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次の朝のまゆみの様子は、いつものものだった。
 夕べ感じた不安を抱えたまま、私は仕事場に向う。
 朝のミーティングを終えた時だった。
 机の内線が鳴った。


 『近藤課長かい? ちょっと私の部屋に来てくれるかな』
 (部長・・・)


 受話器を置き、席を立った私は、廊下に出た。
 なぜだか夕べの不安が尾を引いている。
 

 「近藤課長、聞いてるかい?」
 部屋に入った私に部長が、いきなり問いかけてきた。


 「佐々木さんが辞表を出したそうだよ」
 (えっ! 綾が)


 驚く私の前で部長が困った顔で2,3度頷いた。
 「君と僕を飛ばしていきなり人事部に行ったそうだよ」
 「い いつの話ですか?」


 「ん、昨日の夜だそうだよ・・・僕も君も忙しくしていたからかもしれないけど・・・ちょっと困るよね」
 「はい すいません・・・・・・それで理由は何なんでしょうか?」


 「んん、どうも実家のお母さんの具合が以前から悪くて、前々から辞めるつもりではいたらしい・・・・。それで昨日の夜には実家に向かったみたいだ・・・・落ち着いたら改まって挨拶に戻って来ると言ってたらしいけど」
 「そ そうですか・・・・」


 その後の上司の話を上の空で聞きながら、私は部屋を出た。
 綾が会社を辞めた・・・。
 私は歩きながら綾の携帯、そしてそれが留守電になると自宅へ電話を入れてみた。
 しかし何度の試みにも、一度も繋がる事は無かった。


 その日から何かが違っていた。
 一日一日と仕事に追われながらも、得体の知れない違和感を感じる毎日が続いた。
 身近に綾が居ないと言う事。
 そして家では、まゆみの様子が何処と無く変わっていった ・・・ いや、妻を見る私の心に変化が起きたのだろうか。


 まゆみの生理が終わった頃から、私は再びモーションを掛けてみた。
 しかし返って来るのは、理由を付けた拒否反応だった。
 頭が痛い、疲れている、子供が起きている・・・。
 時間が経つにつれ私のフラストレーションは溜まる一方で、それが態度にも表れていたかもしれない。


 こんな時綾が居てくれれば。
 私にとって都合の良い女だった。
 犯(や)りたい時に犯(や)れた女だった。
 妻に出来ない事を何でも応じてくれた女。
 一体今はどこで何をしているのだろうか?
 辞表を出してから、まだ一度も連絡は取れていない・・・・。


 欲求の吐け口は妻に向おうとするが、答えはいつも同じだった。
 いつしか私の妄想癖は、一つの疑心へと変わっていた。
 

 まさか妻は“女”を知って、“男”を受け付けなくなったのでは。
 あるいは・・まゆみは今、綾に義理立てしているのではないだろうか?


 私の中の妄想、疑心は、ある仮説に向かった。
 あの娼婦館のビデオは “いつ”撮影された物かは分からないが、その後も2人の密会はあったのではないか。
 2人は密会を楽しみながらも、綾はその報告を私にしていなかったのではないか? 
 綾はまゆみと戯(たわむ)れた次の日には、必ず私に報告を入れていたのだが・・・。
 そしてビデオの編集が終わり、それが私の元に届く ・・・ そのタイミングで突然実家で不幸? が起こり、綾は帰らなくてはいけなくなった?。
 そして綾と会えなくなったまゆみは悲しんでいる?
 開いた2人の距離と時間 ・・・ それが一層まゆみの想いを強くしているのではないか? 
 それが操となり、私の誘いを拒み続けている?


 綾は私によく言った。
 『~私が邪魔になったらいつでも言ってね。奥様にばれそうになったらいつでも消えるからね』
 綾・・・・。
 私がまゆみとの仲を戻す方法があるとしたら・・・綾をつかまえ、綾の口からまゆみに対して別れを切り出させるしかないのでは?
 そして“旦那の元に帰りなさい” ・・・と言わせるしか・・・・。
 しかし・・・。
 しかし・・・・綾とは連絡が取れない。
 じゃあ まゆみは?
 ひょっとするとまゆみは、綾と連絡を取っているのではないか? 取れるのではないか?
 でも待てよ。
 綾は私の電話もメールにも返事をよこさない ・・・ その綾がまゆみにだけ返事をするだろうか?
 しかし ・・・ 可能性としてはそれも考えないといけないかもしれない。
 そんな考えにたどり着いた私は、再びまゆみを備(つぶさ)に観察し始めるようになった。


 この日の夜だった。
 「まゆみ もうモデルの仕事は辞めたのか? もう全然その話しをしなくなったよね」
 帰宅した私は子供達が2階にいるのを確認して聞いてみた。


 「えっ ええ・・・言ってなかったっけ・・もうかなり前から行ってないのよ」
 どことなく歯切れの悪い口調だ。


 「そうか・・それと、俺も言ってなかったけど、佐々木さん 会社を辞めたんだよ」
 「えっ ・・・ え~と 佐々木さんって・・・」
 先程以上に歯切れの悪いまゆみの声だ。


 「まゆみ・・忘れるはず無いだろ・・・まゆみにモデルを勧めた・・・・ほら・・」
 「あっ ああ・・・・そ そうか・・・ 最近物忘れがひどくなったみたい・・・」


 私は苦し紛れに話すまゆみを見ながら、今晩ある事をしようと考えていた。
 そう、携帯電話だ。
 今まで結婚してから妻の携帯を覗くなんて行為は、一度も考えた事がなかった。
 しかし今夜は。
 そしてもう一つ。
 まゆみの下着だ。
 以前ネットで読んだ話だが、妻の浮気の兆候は下着に現れるとあった。
 その相手が“女”だったとしても、そんな変化があるかもしれない・・・と思ったからだ。


 私はベットに入り目を閉じた。
 そして暗闇の中でじっと息を潜め、神経を研ぎ澄ませていた。