小説本文



 私は森川と名乗った男に案内され廊下に出ると、突き当たりの階段を下へと降りて行った。
 まさかこの先が“淫欲の闇”ではないだろうが、私の心臓の鼓動は早鐘のように鳴り響いていた。


 「こちらが近藤さんに入って頂く小部屋です」
 真っ黒な扉を開けながら森川が囁いた。
 もう私自身も武(たけし)が仕掛けた演出の中で、登場人物の一人になっているのだろうか。
 森川の役者掛かった声に静かに頷いた。


 そこは畳3枚ほどの小さな部屋だった。
 壁一面に大きな鏡があり、その前に高級そうなソファーが置かれている。


 「では近藤さん、先程の注意点を忘れないようにこちらでお過ごしください」
 そう言って森川がポケットから黒い物を取り出した。
 森川が電気を消すと目の前の鏡がスーッと透き通り、向こう側に大きな空間が現われた。
 ゴク ・・・ 私のノドが鳴る音と同時に扉の閉まる音がして、一気に静寂が訪れた。


 私は武者震いを覚えながらも、ソファーに腰を降ろした。
 目の前の空間には既に人の姿が見える。
 全て男性のようだ。
 同じデザインの如何にも高級そうなガウンを着た男達が、部屋の所々に置かれたソファーに腰をおろし寛(くつろ)いでいる。


 年の頃は30後半から50前と言ったところだろうか。
 綾が前に言った“若い男”の集まりではなさそうだ。
 男達はみんな常連なのか、場馴れした様子で談笑している雰囲気だ。
 精悍な顔付きに、好色な表情、頭の薄い者もいれば、如何にも体臭のきつそうな濃い男もいる。
 みんな素顔を堂々と晒している。


 部屋の中央からやや向こうの壁側に大きなダブルベットが置かれている。
 そのベットと私の目の前のミラーの間がぽっかりステージのように広く開(あ)いている。
 男達が腰を掛けているソファーはそのスペースを取り囲むように置かれているのだ。


 私と広間、ベットまでの距離はほんの数メートルだろう。
 我々を遮(さえぎ)る一枚のミラー ・・・ これが日常と隠微な世界の境なのだろうか。
 妻のまゆみは既に“あちら側”の住人になってしまったのか。


 しばらく歓談を続けていた男達が急に畏(かしこ)まった。
 広間の扉が開く音がして一人の男が姿を現した。
 男は昔、海外物のスワッピング映画で見た様なSMチックな仮面を着けている。
 先程 ポケットから取り出したのが、今 森川が被っているこの仮面だったのだ。


 森川の登場に会場が一気に隠微な空気に包まれた。
 この異様な雰囲気が男と女をその気にさせるのだろうか。


 「みな様・・・・・こんにちは」
 森川の声が私の耳に鮮明に聞こえてきた。
 男が言ったとおり、向こう側の声はこちらに聞こえるようになっている。


 「本日も又 日常を忘れて隠微なひと時を過ごす時が来ました。本日のテーマは“娼婦館の女” ・・・ 今日はMの血が流れる変態願望をお持ちの4人の女性がお見えになっています」
 (・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)


 「先程 別室で女性の皆さんとは本日の演出を確認してまいりました。女性の皆さんは、もう準備万端です。・・・男性の方々もご存知とは思いますが、改めて注意点を申し上げます。よく聞いて下さい」
 (ああ・・・・・・・・・)


 「本日の女性は30代後半から40代半ばの人妻さんです。皆さんは御主人に内緒でこの会場に来られている方ばかりです。・・・・ですから当然、女性の身体に“痕(あと)”が残る行為は絶対NGです」
 (あああ・・・・・・)


 「それと性行為の時は、生で中出しでお願い致します。逆にコンドームの着用、外出しは、本日はNGとさせて頂きます。女性の皆さんは避妊薬を飲み、中出しを希望されていますのでよろしくお願い致します」
 (なっ 生! ・・・・・中出し・・・・・・)


 「本日の女性は先程も言いましたが、全員Mッ気の強い方です。みなさん晒されたい、辱められたい、隠語を言わされたい ・・・ そんな願望をお持ちです。男性の皆さんは、その辺りをよ~く理解されていると思います。 ・・・・上手く女性をリードされ、多少強引に、・・・女性の“いやよ いやよ” をよく判断されて、女性を甚振り、ご自身も楽しんで下さい・・・・・」
 (・・・・・・・・・・・・・)
 

 「それでは・・・・始めましょうか、本日のテーマは“娼婦館の女”です・・・・・・」
 森川の嫌味の無いスマートな声 ・・・ 一流結婚式場のプロの司会のような口上 ・・・ それでいてその口から吐き出された言葉は、日常では普通に聞く事が出来ない言葉達だった。


 広間の左側から、ゆっくり女性達が現われた。
 臙脂色(えんじいろ)のおそろいのチャイナドレスで着飾り、そして顔には森川とよく似た形の仮面を着けている。
 それ以上にアッと思ったのは、その歩き方・・・雰囲気だ。
 モデルとまではいかないが、背筋を伸ばし一本線の上を真っ直ぐ歩くように進んできた。
 視線が彷徨(さまよ)う事も無く、頭を振る事も無く、全く嫌味も無く、媚(こび)を売る様子も全く無い ・・・ 自然体で現われたのだ。


 (あああ・・・す 凄い・・・・・・)
 私の口から自然とその言葉が出た。


 これも武(かれ)が考えた演出なのか?
 驚く私のほんの目と鼻の先 ・・・ ミラー越しに4人の女がこちらを向いて等間隔で立ち止まった。