小説本文



 みゆきと拓也がアパートで愛し合ってる頃、中村は営業の外回りから会社に戻っているところだった。
 会社のあるビルに1番近い地下鉄の出口から地上へ上っていった時、中村の目にダブルのスーツを着た恰幅の良い男の姿が映った。
 年の功は50代半ば位であろうか髪の毛にはかなり白い物が混ざって見えるが、表情には張りがあり大きく見開かれた瞳がこの男の精悍(せいかん)さを現しているようだった。
 そんな男の鋭い瞳が中村を見つめていた。


 (あれっ・・・どっかで会った人かな?)
 中村の営業マンとしての習性が、頭の中のアルバムを直ぐに捲(めく)り始めていた。


 目の前に近づいてきた男の顔とデーターが一致する前に、その雰囲気とは逆に男が優しく話しかけた。
 「中村さん・・・で いらっしゃいますか?」
 「はい・・・えっと 失礼ですが・・・」


 中村の返事に男は安心したのか、少し口元が緩んでみえた。
 「失礼しました・・・わたし 田中と申します・・・」
 「田中さん?・・・えっと どちらの田中さんでしたっけ・・・」


 「・・・はい 真由美・・・田中真由美の夫です」
 「田中真由美?・・・!!!」
 今度は中村が瞳を大きくする番だった。


 驚いた顔の中村の様子に、男はうれしそうにニヤッと一瞬笑みを浮かべた。
 「いつぞやは大変失礼しました。真由美の夫・・いや 夕華(ゆうか)の旦那と言った方がいいですね」
 「・・・・・・」


 この日の夜、中村は仕事を定時にあがり、真由美の夫と名乗った男との待ち合わせの約束をした店に向かっていた。
 夕方、会社近くの地下鉄の駅の出口で声を掛けら、この夜の約束をした後は、会社に戻っても動揺のためか残務を手際よく終わらせる事が出来なかった。


 (いきなり会いに来た用件は何だ?)
 身なりから判断すると充分に紳士と呼べる人物だと思いながらも、中村は軽い緊張を覚えていた。
 それもそのはず、1度は背中にナイフのような物を突きつけられていたのであった。


 (本当にあの時の男か?)
 そんな事を考えながら歩いていると、前方に約束した店の看板が見えてきた。
 店は洒落たソシアルビルの2階にある、ステーキハウスだった。


 こじんまりとしたその店の奥には、既に田中と名乗った男が座って待っていた。
 中村は1番奥の大きな窓際の席に着くと用心深く会釈をして、笑みを浮かべている男の前に腰を降ろした。
 窓からはいくつものビルが見え、通りを行きかう車の音が聞こえている。


 「中村さん、すいませんね、私 酒を飲まないもので・・・食事でもと思いまして・・・ここの肉は結構いけますよ」
 男はそう言うとメニューを開げ、中村に差し出してきた。


 「あの・・・田中さん、今日は一体どういうご用件なんですか?」


 男は中村の言葉に照れ笑いを浮かべ、一旦開けたメニューを戻すと今度は顔を傾け、おどけた表情を見せた。
 「いや・・・用件と言うほどの用件ではないのですが、1度先日の事を侘びでおこうと思いまして。それと・・・今後も何か良いお付き合いというか・・・情報交換というか・・・そう言った事が出来ないかと思いまして・・・はい・・・」


 「・・・やっぱりあなたは、本当にあの時のあの方なんですね?」
 「はい・・そうです。あの時は大変失礼しました・・申し訳ありませんでした」
 中村は目の前の男の体格の良さと鋭い瞳、それに似合わない笑顔と仕草にこの男の性格を計りかねていた。


 「わかりました。あの時の事は私は恨んだりとか悪くは思っていません。逆にご主人が来なければどうなっていた事か・・・奥様をレイプ・・・なんて事になっていたかもしれませんし、私もあの時はどうかしてたんだと思います・・・逆に申し訳ありませんでした」


 「レイプ? ははは 襲われてたのは中村さんの方だったかもしれませんよ」
 田中はそう言うとうれしそうに笑い、それにつられて中村の口元が緩み、笑みがこぼれた。