感じながら、更に進むと大きな屋敷が見えてきた。
 屋敷は高志の背丈よりはるかに高い壁に囲まれ、それ伝いに歩くと大きな門扉にたどり着いた。
 “堂島泰三”と、いかにも達筆を思わせる表札があり、その横には昔ながらの小さなブザーがあった。
 高志は渇いた咽喉(のど)に唾を流し込み、人差し指をブザーに伸ばし・・・。


 ・・・・その時だった。
 「何か御用ですか」
 まるで地の底から聞こえるような、女の声に高志の身体中の毛が逆立った。


 背中の方を恐るおそる振り返ると、暗がりの中に女とゴリラの様な男が立っていた。
 「何か御用かな」
 女の口元が歪んだ。


 「あ・・あの・・あなた方は・・・・」
 高志の震える声に。
 「私どもは、こちらの堂島先生のお屋敷に仕えるものです」
 ゴリラの様な男がその容姿からは想像できない程の、丁寧な口調だ。


 「あっ そ そうだったのですか」
 高志の声はまだ裏返っている。


 「あの・・私 山中高志と申します。こちらの大学でお世話になっている山中夏美の夫です」
 「はい、存じています」


 「そ そうですか・・・じゃあ夏美は」
 「・・・夏美先生はたった今、我々がお部屋までご一緒してきました」
 (え!?)


 高志の表情に、再び女の口元が歪んだ。
 「理事長のお仕事が思ったより長引きましてな、先ほどやっと終わったのです。夏美先生には、旦那様が来られているのに悪い事をいたしました。暗い中を一人で帰って頂くのは心細かろうと思い、この沖田と2人で送り届けてきたところです」


 「な・・そうだったんですか・・・・・・でも」
 高志の疑問を察知したのか、沖田と呼ばれたゴリラの様な男が。
 「あちら側に職員寮につながる近道がありましてね、我々はそっちの道を通って参りました」
 「はあ・・」


 高志はまだ聞き足りない事が有るような・・・そんな気持ちで、とりあえず頭を下げた。
 そして踵を返し、来た道の方角へ足を向けた。


 来る時に感じた心細さは小さくなったが、夏美に対する疑心が消えたわけではない。
 (夕方 あの神社の境内から見た屋敷の、暗い膜が掛かった窓ガラスの向こうに夏美はいたのか?)
 (なぜ、電話の1本もよこさなかったんだ・・・・)


 職員寮が近付くにつれ、高志の頭の中には次の課題が浮かんできた。
 さて・・・夏美とどう話すか? 夏美から説明があるのか?


 部屋に着いた高志は、玄関に夏美の靴を確認すると静かに中へと入った。
 「な つ み・・」
 小さな声で妻の名を呼びながら、ダイニングを抜け、奥の寝室の扉に手をかけると、ゆっくりそれを開いてみた。
 ベットには昨日と同じ薄いピンクのネグリジェを着た、夏美が横になっていた。
 再び名前を呼びながら近づいてみれば、聞こえてきたのは小さな寝息ではないか。
 (・・・・・・・・・)

 
 ベットの横の椅子には、先ほどまで着ていたであろう洋服が、綺麗に二つ折りで掛けられている。
 今日の仕事がどれほどの大変さかは判らないが、高志は釈然としないまましばらく妻の寝顔を眺めてみた。
 ふと枕元に無造作に置かれた携帯電話を確認して、それを手に取った。
 何年も前から夏美が愛用している物だ。
 

 (夏美 ごめんよ)
 心の中で誤り、それを開いてみた。
 しかし、ロックが掛けられている。


 高志は思いついたように浴室に向かってみたが、シャワーの跡は確認できない。
 (風呂にも入らないで寝たのか・・・・・・)


 もう一度寝室のベットの横で膝を落とし、顔を近づけてみれば、アルコールの匂い。
 (酒?・・・・)


 嫌な予感がして、高志の手が胸元へと向かう。
 ここで妻を裸にでもしてみれば・・・・・・ふと、そんな考えがよぎる・・・・。
 しかし・・・・。
 (い いや 止めよう。明日だ。明日 夏美と話そう・・・・・・・)
 何とか自分に言い聞かせ、高志は部屋を出た。
 
 
 暑い夜だった・・・・・・・。


 目覚めも又 不快なものだった。
 首筋の寝汗を拭いながら身体を起こしてみれば、隣は蛻の殻ではないか。
 (・・・・・・・・・)
 時計を見れば、もう9時だ。


 夏美は何処に?
 高志の朝食の用意もなく、夏美が食事をした後も見受けられない。
 一体・・・・?


 思い出したように浴室に向かってみた。
 水滴の跡がみられる。
 (シャワーは浴びたんだ)


 洗濯機の上には、ネグリジェが畳まれている。
 高志は何を思いついたか、洗濯機のふたを開けてみた。
 そして中を覗き込む。
 手に取ったのは水色のショーツだった。


 掌がかすかに震える。
 その指でショーツを拡げてみた。

 
 (な?・・・・)
 (なっ!・・・・・・・)
 「なんじゃこりゃーーーーーー!」


 指に付着したこの感触。
 漂ってくるこの栗の花の匂い。


 (な・・・)
 (なっ・・・・・・・)
 「なつみーーーーーーー!」


 高志の声が部屋中に響き渡った。