小説本文



 たけしは神崎の“欲望の劇場”から帰ってきても、妻のみゆきを責める事はしなかった。いや、出来なかった。 
 その理由は自分が仮面の女とセックスをした事もあるが、みゆきが他の男との秘め事で乱れる姿をもっとこれからも覗いていたいと思う気持ちが強くなったからだ。


 この1週間、みゆきは以前のようにたけしの夜の誘いをしっかり受け止めてくれるようになった。
 たけしはもう夕月や夕華を抱く事はないだろうが、その気持ちをみゆきにぶつけていた。
 みゆきを夕月や夕華のように悶えさせたいと思いながら抱いていたのだ。


 当のみゆきも喘(あえ)ぎ声を上げてそれなりに逝くが、それは演技までとは言わないが、みゆきにとっては決して満足のいくものではない事はたけしにはわかっていた。 
 ましてあの舞台を見せられれば、それも仕方ない事だと思わずにはいられなかった。


 そんな事を考えていたある日の休日、家でくつろいでいたたけしの携帯がなった。
 『もしもし 中村さんですか』
 「はい そうです」


 『○月○日の午後は大丈夫ですか』
 「ちょっと待ってください・・えっと その日は大丈夫ですね」


 『では、席を一つ用意しておきます。ただし、こちらは有料ですよ』
 「はい わかってます」
 会話はこれだけで充分だった。


 「あなた お仕事の話ですか、大変ですね 休みの日まで」
 みゆきが洗物をしながら話しかけた。


 「うん、まあね。そうだ みゆき、突然だけど○月○日は何してる?」
 「えっ ○月○日ですか、その日は・・あっ ああまだ先ですね・・えっと まだわかりませんね」
 たけしはみゆきの慌て振りに、妻はその日間違いなくあの舞台に上がると思った。




 次の日、中村は勤務先のビルの廊下を歩いていた。
 すれ違う同僚や部下達と挨拶を交わしながら、エレベーターに乗り込んだ。
 いくつかのフロアに止まるたびに人が乗り降りしていく。
 中村の前には、妻と同じ雰囲気の中年女性の背中があった。
 その女性の尻を眺めていると、突然その女性がくるりと中村の方に顔を向けた。
 そこには黒い蝶を模(かたど)った妖しい仮面を被(かぶ)た顔があった。


 『うふふ 私中村さんの会社で働いてるあの事務員かもよ』
 いつかの声が何処からともなく聞こえてきて、中村はガクンと頭が揺れハッと我に返った。
 「大丈夫ですか・・・顔が真っ青ですよ」
 今まで背中を向けていた見知らぬその女性が、心配そうに中村の顔を覗き込んでいた。




 (しかし参ったな 今朝の妄想は・・・あれは夕月か・・・夕華か・・)
 営業の合間、中村は喫茶店で休憩していた。
 あの日中村の頭の中に湧き上がったドス黒い雲は、中村に新たな欲望を生み出そうしていた。
 (見てみたい・・・夕月と夕華の素顔を、あの仮面の裏の素顔を・・・)


 別の喫茶店、みゆき、裕子、真由美の3人がもう2時間近くおしゃべりをしている。
 真由美の携帯がなった。
 「あら 主人からだわ、ちょっとごめんね」


 真由美が席を立って外に出て行くのを確認すると、裕子が乗り出すようにみゆきに話しかけた。
 「みゆき 例のバイトはどうなってんのよ まだ続いてんの?結局ヌードになったの?それと・・・」
 「この間電話でいったでしょ、ほんの少し水着になった程度よ・・・」
 陽気な裕子の矢継ぎ早の質問を遮(さえぎ)るように、みゆきは困惑気味に答えた。


 「ふ~んそうなんだ。私もちょっと興味があってやってみようかな~ って考えたりするんだけど」
 裕子が意味深な目でチラッと覗き込んだ。


 「えっ ええっ!ゆっ 裕子には・・・その・・・うん 向いてないと思うよ・・・うん、絶対」
 ドキッとしたみゆきが、しどろもどろになって答えた。
 裕子が意地悪そうな目で、ニヤニヤみゆきを見つめている。


 そこに真由美が戻ってきた。
 「ごめんねえ 主人から電話入ちゃってえ」
 「真由美のところはラブラブね」


 「そうよ、うちはいつでもラブラブよ」
 「あらあら いいわね」


 二人のやり取りを聞いていたみゆきが、時計を見ながらそわそわしている。
 「ごっ ごめん、もう行かなきゃ」


 「そうか みゆき、予定があるって言ってたよね」
 真由美の言葉に、みゆきは申し訳なそうに笑顔を引きつらせて席を立ち上がった。
 そのみゆきの後姿が店の外へ消えるまで、2人はずっと眺めていた。


 みゆきのいなくなったテーブルには、先ほどまでとは違う空気がながれていた。
 「ねえ 裕子 まだ黙ってるの?・・・」
 「えへ まだ黙っていようよ、見てると面白いわ」


 「もう・・・裕子は相変わらずね・・・」
 「だって最近、楽しい事があまりないんだもの・・・」
 「ふふ 困った人ね・・・ところで みゆきはどこに行ったのかしら」
 「さあ どこだって いいんじゃない」


 「それは そうね」
 真由美の言葉に二人は、顔を見合わせ二ヤっと笑った。