小説本文



忙しい仕事を早めに終わらせ、私は興信所に足を向けていた。
 昼の“あの電話”の後は、興信所の男からは2度連絡があった。


 『今、奥様がマンションから出てこられました。お一人です。これから何処へ向われるか尾行します』
 私はその時、時計を見た。
 まゆみは5時間以上もそのマンションに居た事になる。
 一体そこで何をしていたのか?
 綾はいたのか?


 それから1時間後、再び男から電話がきた。
 『奥様はマンションを出た後は、まっすぐご自宅に向われました。先程スーパーで買い物をされて、まもなくご自宅です』
 私はオフィスの廊下で男のライブ中継を聞いた。


 『よろしければ私は事務所に戻ります。今夜は事務所にお越しいただけますか? 今日の報告書をまとめておきますので』


 その興信所は古い雑居ビルの5階にあった。
 ソファーに腰を降ろす私の前に、写真がいくつか並べられた。
 

 「近藤さん こちらの写真が奥様がエントランスを潜(くぐ)って中へ入って行くところです・・・・・時間はここに表示されています」
 (・・・・・・・・・・・・)


 「そしてこの写真がマンションから出てきたところを撮った物です・・・・時刻はここです・・・」
 男が指した写真を取り上げ、それを食い入るように覗き込んだ。 
 さすがプロと言う事だろうか、まゆみの姿が見事なくらい鮮明に写っている。


 「奥様はご自宅を出られてから、歩いている時の様子や表情・・電車の中の雰囲気も特に怪しいところはありませんでした」
 (・・・・・・・・・・・)


 「ただ私が思うところ、この洋服は“めかし込んでいる”と言う感じでしょうか・・・それなりの場所、それなりの人に会う格好だと思いますが・・・・」


 たしかに男の言う通りだった。
 写真の中のまゆみの格好は、パートに行く様な服装ではないし、近所に買い物に行く格好でもない。
 綾の話では、2人はシティホテルでランチをしてからそこの部屋に行く事が多かったらしい。
 そしてホテルのランチなどは、カジュアルな格好で気軽に入れると言っていた。
 しかし写真の中のまゆみの服装は・・・・。


 「面接・・・・」
 男が何気に呟(つぶや)いた。
 

 「なるほど・・・・たしかに“人”に会うような格好だよな」
 感心したような私の声だ。


 まゆみはマンションの部屋で“それなり”の人と会ったのだろうか。
 もし綾と会うなら、この様なセミフォーマルっぽい服装はしなかったのではないか。


 「このマンションは、そんなに立派な造りだったんですか?」
 「はい。私も奥様が出てくるのを待ってる間、色々調べてみたのです」


 「・・・・・・・・・・」
 「この○○○タワーと言うマンションは、分譲マンションなのですが、かなり高い価格で売買されるそうです」


 「そうなると所有者はかなりの金持ちって事か・・・・」
 「はい、かなりのVIPが所有していて・・中には有名人がセカンドハウスとして使っている部屋もあるみたいです」


 あの夜、私が感じた得体の知れない不安は、ますます霧に覆われて行く様だった。
 興信所に頼んだ調査は明後日の金曜日までだ。
 金曜日までにこれ以上の事が判らなければ、この写真を元にまゆみを問い質(ただ)すしかないのか・・・・・・。


 「では明日も奥様を調査させて頂きます。何かあばリアルタイムで連絡を入れます。“何も”なければだいたいこの時間に一度電話をいたしますので」


 私は男の声に頷き、今日の報告書を受け取り事務所を後にした。


 木曜日、金曜日。
 結局この2日間とも、まゆみには大した動きは無かったようだ。
 私の手元に唯一残った物は、水曜日の写真だけだった。


 

 「ねえ・・まゆみ・・そろそろ今夜はいいだろう?」
 土曜日の夜だった。
 風呂上りのまゆみに掛けた言葉だ。


 「長い事・・・・まゆみを抱いてなかったけど・・・・そろそろ・・・」
 (・・・・・・・・・・・・)


 「この所 “アレ”だとか、頭が痛いだとか・・・・あつしやたくみとかも・・・・・・・」
 (・・・・・・・・・・)


 「でも今夜辺りはいいだろう?」
 しかし ・・・ 私の諭(さと)すような声に、まゆみの上気した風呂上りの顔がみるみる暗くなっていった。


 「あなた・・・ゴメン・・・」
 ポツリと言ったまゆみの小さな声に、私の中で得体の知れない黒い雲が広がり始めた。