水曜日の練習は毎回1時間ほど。
息子の拓実と一緒に家に戻って、細かい家事をした後、千明は買物に行く事にした。
スーパーを出た所であれっと気が付いた。前方にコーチの太田由香の姿を見たのだった。
「由香ちゃん」小走りで近づき、声を掛ける。
「あ、拓実君のお母さん…」
振り向いた由香は、想像以上に驚いた表情(かお)をしている。
「今帰り?石井コーチや山田コーチは一緒じゃないのね」訊きながら千明は、由香の様子を窺う。
彼女の格好はジーンズに、上はチームのサッカーコート。しかし何故か、石鹸の匂いがする。
「あ、私はちょっと寄り道してて石井君達は先に…」
由香は一瞬、この場から逃げ出したいと思った。明美から計画を聞かされた直後に、まさか千明本人に会うとは。
しかし直ぐに、明美との先ほどのやり取りが蘇ってきた。
『近いうちに千明さんを館(ヤカタ)に連れ出して』
『館って何ですか?』
『ああ、云ってなかったわね。知り合いの人が持ってる一軒家があるの』
『知り合いの一軒家…ですか』
『そう、場所はこの間の2次会の店の近くよ』
『そうなんですね…』
『うん、面白いふうに改築されてるみたいでね、とにかくそこに彼女を連れて来て欲しいの』
『はあ…』
『そこで具体的に何をするかは、ちゃんと教えて上げるから。でも由香ちゃんにも満足いく話になると思うわ』
『私を満足…?』
『そう、そこには貴女の嗜好を満足させるものがあるから』
あの時、由香の中には性的なイメージが浮かんでいた。
拓実君のお母さんは、明美さんのご主人の性奴隷になる為、調教されるのだ。そう思った瞬間、由香のアソコがジュンっと湿りを覚えたのである。
「どうしたの由香ちゃん?ボォっとしてるわよ」
「へ、な、何でもないです。でも…」
「でも、どうかした?」
「あの、実は…近いうちに時間取って貰う事は出来ますか。ちょっと相談したい事を思いついちゃって…」
相談…その言葉を聞いた瞬間、千明は例の“噂”を思い浮かべた。
目の前のボーイッシュで可愛らしい彼女が、サッカーチームのお父さんと不倫してるとは思いたくないが、この懇願するような頼りない目を見れば、やはりと思ってしまう。
気付けば千明は、頷いていた。自分だからこそ、相談を持ち掛けられたと思ったのである。
二人はその場で予定のすり合わせをして、明日の時間が決まった。待ち合わせの場所は、先日の2次会の店の前にした。由香のバイト先が近くにあって、そこから来るとの事であった。千明のパート先からも近い距離にある。
・・・・
男女が同じ床に寝て話をする事を寝物語というらしい。
千明は互いの息が収まったのを観て、隣の夫に顔を向けた。
身体の熱は暫く冷めそうにない。千明はそっと掌を夫の股間に持って行った。
「とっても良かったわ」
「ああ、僕もだよ」
貴明が裸の妻を抱き寄せる。
二人は暫く余韻を共にして、やがて千明が囁く。「拓実、サッカー上手くなったでしょ」
「ああ、ビックリしてる」
「でも、会話は噛み合わなかったのね」
「そうだよ、会社でも話したら、皆んな反抗期の始まりだなんて言うんだよ」貴明が苦笑いを浮かべる。
2年間の単身赴任の間に、子供は確実に成長している。
その2年の間、貴方は他の女を抱いていたの?と、千明は心の中で訊ねる。しかし直ぐに、自分も他の男性に抱かれてしまったと、心の中で懺悔の言葉を掛ける。
営みの余韻に浸ろうとすればするほど、やはり今夜も、“彼”と夫を比較していた自分にゾッとしてしまう。
今、右手で握っている男根と彼のモノとは…と、思考が危ない方向に進みかけた時、夫が貌を覗き込んできた。
「そう言えばさ、この間の父母会だけど、なんだか皆んなの仲が良くなったみたいだったよ、馴れ馴れしくなったというか」
「ああ、浦島太郎の気分だった?貴方がいない間に飲み会の回数も増えたしね」
「そうなんだ」
「ええ、気の合ったお父さんどうし、お母さんどうしでも飲みに行ってるみたいだし」
「そう言う千明も?」
「そうね、役員してるから一部のグループにだけ顔を出して、他には出さないでいると、色々と言う人がいるのよ」
「分かるよ、役員会のアルアルだな」
「そうね」
「それにしてもこの間の飲み会は、結構な人が羽目を外してたんじゃないかな」
「え、どんな風に」
「どんなって千明もいたんだから」
「うん…でも、アタシも慣れちゃってたのかも」千明が夫の顔を見上げる。
「名前は忘れちゃったけど、うちの人は滅多に相手をしてくれないとか、好きなパパをお持ち帰りしなさいとか」
「ああ、あれね。あの人達はいつも醉うとあんな感じよ」
「そっか、僕は“いつも”が分かんないからね」
「ふふ、そうね。他には?」千明が甘えた声で訊ねる。
「そうそう、新しい大学生コーチの女の子。その子が不倫してるとか、してないとか」
その瞬間、夫の股間に置いていた千明の手が止まった。身体も一瞬にして固まっている。
「千明どうしたの」
千明は改まって、夫に『由香』の名前を教えて、彼女の“噂”を話して聞かせたのである。
常夜灯が灯る夫婦の寝室には、いつの間にか貴明の寝息が聞こえていた。妻から大学生コーチの太田由香の不倫疑惑について聞かされてるうちに、眠り込んでしまった。
千明は夫を起こさないようにと、そっとベッドから降りた。火照っていた身体も、さすがに熱は収まっている。
彼女は夫に布団を掛けて、暫くその寝顔を見詰める。今夜の夫は…いや、今夜も夫は激しく愛してくれた。先日と同じ犬の格好を求めらた時には、自らアソコを拡げていた気がする。アナルも責めて欲しいと思ったかもしれない。しかしそれは、今夜も彼と夫を比較した証拠である。彼を忘れる為にも、夫に抱かれようとするのは罪なのか。いや、夫に抱かれる度に彼を思い出すのが罪なのか。
それでも千明は、自分への言い訳の為にか、夫の赴任先の現地妻を妄想するのだった。
・・・・
そこは柳町FCの父母には見慣れた店の前。
つい先日も2次会をやった店である。
「すいません、遅れちゃいました」
スマホを見ていた千明は、その声に振り向いた。
息を切らした由香が、もう一度すいませんと頭を下げている。
千明は、いいのいいのと笑って手を振る。
この日の由香も、スポーティーなジャンパーに下は紺のジーンズで、ボーイッシュな装いであった。
「バイトは終わったの?」
「はい、拓実君のお母さんは?」
「アタシはスーパーのパートね、さっき終わったところよ」
受け答えする由香の声には、元気がない。やはり今日の相談事とは、例の事なのか。
千明は何処で話をしようかと、問い掛けながら、スマホを閉まった。由香を待ちながら、パート中に受信したLINEメッセージを読んでいたのである。
それは“彼”からのメッセージ。
《山際さんの例の噂。分かった事を報告するから会えないかな。今日は早めに仕事が終わるから、夜はどうですか》
山際恵美の“噂”も、勿論気になる事ではあるが、彼と二人だけで会うのは不味い。そのように返信しようとする前に、由香が来たのだった。
「松山さん…千明さん、ココは?」
由香が勧めてきたのは、目の前の居酒屋であった。酒を入れないと話しづらいのかと考え、千明は承諾した。
今夜は夫も海外赴任の慰労会で遅くなるし、息子の拓実からも了解をもらっている。
個室をリクエストして中に入ると、注文を幾つかしたところで、千明はコーチの仕事に改めて礼を云った。
乾杯の後は、暫くサッカーの話を続けた。
由香は歳上の千明に気を使うのか、しきりに酒を勧める。由香自身もそれなりに酒豪なのかペースが早い。
酔っ払う前にと、千明は本題に入る事にした。
しかし。
例の…由香の不倫疑惑について話をしようとしたところで「実は私、お付き合いしてる人がいて、千明さんにその人と会って貰えないかと思って」
それは思いがけない、由香のカミングアウトだった。
「え、ちょっと待って。それって…」千明の舌がもつれる。
「その人…実は直ぐ近くまで来てるんです」と、由香が真っ直ぐ見詰める。
この展開は、千明にも想定外だった。頭の中で柳町FCのお父さん方の顔を順番に浮かべる。しかし思考は、それ以上の想像が働かなかい。
「突然ですいません…会ったら千明さんも驚くと思うから、もっと飲んで下さい」
確かにこれは、酔わないと聞けない話になるかもしれない。千明は言われるままにグラスの中身を飲み干したのだった。
店を出た千明は、由香の背中を付いて歩いた。その足元は酔いで少しフラついている。
「直ぐそこの一軒家です」由香が足を止めて、前方を指さした。
千明は目を細める。視線の先にあるのは確かに一軒家。それもかなり古い。
「中はオーナーさんが改築に手を加えていて“館(ヤカタ)”と呼ばれてるそうです」
オーナーが改築で館?意味がよく分からない。頭の中が先ほどより舞っている。間違いなくアルコールが廻っている。
「だ、大丈夫かなアタシ」千明がぼそっと呟いた。
「大丈夫ですよ」
落ち着いているのは由香の方なのか。
その彼女が千明の手を引く。千明は”館”に引き込まれて行ったのだった。